嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 屋敷の奥。封印が破られたという方向から、濃密な妖気が流れ込んでくる。
 至る所で使用人達が小さく悲鳴を上げた。

「悠真様……!」
「騒ぐな」

 手で空気を払いながら鋭く言い放つ。
 その声音に先程までの穏やかさは消えていた。
 悠真は静かに目を細め、廊下の奥を睨む。

「妙ですね」

 何が起きているのか分からない音羽は、悠真の背中越しに廊下の先を覗いた。
 その先から感じる重苦しい空気に、思わず顔を顰める。

「第三蔵に封じていた妖は、外へ出られるほど強くない」

 なのに封印が壊れた。決して壊れぬように強い結界と拘束によって封じていたのに。
 誰かが意図的に壊したように、今はその封印が解けてしまっている。
 悠真はそこでふと何かに気付いたように目を伏せ、小さく笑った。

「……なるほど」

 その笑みは、先程までとは別種のものだった。

「邪魔が入ったわけですか」

 背中越しで分かるほどの強い憎悪が首を絞める。
 今すぐにでもこの場を離れないと危険だと本能が叫び、一歩後ずさった時。

「姫君」

 穏やかな声音が音羽の動きを止めた。
 逃げ出そうとしたことを知ってか知らずか、振り返った悠真は貼り付けた笑みを浮かべる。
 ここまで連れてくる時と同じように手を伸ばして問うた。

「少し、付き合っていただけますか」
「……?」

 返事を待つことなく、白い指先が音羽の手首を掴んだ。
 優しさなど微塵もない、乱暴に掴まれた手首に鋭い痛みが走る。
 冷たい。
 まるで死人ような温度だった。
 そのまま半ば強引に歩き出され、音羽は慌てて後を追うしかない。

「悠真様、危険です!」

 背後で使用人が悲鳴のような声を上げる。けれど、悠真は振り返りもしなかった。

「だからですよ」

 淡々としたその声は、使用人達にも音羽にも言い聞かせるようだった。
 最も、音羽をこの場所から逃がすまいと縛り付けるために。

「何が起きているのか、確かめないと」

 廊下を進むにつれ、空気が変わっていく。
 息が白くなるほどではないのに、肌の内側へじわじわ染み込むような寒気があった。
 壁に貼られた札が、一枚、また一枚と黒く焦げている。
 びり、びり、と嫌な音を立てながら端から崩れていった。

「……っ」

 音羽は思わず肩を震わせる。
 その瞬間、ぴたり、と悠真が足を止めた。
 視線の先にある重々しい鉄扉が半分ほど開いている。
 第三蔵。
 本来なら幾重もの封印で閉ざされているはずの場所。その隙間から、どろりと濃い妖気が流れ出していた。
 まるで、巨大な獣が息をしているように。
 悠真に掴まれた手首からもその妖気を感じ、ぞわり、と音羽の首筋が粟立つ。

「……有り得ない」

 床には破れた札が散乱している。辺りに視線を向ければ、何人もの使用人が壁際で倒れていた。
 意識はあるのか、ないのか誰も動かない。
 音羽がそんな彼らに駆け寄ろうとしたその時。

 ――ォォォォ……

 蔵の奥から、低い唸り声のようなものが響いた。
 ぐちゃり、と、蔵の奥で“何か”が動く。
 巨大な影。
 黒く歪んだ塊が、ゆっくりと扉の向こうから這い出てくる。
 人の形に似ているのに、人ではない。
 幾つもの腕。
 裂けた口。
 どろどろと溶け続ける肉。
 そして、その無数の目が、一斉に音羽を見た。
 瞬間、妖が歓喜したように嗤った。

 ――見ツケタ。

「……っ!?」

 音羽の身体が強張り、咄嗟にすぐ傍の壁に身を寄せた。
 妖気が一気に膨れ上がる。廊下の札が次々に破裂し、激しい揺れが屋敷を襲った。

「姫君、下がっ――」

 振り返った悠真が言い終わるより早く、黒い影が音羽目掛けて飛び掛かった。