嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 その目には、初めて隠し切れない動揺が浮かんでいた。

「ああ……最悪だ……どうして今更、思い出すんだか」

 痛みと、苦しみと、憎しみに歪んだ掠れた声が溢れ出る。
 真白は項を押さえていた自分の手を見た。そこには、べっとりと血とは違う黒い液体が付着している。
 黒い紋様はまだ消えない。
 “思い出すな”と縛り付ける鎖の如く肌へ深く食い込んでいた。

「俺の呪いは……」

 そこで喉が避けるように痛み、一度、言葉が途切れる。
 それでも今だけは、止まらなかった。

「……緋彩様に掛けられたものです」

 はっと目を見開いた音羽は、反射で真白の肩から手を離してしまった。
 真白が向ける瞳の色が変わる。比喩などではない。本当に、元の曇のない黒い目から血で染まったような赤い目へと変わったのだ。

「俺は代々名だたる陰陽師を生み出してきた一家の生まれ。その中で、俺はまともに霊力を持たない出来損ないだった」

 ぽつり、と、長く閉ざされていた秘密が零れ落ちる。
 一つ瞬きをすると、また元の目の色に戻った。

「家を出て、一人になって……昔、死にかけてた俺を拾ったのが、あの人だったんです」

 緋彩。
 音羽の母。
 顔も声も知らない、何処にいるのかも分からない生みの親。
 父親である夜鷹が数着する相手。

「だから、俺はあの人に恩がある」

 真白はゆっくり目を閉じた。
 脳裏へ浮かぶのは、黒髪の女の笑顔。
 優しい声。
 温かな手。
 そう、目の前で怯えつつも心配する様子を崩さない少女とよく似た人。

『真白』

 音羽の背を伸ばして、少し大人びた女が立っている。

『お願い』

 胸の前で手を組み、女は願う。

『この子を守って』

 次の瞬間、ずきり、と紋様が脈打った。
 音が鳴る程強く歯を噛み締めると、落としていた視線を音羽へと戻す。

「……あの人は、死ぬ前に俺へ呪を掛けたんです」

 懐に忍ばせている鈴か、それとも命が擦り切れる音か。
 小さくも凛とした鈴の音が波が寄せる度に聞こえてくる。
 音羽は下唇を噛み締めたまま、静かに真白の話に耳を傾けていた。

「“音羽を愛してはいけない”って」

 緋彩と出会った時にはすでに音羽が生まれていた。直接姿を見たことはないが、緋彩からは時折娘の話を聞かされていたのだ。

「……」

 音羽は何が言えるでもなく、ただ真白を見つめていた。
 愛してはいけない呪いを母が掛けた。
 どうして、どうしてそんなものを真白に抱えさせたのか。疑問は次から次へと湧き出てくる。

「酷い話でしょう」

 その声は、自嘲に近かった。
 酷い話だ。あまりにも、酷すぎる。

「人を拾って、生かして、恩を売っといて……最後に“娘を愛するな”なんて呪いまで残すんですから」

 ぴしり、黒い紋様がまた軋む。だが、もう隠そうとはしなかった。

「最初は意味が分からなかったんです」

 首元に刻まれた紋様から手を離し、黒い液体を流したまま真白は海へと視線を投げる。
 彼の視線の遥か遠く、白い波が砕けていた。

「俺みたいな出来損ないが、名家の姫様相手にそんな感情抱くわけないだろって」

 もう笑う気力すらない。脱力した肩は微かに震え、海を見つめる瞳には悲しみが滲む。
 声を出せない音羽が相手だから、反論される心配がないのだろう。真白の口からは、呪いなど関係なく言葉が溢れ出てくる。

「だから呪いなんて大袈裟だと思ってた……なのに」

 潮風が吹きすさび、雪が降り積もったかのように白い髪が揺れる。
 また何処かで鈴が鳴った。
 そこで初めて、真白の視線が音羽へ向く。逃げ場がないほど真っ直ぐな視線が捉えていた。

「貴方は笑うし」

 ぴしり。

「泣きそうな顔するし」

 びきり。

「放っておけないし」

 言葉を紡ぐごとに、黒い紋様が頬まで広がる。それでも真白は止まらなかった。
 否、もう止められなかった。

「気づいたら、花火を見て笑った顔ばかり頭に残ってる」

 端から流れ出た黒い液体を手で拭いながら、言葉を続ける。

「……こんなの」

 そこまで言い掛けて、言葉が止まった。
 震える音羽の小さな手が、真白の口元を覆う。それ以上言ってはいけないと、今にも泣き出しそうな目が訴えていた。