嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 流れ出る涙を拭われる度に、音羽は目の前の存在に飛びつきたくなった。
 嘘ばかりを吐いて意地悪なことしか言わない。それなのに、優しい笑みを向けてくるのは変わらなくて。

「そんなに泣かれると、俺が虐めたみたいじゃないですか」

 いつも通りの胡散臭い声音なのに、涙を拭う指先は驚くほど優しかった。
 音羽は唇を震わせながら、必死に涙を堪えようとする。
 みっともない。
 こんな風に誰かの前で泣くなんて。けれど、一度溢れた涙は止まってくれなかった。
 怖かった。
 死ぬと思った。
 なのに、真白が現れた瞬間、全部解けてしまったのだ。
 真白はそんな音羽を見つめた後、ふっと目を細める。

「……ちゃんと呼べたじゃないですか」

 チリン。
 鈴が鳴る。

「偉い偉い」

 まるで幼子を褒めるような口調で、ポンポンと頭を撫でる。

 ――グルルルル……

 穏やかな空気が流れるかと思われたその時、低い唸り声が辺りに響いた。
 押さえ込まれていた妖が、再びゆっくりと身体を起こし始めている。
 白い術式に焼かれながらも、濁った無数の目が真っ直ぐ音羽を見ていた。
 執着。
 飢え。
 異様なほどの渇望。
 それらを感じ取った悠真が険しい顔で呟く。

「……まだ動くのですか………」
「そりゃあ動くでしょう」

 真白は立ち上がりながら、気怠げに肩を竦める。

「姫様の声に惹かれて出てきたんですから」

 鋭く細められた悠真の目が真白を射抜く。
 聞き間違いであってほしいと確認するように、ゆっくりと言葉を繰り返した。

「……今、何と?」

 悠真の表情から、完全に笑みが消えていた。先程までの余裕も、愉しむような色もない。

「おっとと、これ以上は言ったら駄目だなぁ」

 チリン。
 鈴が鳴る。
 同時に、妖がびくりと身体を震わせた。鈴がなる度に、その身を縮ませている。
 真白は背後の音羽を庇うように前へ出ると、真っ白の長方形の紙を掲げた。

「久我の坊ちゃん」

 白い術式が、真白の足元から静かに広がっていく。それと同時に、真っ白だったはずの紙には、朱色で文字が浮かび上がった。

「姫様をあんな化け物の前に連れてくるなんて、趣味が悪いにも程がありますよ」

 白い術式が、じわりと廊下を侵食していく。
 床へ刻まれた文字が淡く発光し、空気中を漂っていた妖気を押し潰すように軋ませた。
 それでも、異形の妖は止まらない。
 どろり、と溶けた腕を引き摺りながら、無数の目で真っ直ぐ音羽を見据えている。

 ――ヨコセ。

 耳ではなく、頭の奥へ直接響くような声だった。
 音羽は咄嗟に両耳を押さえ、ぎゅっと強く目を瞑る。
 その瞬間、す、と真白の袖が視界へ入った。まるで“見るな”と遮るようにだ。

「姫様」

 真白は振り返らないまま、穏やかに告げる。

「目、合わせちゃ駄目ですよ」

 チリン。
 鈴が鳴る。
 次の瞬間、真白の周囲へ、幾重もの白い札がふわりと浮かび上がった。