一方の音羽は、もう隠す気もないのかじっと真白を見つめている。
真白は耐え切れなくなったように視線を逸らした。
「……で?」
軽く咳払いをすると、誤魔化すように話題を変える。
「今日は何か面白い話でもあるんです?」
その言葉に、女将は「ああ、そうだ」と思い出したように頷いた。
「そういえばねぇ」
湯呑みに茶を注ぎながら、懐かしそうに目を細める。
一連の動作を音羽は黙ってみていた。
「夜鷹さん達、この宿に来た後は決まって海へ行ってたんだよ」
「海?」
真白が片眉を上げ、女将の顔を飛び見た。
女将は湯呑みを二人の前へ置きながら、ゆっくり頷く。
「この先の岬に、小さな浜があるんだよ。人も少なくて静かな場所でねぇ」
女将は何処か遠い目をしながら、窓の外へ視線をやる。
まるでその浜辺の景色を、今でも思い出しているようだった。
「緋彩さんがその場所を気に入ってたみたいで、泊まりに来る度によく二人で見に行ってたんだ」
また知らない話が女将の口から語られた。
父と母が並んで海を見ている姿なんて、想像すらしたことがない。
女将は思い出し笑いのように、くすりと喉を鳴らす。
その声には昔を懐かしむ温もりが混じっていて、ただの噂話ではないことが伝わってきた。
「朝早くに出て行ってねぇ。帰って来る頃には、二人とも砂まみれで」
音羽が産まれるよりもずっと前の両親の話。橘家が“普通”の一家だった頃の、仲睦まじい夫婦の話だ。
「夜鷹さん、見た目は怖そうなのに緋彩さんには甘かったからねぇ。貝殻拾うの付き合わされたりしてたよ」
「……へえ」
真白が意味深に目を細めて相槌を打つ。
今の夜鷹からは想像もできない姿だった。妖の王のように恐れられる男が、浜辺で貝殻を拾う。滑稽なくらい穏やかな光景だ。
この女将は、ほんの少し前まで音羽が夜鷹に虐待を受けていたことなど知らない。今でも着物の袖の下の腕には火傷痕が残っているのに。
「今でも綺麗だよ、あの浜は」
端から長話をするつもりだったらしい女将は、自身の湯呑みに口を付けると窓の外を見た。
昨夜は気づかなかったが、この部屋の窓からは小さく海が見える。真白が「今度は海でも見ます?」と言ったのはこれが見えたからだ。
「海なんて、そうそう変わらないからねぇ」
「……」
十数年前の話だ。夜鷹と緋彩がこの宿に泊まり、その後に海に行ってはしゃいでいたことなど。
女将が言うことは最もである。何処までも繋がっている海が十数年やそこらで見違えることはない。
それでも、かつて自分の両親が愛した海が今もあるのか、音羽は微かに不安だった。
「行きますか」
そんな不安を感じ取ったのか否か、不意に真白の声が降ってくる。
音羽ははっと顔を上げた。
昨夜約束したではないか。また色んな場所に連れて行ってやると、そして、明日は海でも見に行こうと。
真白は頬杖をつきながら、面白そうに音羽を見ている。
「顔に出てますよ、姫様」
ぴしり。また首元に黒い紋様が浮かんだ。
視線を下げている女将はその模様に気づかない。ただ一人その模様を目にした音羽はもう驚かなかった。
代わりに、じっと真白を見る。
すると真白は「その目やめません?」とでも言いたげに眉を寄せ、小さく息を吐いた。
「……言ってしまったしね」
ちりん、と鈴が鳴る。
「暇潰しくらいにはなるでしょうし、連れてってあげます」
それから二人は、女将と別れると海へと向かった。
真白は耐え切れなくなったように視線を逸らした。
「……で?」
軽く咳払いをすると、誤魔化すように話題を変える。
「今日は何か面白い話でもあるんです?」
その言葉に、女将は「ああ、そうだ」と思い出したように頷いた。
「そういえばねぇ」
湯呑みに茶を注ぎながら、懐かしそうに目を細める。
一連の動作を音羽は黙ってみていた。
「夜鷹さん達、この宿に来た後は決まって海へ行ってたんだよ」
「海?」
真白が片眉を上げ、女将の顔を飛び見た。
女将は湯呑みを二人の前へ置きながら、ゆっくり頷く。
「この先の岬に、小さな浜があるんだよ。人も少なくて静かな場所でねぇ」
女将は何処か遠い目をしながら、窓の外へ視線をやる。
まるでその浜辺の景色を、今でも思い出しているようだった。
「緋彩さんがその場所を気に入ってたみたいで、泊まりに来る度によく二人で見に行ってたんだ」
また知らない話が女将の口から語られた。
父と母が並んで海を見ている姿なんて、想像すらしたことがない。
女将は思い出し笑いのように、くすりと喉を鳴らす。
その声には昔を懐かしむ温もりが混じっていて、ただの噂話ではないことが伝わってきた。
「朝早くに出て行ってねぇ。帰って来る頃には、二人とも砂まみれで」
音羽が産まれるよりもずっと前の両親の話。橘家が“普通”の一家だった頃の、仲睦まじい夫婦の話だ。
「夜鷹さん、見た目は怖そうなのに緋彩さんには甘かったからねぇ。貝殻拾うの付き合わされたりしてたよ」
「……へえ」
真白が意味深に目を細めて相槌を打つ。
今の夜鷹からは想像もできない姿だった。妖の王のように恐れられる男が、浜辺で貝殻を拾う。滑稽なくらい穏やかな光景だ。
この女将は、ほんの少し前まで音羽が夜鷹に虐待を受けていたことなど知らない。今でも着物の袖の下の腕には火傷痕が残っているのに。
「今でも綺麗だよ、あの浜は」
端から長話をするつもりだったらしい女将は、自身の湯呑みに口を付けると窓の外を見た。
昨夜は気づかなかったが、この部屋の窓からは小さく海が見える。真白が「今度は海でも見ます?」と言ったのはこれが見えたからだ。
「海なんて、そうそう変わらないからねぇ」
「……」
十数年前の話だ。夜鷹と緋彩がこの宿に泊まり、その後に海に行ってはしゃいでいたことなど。
女将が言うことは最もである。何処までも繋がっている海が十数年やそこらで見違えることはない。
それでも、かつて自分の両親が愛した海が今もあるのか、音羽は微かに不安だった。
「行きますか」
そんな不安を感じ取ったのか否か、不意に真白の声が降ってくる。
音羽ははっと顔を上げた。
昨夜約束したではないか。また色んな場所に連れて行ってやると、そして、明日は海でも見に行こうと。
真白は頬杖をつきながら、面白そうに音羽を見ている。
「顔に出てますよ、姫様」
ぴしり。また首元に黒い紋様が浮かんだ。
視線を下げている女将はその模様に気づかない。ただ一人その模様を目にした音羽はもう驚かなかった。
代わりに、じっと真白を見る。
すると真白は「その目やめません?」とでも言いたげに眉を寄せ、小さく息を吐いた。
「……言ってしまったしね」
ちりん、と鈴が鳴る。
「暇潰しくらいにはなるでしょうし、連れてってあげます」
それから二人は、女将と別れると海へと向かった。

