岬へ続く道は、思っていたよりも長かった。
宿を出てからしばらく、真白は特に何も言わずに歩き続けていた。音羽もまた、隣を離れずにただついていく。
やがて、木々の隙間が途切れて視界がふっと開ける。
「……」
音羽の足が止まるのを合図に、真白も目の前の景色にはっと息を呑んだ。
そこにあったのは、誰もいない寂れた静かな海。
広がる水平線。淡い朝の光を受けて揺れる波。遠くで白く砕ける泡が、規則正しく寄せては返している。
音だけが、やけに大きい。
ざぁ、と風が吹いた。潮の匂いが一気に押し寄せてくる。
音羽は無意識に一歩、前へ出ていた。
砂浜は思っていたより柔らかくて、踏みしめる度に足元が沈む。
まるで、世界の境目に立っているようだった。
「ここが、あの人達が来ていた場所……」
何かを噛み締めるような真白の声が背後からする。いつも通り軽い調子なのに、その声音だけが少しだけ静かだった。
音羽は振り返らないまま、小さく頷く。
視線は、ずっと海から離れなかった。
――こんな場所が、本当にあったのか。ただそれだけで、胸の奥がざわつく。
その時、ふと、隣に気配が並んだ。
真白が横に立っている。潮風で白髪が揺れ、鈴が微かに鳴った。
「姫様」
呼ばれて、音羽はようやく横を見る。真白は海の方を見たまま、ぽつりと続けた。
「……思ってたより、静かですね」
ぴしり。喉の奥が、一瞬だけ軋む。
けれど、真白は表情を変えない。ただ、少しだけ目を細めた。
「まあ、悪くはないんじゃないですか」
そう言って、視線を逸らす。
まるで本当は「綺麗だ」と言いかけたことを、途中で無理やりねじ伏せたようだった。
音羽はその横顔を見たまま、ゆっくりと海へ向き直った。
波が寄せる。
白い泡が足元まで届いては、静かに消えていく。
その光景を見つめながら、音羽はそっと息を吐いた。
「あの堅物の塊みたいな大旦那が奥方とこんな場所に来ていたとは……世間は狭い」
「───」
声は聞こえなかった。
けれど、波打ち際へ屈み込んだ音羽の肩が小さく揺れている。
花が綻ぶように、柔らかく目が細められていた。
(ああ──俺なんかの前でしか笑えないなど……)
きっと、真っ直ぐきらびやかな海を見るべきなのだろう。
昨晩、祭りで打ち上げ花火を見た時もそう。どういうわけか、すぐ隣にある無邪気な少女の顔から目が離せなくなるのだ。
名家の娘であり、常日頃から華やかな着物に身を包んでいようと、好むのは質素な簪。飾り気のない着物。
宝石でもない。金でもない。大きな花でもない。
何処にでもあるようなありふれたものに対して、この少女は興味を示す。
光に目を奪われているその表情があまりにも無防備で、真白はほんの一瞬だけ言葉を失った。
「?」
突然何も言わなくなった真白を不審に思い、音羽は小首を傾げながら顔を見上げる。
そして、目を見開いて固まった。
「───は?」
雨が降っているわけでもないのに、真白の手の甲に雫が垂れる。
ゆっくりと頬に触れてみれば、何故が湿っていた。それに気づいた瞬間、ぐらりと視界が歪む。
「!!」
「だ、大丈夫です。何でも……な……」
何故、どうして。
意思に反して、涙が次から次へと溢れてくる。声を上げるわけでもなく、崩れ落ちるわけでもなく、ただ止め処なく涙が流れるだけ。
突っ立ったまま涙を流す真白を見兼ねた音羽は、背一杯背伸びをして涙を袖で拭った。
宿を出てからしばらく、真白は特に何も言わずに歩き続けていた。音羽もまた、隣を離れずにただついていく。
やがて、木々の隙間が途切れて視界がふっと開ける。
「……」
音羽の足が止まるのを合図に、真白も目の前の景色にはっと息を呑んだ。
そこにあったのは、誰もいない寂れた静かな海。
広がる水平線。淡い朝の光を受けて揺れる波。遠くで白く砕ける泡が、規則正しく寄せては返している。
音だけが、やけに大きい。
ざぁ、と風が吹いた。潮の匂いが一気に押し寄せてくる。
音羽は無意識に一歩、前へ出ていた。
砂浜は思っていたより柔らかくて、踏みしめる度に足元が沈む。
まるで、世界の境目に立っているようだった。
「ここが、あの人達が来ていた場所……」
何かを噛み締めるような真白の声が背後からする。いつも通り軽い調子なのに、その声音だけが少しだけ静かだった。
音羽は振り返らないまま、小さく頷く。
視線は、ずっと海から離れなかった。
――こんな場所が、本当にあったのか。ただそれだけで、胸の奥がざわつく。
その時、ふと、隣に気配が並んだ。
真白が横に立っている。潮風で白髪が揺れ、鈴が微かに鳴った。
「姫様」
呼ばれて、音羽はようやく横を見る。真白は海の方を見たまま、ぽつりと続けた。
「……思ってたより、静かですね」
ぴしり。喉の奥が、一瞬だけ軋む。
けれど、真白は表情を変えない。ただ、少しだけ目を細めた。
「まあ、悪くはないんじゃないですか」
そう言って、視線を逸らす。
まるで本当は「綺麗だ」と言いかけたことを、途中で無理やりねじ伏せたようだった。
音羽はその横顔を見たまま、ゆっくりと海へ向き直った。
波が寄せる。
白い泡が足元まで届いては、静かに消えていく。
その光景を見つめながら、音羽はそっと息を吐いた。
「あの堅物の塊みたいな大旦那が奥方とこんな場所に来ていたとは……世間は狭い」
「───」
声は聞こえなかった。
けれど、波打ち際へ屈み込んだ音羽の肩が小さく揺れている。
花が綻ぶように、柔らかく目が細められていた。
(ああ──俺なんかの前でしか笑えないなど……)
きっと、真っ直ぐきらびやかな海を見るべきなのだろう。
昨晩、祭りで打ち上げ花火を見た時もそう。どういうわけか、すぐ隣にある無邪気な少女の顔から目が離せなくなるのだ。
名家の娘であり、常日頃から華やかな着物に身を包んでいようと、好むのは質素な簪。飾り気のない着物。
宝石でもない。金でもない。大きな花でもない。
何処にでもあるようなありふれたものに対して、この少女は興味を示す。
光に目を奪われているその表情があまりにも無防備で、真白はほんの一瞬だけ言葉を失った。
「?」
突然何も言わなくなった真白を不審に思い、音羽は小首を傾げながら顔を見上げる。
そして、目を見開いて固まった。
「───は?」
雨が降っているわけでもないのに、真白の手の甲に雫が垂れる。
ゆっくりと頬に触れてみれば、何故が湿っていた。それに気づいた瞬間、ぐらりと視界が歪む。
「!!」
「だ、大丈夫です。何でも……な……」
何故、どうして。
意思に反して、涙が次から次へと溢れてくる。声を上げるわけでもなく、崩れ落ちるわけでもなく、ただ止め処なく涙が流れるだけ。
突っ立ったまま涙を流す真白を見兼ねた音羽は、背一杯背伸びをして涙を袖で拭った。

