「……大旦那」
目の前の存在は笑うでもなく、無表情のまま顔を上げる。
夜鷹。
十五年前の異常活性に関わった妖。
そして、音羽の父親。
噂や記録でしか知らなかった存在が、今、目の前に立っている。
到底、橘の屋敷で顔を会わあせていた時とは似ても似つかない風貌をしていた。
(……なんだ、この圧)
真白は無意識に歯を食いしばった。
妖気の質が違う。
周囲を囲んでいた妖達とは比べ物にならないほど濃く、重い。
視線を向けられているだけで、身体の奥へ冷たいものが流し込まれてくるようだった。
隣では悠真も僅かに眉を顰めている。恐らく同じことを感じているのだろう。
下手に動けば死ぬ。
本能がそう警鐘を鳴らしていた。
だが、当の夜鷹はそんな二人など意に介した様子もなく、ただ静かに音羽だけを見つめている。
「随分と汚れた匂いがする。人の世へ長く浸かりすぎたな」
その声音には怒気も敵意もない。だが、あまりにも空虚だった。
冷たいというより、何も残っていない。
長い年月の果てに感情を削ぎ落としてしまった者だけが持つ、乾いた響き。
音羽は無意識に唇を噛み締めた。
怖かった。
本能が逃げろと訴えている。それなのに、耳の奥が妙に熱を持つ。
「何をしに来た」
夜鷹の双眸が、静かに三人を見据える。その視線を向けられただけで、空気が重く沈んだ気がした。
まるで値踏みでもするように、ゆっくりと真白へ視線が移る。
真白は小さく息を吐き、夜鷹を真っ直ぐ見返した。
「聞きたいことがありまして」
「貴様には聞いていない」
夜鷹の声が低く落た瞬間、びり、と空気が軋んだ。
濃密な妖気が辺りへ広がり、周囲の妖達が一斉に唸り声を漏らす。
真白は僅かに目を細めた。
たった一言だけで場の空気を支配してしまう圧が重く伸し掛かる。
「では、私が聞きましょう」
夜鷹の金色の瞳が悠真へ向くが、彼は怯むこと無く前に出た。
「橘緋彩は、生きていますね」
ざわり、と山中の妖気が揺らぐ。
周囲を囲っていた妖達が一斉に口を閉ざし、静寂だけが辺りへ落ちた。
音羽の肩がびくりと震え、真白もまた僅かに目を細めた。
夜鷹だけが動かない。
だが、黄金色の双眸が、ゆっくりと細められていく。
「……誰から聞いた」
その声の奥には、僅かな殺気が滲んでいる。
冷や汗で頬を濡らしながらも、悠真は静かに答えた。
「術式です。貴方達が隠していた封印術を見ました」
夜鷹は何も言わず、ただ沈黙したまま悠真を見ている。
その視線だけで、喉元へ刃を突き付けられているようだった。
「音羽の封印、真白への呪い、そして十五年前の異常活性」
悠真は真っ直ぐ夜鷹を見据えると、何十回と読み込んだあの資料の一頁を思い浮かべる。
「全部、橘緋彩が関わっている」
ざわり、とm夜鷹の周囲の妖気が揺らいだ。
それ同時に、音羽の肩も小さく震える。だが、悠真は止まらない。
「貴方は何を隠しているんです」
その問いが落ちた瞬間、夜鷹はふっと目を伏せた。そして、やけに据わった目を再び音羽に向けた。
「……隠したかったわけではない。知らぬ方が幸福だっただけだ」
「どういう意味です」
夜鷹は静かにそう告げると、ゆっくりと背を向けた。
長い黒髪が闇の中で揺れる。
妖達が道を開くように左右へ退いた。その先、木々の奥に、ぼんやりと古びた屋敷の輪郭が浮かび上がっている。
「来るなら来い」
夜鷹の低い声が、静かな山へ響く。
「全て知った上で、それでも壊れぬというのなら」

