嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 柔らくて小さな手は少し震えていて、それでも必死に真白を止めようとしている。

「……」

 口を覆われた真白は目を見開いたまま固まった。
 手が汚れることも気にせずに、口元を覆い続ける音羽は首を横に振る。
 もう喋らなくていい。
 もう苦しまなくていい。
 声は出ないのに、その瞳にはそう伝えようとする強さがある。

「――っ」

 ぴしり、と、今までで一番深く、黒い紋様が顔の半分まで走った。
 真白の呼吸が乱れる。
 喉の奥から込み上げた黒い液体が口端を伝い、ぽたり、と砂浜へ落ちた。
 それでも、それでも真白は、音羽の手を振り払えなかった。

「……姫様」

 口元を覆っていた音羽の手を握り、掠れた声で名を呼ぶ。
 音羽は泣き出しそうな顔のまま、じっと真白を見つめていた。まるで、自分が傷付くより真白が苦しむ方が嫌だと言うように。

「そんな顔、しないでくださいよ……」

 笑おうとした。けれど、上手く笑えなかった。
 音羽の指先が、そっと真白の頬へ触れる。黒い紋様のすぐ傍。呪いを怖がることもなく、化け物を見る目もしないまま、ただ、心配そうに撫でた。

「……何で」

 ぽつり、と真白が零す。

「何で貴方は、そんな風に俺を見るんです」

 普通なら怖いはずだ。こんな呪われた男など恐ろしいだけのはず。血のようで血ではない液体を流して、化け物のような目をして。
 なのに音羽は逃げない。離れない。むしろ、苦しむ真白の方へ手を伸ばしてくる。
 その優しさが、どうしようもなく胸を抉った。
 真白はゆっくり音羽の手首を掴む。振り払うためではない。縋るように強く握り締める。

「……だから、駄目だったんですよ」

 諦めたように呟く。

「すぐに絆されるから、俺は出来損ないだったんだ」

 その一言が口から飛び出した時、不意に音羽の姿が視界から消えた。
 すぐに正面から強い衝撃を感じる。音羽が抱き着いてきたと気づくのは、その一拍後だった。
 
「!!」

 真白の胸元に顔を埋めるなり、グリグリと押し付けながら首を振る。
 そんなことはない。貴方は出来損ないなんかじゃない。そう言いたげに。

「ちょっ……!」

 真白の身体が、びくりと強張る。
 視線を下げると音羽の頭頂部が見え、細い腕が背中へ回されていた。逃がさないための、否定するための、真っ直ぐで、不器用で、どうしようもなく優しい抱擁だった。

「……は」

 掠れた笑いが漏れる。
 胸元へ顔を押し付けたまま、音羽は何度も首を横に振る。
 違う。
 そんなことない。
 出来損ないなんかじゃない。
 声にならない想いが、痛いほど伝わってきた。

(俺は……やはり出来損ないだ)

 それが苦しかった。
 嬉しくて。
 苦しくて。
 どうしようもなく、救われてしまう。

「……重いんですけど、姫様」

 呪なんてきっと解けない。散々自分の言いたいことを言って呪いなんてどうにでもなれと思ったのに、結局思っていないことばかりが口を突いて出てしまう。

「人の話聞いてました? こんな呪われた男に抱き着くとか正気じゃないでしょう」

 ぴしり、と紋様が軋む。けれど、先程より痛みは浅かった。
 本心を押し殺している限り、呪は真白を許す。

「第一、俺は別にそんな立派な人間じゃありませんし」

 音羽の頭を軽く押し返そうとしながら、わざと軽薄に笑う。

「勝手に期待されても困るんですよねえ。姫様、見る目なさ過ぎじゃないですか?」

 その声は、いつも通り飄々としていた。
 冷たくて。
 軽くて。
 突き放す言葉。なのに、音羽は抱き着いたまま決して離れようとしない。

「……」

 音羽は、もう騙されなかった。
 真白の着物を掴む指先は離れない。むしろ少しだけ強く握られる。
 その反応に、真白は目を細めた。
 ああ、気づかれてしまった。どれだけ嘘を吐いても、どれだけ冷たい言葉を選んでも、本当に伝えたいことだけは、もうこの少女に隠せないことを。
 ざぁ、と波が寄せる。潮風の中、鈴が小さく鳴った。
 真白は諦めたように空を仰ぐ。

「……ほんと、勘弁してくださいよ」

 その声音だけが、どうしようもなく優しかった。