父の足音が遠ざかっていく。その後に続く小さな足音は、あの女中のもの。彼女すら離れていってしまう。
やがて、障子が開く音。閉じる音。それきり、何も聞こえなくなった。
部屋に残されたのは、焦げた匂いと、じんわりと熱を持つ腕の痛みだけ。
起き上がる気力すら湧かない。いっそのことこのままでいれば、外に出られないから父に叱られることはない。
息を吸うたびに、胸の奥が軋む。
涙はもう止まっているはずなのに、視界が滲んでいた。
――呪いさえ無ければ。
何も考えたくはないのに、頭の中ではその言葉ばかりが浮かんで消える。
呪い。それは生まれながらに神から背負わされたもの。
人間と妖の間に産まれた娘。つまり、忌み子。
この屋敷は、その忌み子を隠すために都から遠く離れた山の上にあった。
橘家。
古くから続く家柄であり、その名は都の中でも知られていた。
外から見れば、何不自由のない名家。だが、その内側に足を踏み入れる者は少ない。
訪れる者はいても、長く留まる者はいないのだ。いつの頃からか、そういう家になっていた。
そんな家の奥深くにある部屋に隠される。
人目に触れぬように。
外へ出ぬように。
決して、余計なものを外へ漏らさぬように。この部屋は、そのためにある。
陽の光は入るが、外へ通じる道はない。
廊下へ出ることは許されているが、それ以上は許されない。
庭に出ることすら、本来は禁じられている。
それでも、目を盗んで外へ出ることがあった。
理由など特別なものではない。ただ、そこに空があるから。
風が通るから。
それだけのこと。けれど、それすらも許されない。何故か。
忌み子だからである。
誰に言われたわけでもない。ただ、そう扱われている。
屋敷の者達は、忌み子を避けた。必要以上に近づかず、目を合わせることも少ない。
声を掛ける者などほとんどいない。触れることなど尚更だ。腫れ物に触るように、ではない。最初から、そこにいないものとして扱うように。
その中で、あの幼いの女中だけが例外だった。
あの少女だけが傍に来る。躊躇いなく手を取り、言葉を投げ掛ける。
返るものがないと知っていても、気にした様子はない。
それが、どれほど奇妙なことかよく知っている。
生まれた時から、そうだった。
理由は、知らない。知る必要もないと言われてきた。
ただ一つ、分かっていることがある。
自分は、ここにいてはいけないものだということ。この家にとって、都合の悪い存在だということ。
だから、外へ出てはならない。
見られてはならない。
知られてはならない。
それだけが、繰り返し与えられてきた約束だった。
――なんで。
決して声に出してはならない問が浮かび上がる。
なんで、見捨てた。
ずっと傍にいてくれていたのに。何かあれば姫様、姫様と言って笑っていたのに。
なんで、父から罰を与えられたあの時は、見向きもせずに助けようともしなかった。
――裏切ったの。
誰かの声がそう言う。頭の中に直接語り掛けるように、耳元で誰かが呪詛を唱える。
始めから全部嘘だったとしたら。
『姫様! 見てください。桜が咲いていますよ!』
あの時の笑顔は、全部嘘だったとしたら。
『すぐに治りますから。あたしがいるんですもん、風邪なんてすぐに飛んでいってしまいますって!』
あの時の優しさは、全部嘘だったとしたら。
今まで、ずっとその嘘に縋り付いていたのか。嘘だと疑わず、呑気に信じて。
やがて、障子が開く音。閉じる音。それきり、何も聞こえなくなった。
部屋に残されたのは、焦げた匂いと、じんわりと熱を持つ腕の痛みだけ。
起き上がる気力すら湧かない。いっそのことこのままでいれば、外に出られないから父に叱られることはない。
息を吸うたびに、胸の奥が軋む。
涙はもう止まっているはずなのに、視界が滲んでいた。
――呪いさえ無ければ。
何も考えたくはないのに、頭の中ではその言葉ばかりが浮かんで消える。
呪い。それは生まれながらに神から背負わされたもの。
人間と妖の間に産まれた娘。つまり、忌み子。
この屋敷は、その忌み子を隠すために都から遠く離れた山の上にあった。
橘家。
古くから続く家柄であり、その名は都の中でも知られていた。
外から見れば、何不自由のない名家。だが、その内側に足を踏み入れる者は少ない。
訪れる者はいても、長く留まる者はいないのだ。いつの頃からか、そういう家になっていた。
そんな家の奥深くにある部屋に隠される。
人目に触れぬように。
外へ出ぬように。
決して、余計なものを外へ漏らさぬように。この部屋は、そのためにある。
陽の光は入るが、外へ通じる道はない。
廊下へ出ることは許されているが、それ以上は許されない。
庭に出ることすら、本来は禁じられている。
それでも、目を盗んで外へ出ることがあった。
理由など特別なものではない。ただ、そこに空があるから。
風が通るから。
それだけのこと。けれど、それすらも許されない。何故か。
忌み子だからである。
誰に言われたわけでもない。ただ、そう扱われている。
屋敷の者達は、忌み子を避けた。必要以上に近づかず、目を合わせることも少ない。
声を掛ける者などほとんどいない。触れることなど尚更だ。腫れ物に触るように、ではない。最初から、そこにいないものとして扱うように。
その中で、あの幼いの女中だけが例外だった。
あの少女だけが傍に来る。躊躇いなく手を取り、言葉を投げ掛ける。
返るものがないと知っていても、気にした様子はない。
それが、どれほど奇妙なことかよく知っている。
生まれた時から、そうだった。
理由は、知らない。知る必要もないと言われてきた。
ただ一つ、分かっていることがある。
自分は、ここにいてはいけないものだということ。この家にとって、都合の悪い存在だということ。
だから、外へ出てはならない。
見られてはならない。
知られてはならない。
それだけが、繰り返し与えられてきた約束だった。
――なんで。
決して声に出してはならない問が浮かび上がる。
なんで、見捨てた。
ずっと傍にいてくれていたのに。何かあれば姫様、姫様と言って笑っていたのに。
なんで、父から罰を与えられたあの時は、見向きもせずに助けようともしなかった。
――裏切ったの。
誰かの声がそう言う。頭の中に直接語り掛けるように、耳元で誰かが呪詛を唱える。
始めから全部嘘だったとしたら。
『姫様! 見てください。桜が咲いていますよ!』
あの時の笑顔は、全部嘘だったとしたら。
『すぐに治りますから。あたしがいるんですもん、風邪なんてすぐに飛んでいってしまいますって!』
あの時の優しさは、全部嘘だったとしたら。
今まで、ずっとその嘘に縋り付いていたのか。嘘だと疑わず、呑気に信じて。

