嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 じっくりとそんな景色を見て、音羽は小さく息を吐く。
 それから少しして、そっと枝を持ち直すと、再び地面へ文字を書き始めた。
 さらさらと迷いのない文字が地面に刻まれる。
 真白は何気なく視線を落とし、少しだけ目を瞬いた。

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  たのしい

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 音羽の足元に刻まれたのは、あまりにも真っ直ぐな言葉だった。

「……」

 音羽は照れ臭そうに視線を逸らす。けれど、その横顔は隠しきれないほど嬉しそうで、真白は思わず吹き出した。

「姫様」

 くつくつと喉を鳴らしながら、真白は面白そうに音羽を見下ろす。
 少し屋台を歩いただけ。
 飴細工を買っただけ。
 それだけで目を輝かせているのだから、揶揄いたくもなる。

「貴方、案外ちょろいですねえ」

 意思に反して、口から飛び出すのは意地悪な言葉ばかり。真白の言葉を真に受けた音羽が、む、と睨み付けた。
 すぐさま枝を動かし、地面へ乱暴に文字を書く。

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  ちがう

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「はいはい」

 真白は笑ったまま、視線を逸らして適当に流す。
 その態度が余計に気に入らなかったのか、音羽は頬を膨らませた。そんな子供みたいな反応すら、真白には妙に新鮮だった。
 橘家で見た音羽は、もっと静かで、壊れ物のような娘だったから。
 こうして感情を表へ出す姿など、想像もしていなかった。

「……」
「何です?」

 ある一点を見つめた音羽が真白の着物の裾を引いた。つられて視線を向ければ、そこには池がある。
 広場の中央にある池の周りからは、賑やかな笑い声が響いた。
 五、六歳ほどの子供達が池の中で泳いでいる鯉を眺めたり、水面に指先を付けたりして遊んでいる。
 何気ない日常の一部分であるその光景は、音羽にとって願っても手に入れられなかったものだった。
 子供達を見る音羽の目に一抹の悲しみが滲む。羨ましいという想いと、もう手にできないという悲しみ。
 時に、子供の一人が転びそうになり、慌てて母親らしき女性が抱き留めた。
 叱るような声が広場中に響く。それでも子供はけらけらと笑っていた。

「───……」

 その光景をじっと見つめる音羽の口元が、その時ほんの僅か開いた。
 何と言ったのか声にはならないが───。

『いいな』

 そう呟いたように思えた。真白は横目でそんな様子を眺める。
 橘家で閉じ込められて育った音羽には、きっと縁のない景色だった。

「姫様」

 静かな声が聞こえて、音羽ははっと振り返る。
 穏やかな真白の瞳が細められ、少しの間が空く。
 真白は頬杖をつきながら、何でもないことのように口を開いた。

「まだ夜は長いですし」

 チリン、と鈴が鳴る。

「もう少し攫われてみます?」

 何処に潜ませているのか分からない鈴の音が、真白が身動きする度に聞こえる。
 音羽は何を言われたのか理解できず、ぽかんと口を開けて固まった。
 それから、ほんの少し迷うように視線を彷徨わせた後、こくりと頷いた。
 その反応を見た瞬間、真白は堪え切れずに笑う。

「ははっ、本当に警戒心ないですねえ」

 真白は立ち上がると、当たり前に音羽へ手を差し出した。
 音羽は少しだけその手を見つめる。
 鈴を鳴らし、妖を祓い、自分を連れ出した手。ゆっくりと、恐る恐る音羽はその手へ自分の指先を重ねた。
 その瞬間、真白の指が僅かにぴくりと動いた。