嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 指先から伝わる体温に、音羽の肩が小さく揺れる。
 男の人の手をこんな風に握ったことなどない。
 それなのに真白は、変に意識した様子もなく音羽の手を引いた。

「ほら、はぐれられると面倒ですし」

 何処か投げやりな口調だった。
 音羽は少しむっとしながらも、振り払うことはしない。
 手を繋ぎ、真白は手を引いて前に、音羽は手を引かれるままに人混みの中を歩く。
 擦れ違う人々の声。
 提灯の灯り。
 下駄の音。
 その全部が、音羽には新鮮だった。
 ふと、道端の露店が視界へ入る。小さな布や簪を並べた店だった。
 色とりどりの飾りの中、一つだけ音羽の視線が止まる。
 白い小花を模した簪。
 真白はすぐにその視線へ気付いた。

「……姫様、趣味が子供っぽいですねえ」

 音羽はむっと頬を膨らませる。
 そんな反応を見て、真白は喉を鳴らして笑った。それから何気ない顔で店先へ近付き、簪を手に取る。

「まあ、似合わなくはないんじゃないですか」

 まるで大した感想ではないように言いながら、真白は自然な動作で音羽の髪へ手を伸ばした。

「……!」

 白い指先が髪に触れ、びくり、と音羽の身体が強張る。
 さらり、と柔らかな髪が揺れた。
 真白は簪を差し込み――その瞬間、喉の奥が、ぴり、と焼けた。

『綺麗だ』

 反射みたいに浮かびかけた言葉を無理矢理飲み込む。
 鋭い痛みと共に黒い紋様が首筋へ微かに浮かび、その後すぐ消えた。
 一瞬だけ項に触れ、それから何事もなかったように笑う。

「……まあ、多少は見れる顔になりましたねえ」

 明らかにわざとらしい言い方だった。本当はこんなことを言いたいわけではない。それなのに、現実は本心を口にすることを許してはくれない。
 けれど、音羽はそんな真白の違和感に気づかなかった。
 ただ、顔を赤くしたまま俯く。そんな横顔を見て、真白はふっと目を細めた。

(参ったな)

 本当に、可愛いと思ってしまった。
 橘の屋敷にいた時から豪奢な着物を着ていたが、いつだって髪は伸ばしっぱなしでボサボサだった。
 それがどうだ。軽く簪でまとめただけで見違えた姿になる。
 やはり、あの屋敷にいたままでは音羽は己が持ちうる美しさに気づくことすらできないままだったようだ。

「おや、お兄さん」

 その時、不意に店主がにやにやと笑いながら口を挟んだ。

「随分と大事そうじゃないかい」
「は?」

 真白が胡乱げに眉を寄せ、分かりやすく苛立ちを見せる。
 店主は面白そうに笑いながら音羽と真白を見比べた。

「若い男女が手ぇ繋いで、簪まで買ってりゃ分かるよ」
「いやいや」

 決して音羽の方には視線を向けず、自然に手を離す。

「そんな面倒な関係じゃありませんよ」

 首を振りながら口ではそう言う。店主を見る目に大した感情の色はなかった。
 けれど、音羽は離れてしまった真白の手を見つめたまま固まる。
 それからぱちぱちと瞬きを繰り返した後、じわじわと顔を赤くした。
 真白はそれに気付き、わざとらしく溜息を吐く。

「何です、その反応」

 音羽は慌てて首を横に振る。違う、そうじゃない、と言いたかった。
 けれど声にならない。
 さっきまで真白と繋いでいた右手を自身の左手で握って、視線を下げる。簪で髪を上げたことで、真っ赤になった耳が見えていた。

「……」

 何故、雇われの身でしかない真白の言葉の一つ一つに、この姫君は感情を大袈裟に見せるのか。
 その疑問の答えが少し分かってしまった気がして、真白は思わず視線を逸らす。

「……姫様、行きましょう」

 視線を逸らして強引に話を切り上げる真白を見て、音羽はきょとんとする。
 背後から感じる視線に意識を向けないようにした。その視線を見てしまえば、きっと立ち止まってしまう。
 何を言うでもなく口を開くと、喉の奥がまた嫌な熱を持った。

 ――好きだ。

 そう思った瞬間、ずきり、と首筋へ痛みが走った。
 黒い紋様が薄く滲み、首筋を侵していく。
 真白は舌打ちしそうになるのを堪えた。
 面倒な呪だ。本当に肝心なことだけ、綺麗に奪っていく。