嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 やけに女中の帰りが遅い。茶菓子を取りに行くだけでこんなにも時間が掛かるだろうか。
 何かあったのか?
 屋敷の中とは言え、それなりに部屋から台所までは距離がある。道中に問題が起きてもおかしくはない。
 探しに行くべきか。しかし、途中で入れ違いにでもなれば女中が心配する。ここは大人しく待っている方が良いのだろうか。
 焦りと不安から頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱されていく。
 頭を抱えて考えを巡らせていた、その時。

 ───コンコン。

 と、控えめに障子が叩かれた。
 ビクリと肩が跳ねる。すぐに顔を上げ、はっとしたように立ち上がった。
 きっと女中が戻ってきたのだ。まだ幼い少女だから、きっと準備に戸惑ったに違いない。
 足早に障子の前まで歩み寄った。
 胸の奥に僅かな高鳴りが生まれる。こんな風に、誰かを待つことができるのは、きっと――。

「…………っ?」

 障子を開いた先にいたのは、女中の少女ではなかった。
 そこに立っていたのは、強面の中年の男。無骨な顔立ちに刻まれた深い皺。鋭い目つきが、真っ直ぐにこちらを射抜いている。

音羽(おとは)
「!!」

 男の声にビクリと身体を震わせ、慌てて頭を下げる。
 どうして。
 どうして、この人がここに。
 逃げ場を失ったように身体が強張る。
 胸の奥で、何かが嫌な音を立てた。
 帰ってくる時間には、まだ早い。いつもなら、もっと後のはずだ。
 なのに、男は一歩、敷居を越えた。

「今日も許可なく外に出ていたらしいな」

 バッと顔を上げる。全身から血の気が引いていくのを感じた。
 おかしい、どうして今帰って来たばかりの父が外に出ていたことを知っている。
 庭に出ていたことを知っているのは、今父の隣で正座をして深く頭を提げている女中。

「何故、お前は約束守れないのだ」
「!……っ」
「我が子を傷付けなければならない親の身にもなってくれ」

 腕を強く捕まれ、部屋の中へと無理矢理連れ込まれる。
 容赦なく閉じられた障子の向こう側で、女中が「申し訳ございません。申し訳ございません」と何度も口にするのが聞こえていた。
 畳の上に叩きつけられ、顔を上げれば父が何処からとも無く取り出した葉巻に火を付ける。
 チリチリと音を立てながら燃える葉巻の先端が、着物の袖から覗く腕に向けられた。

「少しの辛抱だ。どうか、これに懲りたら外に出るなんて真似はしないでくれ」
「───っ!!!!!!」

 嫌だ。
 やめて。
 嫌だ。

 ───ジュッ。

 長く長く、判子を押すように葉巻が腕に押し付けられた。
 鋭く突き刺す痛みが腕を襲って、振り払おうと四肢を動かす。それなのに、父の身体を振り払うことはできなくて、畳に押し付けられたまま“罰”を与えられる。

「すまん、悪いとは思っているんだ」

 やがて、葉巻を握り潰すと、父は馬乗りになっていたところから立ち上がった。
 薄っすらと涙が浮かぶ光のない目で見下ろし、静かに吐き捨てる。

「呪いさえ無ければ……呪いさえ解ければお前は………」

 葉巻を押し付けられた腕を押さえて、畳の上に蹲っている状態で父の言葉など聞こえてこない。
 否、聞きたくなかった。いつも、罰を与えた後に同じことを言ってくるから、うんざりだったのだ。
 呪いさえ無ければ。
 呪いさえ解ければ、お前は普通になれるのに。そう父は言うのだ。

「───……」

 口を動かして誰に聞かれるでもない言葉を呟く。
 声にならないその言葉は、涙と共に消えていった。