嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 昏い瞳が、じっと音羽を射抜いている。
 逃げたい。
 本能がそう叫んでいるのに、足が動かなかった。
 悠真はそんな音羽の反応を満足そうに眺めながら、そっと手を伸ばす。

「……安心してください」

 白い指先が、音羽の髪へ触れかける。既の所で音羽は顔を背け、小さく首を振った。

「別に、今すぐどうこうするつもりはありません」

 その言葉が本当かどうかなど分からない。
 けれど、少なくとも悠真が“音羽に強い興味を抱いている”ことだけは痛いほど伝わってきた。
 逃げ場のない視線。
 値踏みするような眼差し。
 まるで、珍しい呪具でも見つけたような粘っこい視線。
 どれを取って見ても不快だった。

「ただ――」

 悠真が何かを言いかけた、その時だった。
 チリン。
 不意に、鈴の音が響く。

「……?」

 音羽の肩がぴくりと震え、咄嗟に背後の廊下の先へと振り返る。
 聞き間違えるはずがない。
 あの音だ。
 あの日、真白から渡された根付に付いていた鈴と同じ音だった。
 悠真も気付いたのか、僅かに眉を寄せる。

「今の音は……」

 次の瞬間、ばちり、と廊下の札が一斉に揺れた。
 空気が変わる。ぞわり、と肌を撫でる冷たい気配。
 悠真は目を細め、音羽を挟んでその先を睨め付ける。

「……妖気?」

 二人が廊下の先から漂ってくる禍々しい気配に気づいた直後。
 屋敷の奥から、悲鳴が響いた。

「きゃあああっ!!」

 女の悲鳴に続けて、何かが壊れる激しい音が響き渡る。
 悠真の表情から、初めて余裕が消えた。
 音羽を背に隠すようにして前に立つと、暗がりに向かって叫ぶ。

「何事です」

 直後、廊下を駆ける足音が近付いてくる。
 暗がりの中から突如として青ざめた顔をの衣装人が飛び出してきて、悠真に縋り付くようにして顔を上げた。

「悠真様! 封が……第三蔵の封印が破られました!」

 その瞬間、悠真の纏っていた空気が変わる。
 先程までの粘つくような興味の色が消え、素なのであろう鋭さが露わになった。

「どういうことです」
「わ、分かりません……! 突然札が燃え始めて……!」

 使用人は今しがた目にしたものを思い出し、震える声で訴え掛ける。
 ただならぬ事が置きていることくらい、音羽にも分かった。
 悠真は舌打ち混じりに目を細めると、低く呟く。

「封印が内側から暴れている……?」

 その声音には、僅かな焦りが滲んでいた。
 音羽は思わず顔を上げる。
 先程まで余裕を崩さなかった悠真が、初めて動揺している。
 悠真は何かを考えるように視線を伏せた後、ふと音羽を見た。

「……姫君」
「?」
「貴方、妖に好かれたことは?」

 意味の分からない問いに、音羽は怪訝な顔を悠真に向けた。
 けれど、その瞬間、びくり、と胸が跳ねる。
 思い返せば昔からそうだった。
 屋敷の奥で独り過ごしていると、誰もいないはずの場所で気配を感じることがある。
 庭へ出れば、鳥も虫も妙に近寄ってきた。
 夜中、障子の向こうに“何か”が立っていたことも、一度や二度ではない。
 けれど、それを口にすることは許されなかった。
 忌み子だから。
 呪われているから。
 だからお前には変なものが寄ってくるのだと、そう言われ続けてきた。
 悠真は音羽の反応だけで察したように、小さく息を吐く。

「成程」

 一つ頷くと、すっと光のない冷えた視線を向けた。

「やはり、ただの呪いではない」

 その目が向けられるのは、音羽の顔ではなく首元。
 厚く巻かれた包帯の下にあるものがズキンと痛んだ気がした。
 そんな首元を見る目には、先程までの“興味”とは違う。もっと確信に近い色がその瞳に滲んでいる。

「橘家は、何を隠しているんです?」
「……っ」

 この状況が危険であると瞬時に理解した音羽は、反射的に首を横に振った。
 知らない。
 本当に、何も知らない。
 自分が何なのかすら。
 けれど悠真は、そんな否定を信じていないようだった。

「知らされていないだけですか」

 溜息混じりに吐き出した時、辺りに漂う空気が一層重みを増した。