嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 一つでも制御を誤れば、術者側が壊れてもおかしくない。
 術とは、本来そこまで万能なものではない。
 強力な呪ほど代償は重く、複雑な術式ほど綻びやすい。
 特に“封印”は繊細だ。
 力を完全に閉じ込めれば対象を壊す。
 逆に抑え込みが甘ければ、内側から術式そのものを喰い破られる。
 均衡が必要なのだ。
 封じすぎず、解き放ちすぎず。常に崩壊寸前の均衡を保ち続けなければならない。
 だが、この術式は違った。
 幾重にも重なった呪式が、一切の乱れなく噛み合っている。
 本来なら反発し合うはずの術同士が、まるで最初から一つの形として存在していたかのように成立しているのだ。
 異常だった。
 術者一人の技量で辿り着ける領域ではない。
 それこそ、生涯の全てを費やした執念でもなければ不可能なほどに。
 なのに、そこに刻まれている術式から感じるのは、悪意でも殺意でもない。
 執着にも似た、歪な祈りだった。
 “誰かを守るためだけ”に組み上げられたもの。
 封じているのは、“声”そのものではない。もっと別の――。

「……魅了、か」

 悠真の呟きが、静かな蔵の中へ沈む。
 妖を惹き寄せる声。
 ただ聞かせるだけで妖の本能を刺激し、引き寄せ、狂わせる異質な力。もしそれが本当なら、突如発生した異常活性の説明がつく。
 十五年前の災害も。
 数日前の見合いの日に起きた妖の暴走も。
 全て、“音羽の声”に引き寄せられていたのだとしたら。
 だが、それなら妙だ。
 こんな術式、普通の術者では組めない。力任せに封じるだけなら、まだ理解できる。だが、これは違う。
 対象を壊さず、人格にも干渉せず、“声だけ”を抑え込んでいる。
 しかも、成長に合わせて術式そのものが変化している形跡まである。
 生きている術式。
 そんな芸当ができる人間を、悠真は数えるほどしか知らない。
 少なくとも。“娘を守りたいだけの母親”が扱える領域ではないだろう。
 悠真はそこで、ふと動きを止めた。
 符紙の裏面に、滲みかけた墨で小さく名前が書かれている。

『真白』

「……は?」

 悠真ははっと目を見開き、その名前であろうに文字を凝視した。
 それが誰を示しているのか理解した瞬間、先程までただの資料だった紙切れが急に別の意味を持ち始める。
 悠真は咄嗟に符紙を裏返した。そこに続いていたのは、封印式の一節。

『真実ヲ語レバ、命ヲ断ツ』

 ヒュッと息を呑む音がはっきりと聞こえた。

「……なんだ、これ」

 ぞわりと背筋を冷たいものが這い上がる。
 別術式。
 しかも、かなり強力な縛りだ。
 対象者自身に“沈黙”を強制する呪。
 口を閉ざさせるだけではない。一定の条件を満たした瞬間、命そのものを代償として奪う構造になっている。
 つまりこれは、“喋れば死ぬ”呪いだ。
 悠真は無意識に眉を寄せ、目の前の術式を睨みつける。
 何を隠した?
 誰から守ろうとした?
 いや、違う。問題はそこではない。
 何故、橘音羽の封印と、真白への呪いが、同じ術式紙に記されている?
 別々の術ではない。術式の流れが繋がっている。
 まるで最初から、一つの目的のために組み上げられていたように。

「……最初から繋がってたみたいじゃないか」

 蔵の奥で、風もないのに紙が揺れた。その微かな音だけが、やけに大きく耳に残る。
 悠真はゆっくりと立ち上がり、背後の窓へ視線を向けた。
 夜の帳が降り始めた空は、何処か不気味なほど静かだった。
 嫌な予感がする。この件は、自分が思っていたよりずっと深い。
 異常活性。
 橘緋彩の失踪。
 音羽の封印。
 真白の沈黙。
 全部が一本の線で繋がろうとしている。
 そしてきっと、真白も、音羽も、まだ何一つ本当のことを知らない。