嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 思わず後退ろうとして、音羽の踵が畳へ引っ掛かる。がた、と小さく身体が揺れた。
 今まで勢いのまま真白について来ていたせいで、全く意識していなかった。
 一つの部屋。
 二人きり。
 朝まで。
 その事実を理解した途端、心臓がうるさいくらい鳴り始める。
 音羽は誤魔化すように視線を彷徨わせたが、そんな反応を真白が見逃すはずもなかった。

「おや、今更そこ気にするんです?」

 真白は面白がるように片眉を上げる。
 祭りではあれだけ無防備に隣を歩いていたくせに、今になって急に恥ずかしくなったらしい。
 赤くなった顔を隠そうと俯く音羽を見ていると、どうにも揶揄いたくなってしまう。

「手繋いで歩いてたくせに」
「……っ!!」

 音羽は慌てて近くにあった座布団を投げ付けた。
 真白はそれを片手で受け止める。

「危な」

 全く反省していない声だった。
 音羽は羞恥で真っ赤になったまま、ぷいっと顔を逸らす。
 そんな反応が面白くて堪らないのか、真白は肩を震わせた。けれど、ふと笑みが薄れる。
 視線が、音羽の横顔へ止まった。
 行灯の灯りに照らされた横顔は、何処か幼く見える。
 知らない世界を見て。
 笑って。
 驚いて。
 無邪気にはしゃいで。そんな姿を見る度に、胸の奥が妙に騒いだ。

(……本当に、参ったな)

 心の中でだけ、小さく呟く。
 本当のことを口にすれば、呪いが喉を裂く。だから、真白はいつもみたいに笑った。

「まあ」

 ごろん、と仰向けになりながら天井を見る。

「姫様みたいな子供相手に変な気起こしませんので、安心してください」

 その瞬間、ぴしり、と黒い紋様がまた首筋へ浮かび上がった。

「…………」

 音羽の動きを止め、目を見開いたまま固まった。
 今の言葉と同時に浮かび上がった黒い紋様を、今度こそはっきり見てしまったのだ。
 細い亀裂のような模様。まるで、呪いが肌の下を這っているみたいだった。
 今日だけで何度目だろう。
 真白は、何かを言う度に苦しそうな顔をする。しかも決まって、音羽に関することばかり。

「……」

 音羽はゆっくりと真白へ近付いた。
 真白は寝転がったまま片腕で目元を覆っている。
 誤魔化しているつもりなのかもしれないが、僅かに乱れた呼吸までは隠せていなかった。
 音羽はそっと畳へ膝をつく。
 それから恐る恐る、真白の袖を引いた。

「ん?」

 返事だけはいつも通り軽い。だが、顔を上げた真白と目が合った瞬間、音羽は迷うように視線を揺らした。
 やがて、近くに置かれていた筆と紙へ手を伸ばす。
 さらさら、と墨の音が響いた。
 真白は身体を起こし、紙へ視線を落とす。そこに書かれていた文字を見た瞬間、僅かに目を細めた。

 ┈┈┈┈┈┈┈┈

  いたいの?

 ┈┈┈┈┈┈┈┈

「……」

 一瞬だけ、真白の表情から笑みが消える。
 真っ直ぐな字だった。余計な探りも、恐れもない。ただ純粋に、自分を心配している文字。
 それが、妙に胸へ刺さった。
 真白は小さく息を吐く。それからいつものように、へらりと笑った。

「さあ?」

 真白はわざとらしく首を傾げる。
 まるで大したことではないと言いたげな、いつもの飄々とした態度。けれど、目元へ浮かぶ疲労だけは隠し切れていなかった。

「姫様があんまり手の掛かることするから、呪いまで呆れてるんじゃないですかねえ」

 その瞬間、また、ぴしり、と喉が裂けるように痛んだ。