嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 その言葉だけを残し、夜鷹は闇の奥へ歩き出す。
 下駄が土を踏む音だけが、静かな山へやけに大きく響いていた。
 妖達は誰一人として襲い掛かってこない。
 まるで主の命令に従うように、三人のためだけの道を開いている。
 だが、その沈黙が逆に不気味だった。

「行くんですか」

 夜鷹が進んだ方向を睨め付けた悠真が、音羽達の方には振り返らないまま問う。
 さわさわと木々が揺れる音が鼓膜を揺らす中、真白は何も言わない。
 ただ、夜鷹の背中を睨みつけたまま小さく舌打ちした。

「行かなければ解決しない。けれど、行けば罠かもしれない」
「あれだけ余裕綽々だと思われた貴方が、まさかそんな弱腰だなんて」

 あえて、悠真は真白を挑発する物言いをする。それに乗るか乗らないかは真白自身、否、音羽自身だ。
 真白が何も言わないのは、この先を進むのかどうかを決める権利を持つのが音羽であるから。

「姫様」

 不意に振り返った真白は、穏やかな視線を音羽に向けた。
 この先へ進み、顔を出すの屋敷へ行くように完全に誘われている。
 罠かもしれない。いや、恐らく罠なのだろう。
 それでも、ここまで来て引き返すという選択肢は、最初から存在していなかった。
 音羽は俯いたまま、強く拳を握り締める。
 細い肩が小さく震えるのは、少なからず怖いから。
 自分の知る父親の姿とは掛け離れた妖。
 ずっと隠され続けていた真実。
 その全部が、今まさに目の前へ現れようとしている。
 真白は小さく息を吐くと、無造作に音羽の頭へ手を乗せた。

「……大丈夫ですよ」

 いつもの気怠げな声音は、音羽の凝り固まった心を優しく解してくれる。
 その一言だけで張り詰めていた緊張がほんの少しだけ緩んだ。

「俺がいますから」

 音羽はゆっくりと顔を上げた。
 自分の頭よりもずっと上にある真白の目と合う。その瞳には、迷いがなかった。
 音羽は何かを堪えるように唇を噛み締め、それから小さく頷く。

「っ!」

 声を出さずとも、その頷き一つで答えは決まる。その返事を聞いた真白は満足そうに目を細めた。

「じゃ、行きますか」

 軽い口調とは裏腹に、その視線は鋭かった。
 悠真もまた黙って呪符を握り直す。
 三人は夜鷹の後を追うように、ゆっくりと歩き出した。
 木々の奥へ進むにつれ、空気はさらに重くなっていく。濃密な妖気が霧みたいに漂い、呼吸するだけで肺の奥が焼けるようだった。
 やがて、三人はその屋敷の前へ辿り着く。
 古びた門。
 朽ちかけた木造建築。
 なのに、不思議なほど“綺麗”だった。まるで時だけが止まっているようにすら思えるほど。
 音羽は足を止め、門の向こうを見つめたままか細く息を呑んだ。

「………」

 知らないはずなのに、やけに懐かしい気がする。
 記憶には残っていないはずなのに、身体だけが覚えていた。
 そして視線の先、門を潜った向こう側に夜鷹が背を向けて立っている。
 夜鷹は決して振り返ること無く、遠い目をしたまま口を開いた。

「緋彩」

 その名前が呼ばれた瞬間だった。

 ――カラン。

 屋敷の奥から、小さな物音が響いた。