紙を捲る音だけが、静まり返った蔵に響いていた。
悠真は片膝を立てたまま、古びた帳面へ視線を落とす。
久我家が保管する“禁録庫”。
呪具、封印、妖絡みの事件記録――表には決して出ないものだけを収めた場所。
湿った紙の匂いが鼻につく中、黙々と頁を捲り続ける。
「……橘家、か」
全国各地の名の知れた家系を集めた記録の中には、当たり前のように橘の名があった。
予想通りであり、逆に期待外れでもある。得も言われぬ気持ちに、悠真は低く呟いて次の頁を捲った。
十数年前、関西一帯で確認された妖の異常活性があった。
妖の大量発生だ。
日頃、逢魔ヶ時に世を跋扈しだす妖が昼夜関係なく街中を徘徊する。何の前触れもなく突然現れては、人々を襲い世を混乱の渦に落とすのだ。
そう、何のきっかけもないものだと思われていた。
「まさか、あの陰陽師が言ったことが本当だったとは」
悠真は懐から一枚の紙切れを取り出す。そこには。
『姫様の声は妖を誘う』
あれは比喩でも嘘でも世辞でもない。
ありのままの真実を口にできない分紙に記して悠真にだけ伝えたのだ。
何故、音羽本人には伝えようとしなかったのか。
「なるほど……十五年前の異常活性は、姫君の誕生日を同じ日。つまり」
音羽の母親である緋彩が命を落としたであろう異常活性が起きたのは、その日に起きた音羽が妖を誘う声を発してしまったから。
だから、母親が今やいないのは、自身が妖を誘い出してしまったから。
(そりゃあ、あの軽薄そうな陰陽師でも伝えられるわけがないですね)
もしも、自分の母親がいなくなってしまったのが、自分の声で妖を誘い出してしまったからだと知れば。
きっと音羽は壊れてしまう。真白なりの優しさなのか、慈悲なのかが現れた結果なのだろう。
「あ……」
その時、不意にある頁で捲る手を止めた。視線が頁の中央へと惹きつけられる。
その中心には、とある人物の名前が記されていた。
――橘緋彩。
備考欄にはこうある。
『対象死亡確認済み』
日付を見てみれば、異常活性が起きた日と完全に一致している。
「おかしいな……」
だが、悠真の指先が記録の端で止まった。
死亡処理された人間の記録に、本来残るはずのない術式番号が刻まれていたのだ。
封印管理識別式。?
つまりこれは――。
「死亡処理じゃない?」
紙を摘む指に僅かに力が入る。今の自分が踏み入れてはいけない敷地まで来ていることを、否応にも理解してしまう。
「……秘匿か」
空気が、微かに軋んだ気がした。
悠真は黙ったまま頁を戻す。
違和感は、それだけではない。緋彩に関する記録だけ、異様に薄いのだ。
橘家ほどの家なら、妖絡みの資料が残っていないはずがない。
なのに肝心な部分だけが抜け落ちている。
まるで、“意図的に消された”よう。
(誰が隠した)
その瞬間、ぱらり、と一枚の紙が帳面の間から滑り落ちた。
悠真は眉を寄せ、それを拾い上げる。
古い符紙だった。
墨は掠れ、半分以上が読めない。だが、残った文字だけでも十分だった。
『言ノ葉封』
『対象――音羽』
そこに記されていた名前を目にした瞬間、ゾクリと背筋に冷たいものが走る。
「言葉を封じる術式……?」
否、何かが違う。そう言い表すには、あまりにも違和感が強い。
これは単なる封印ではないのだ。
術式構造――呪いの“内臓”とも呼ばれる領域。
発動条件、代償、干渉範囲、術者の悪意も執着も、そこには隠せず残る。それが異常なまでに複雑に絡まり合っている。

