薄曇りの空だった。
雨こそ降っていないものの、重たい雲が空一面を覆い隠し、昼間だというのに薄暗い。
そんな空模様を眺めながら、真白は古びた茶屋の二階で頬杖をついていた。
机の上には、数枚の紙。
橘家。
久我家。
そして、びっしりと書き込まれた屋敷の見取り図。
「……面倒ですねえ」
心底うんざりしたように呟き、真白は紙を一枚摘み上げる。
久我家の資料だ。
妖を祓い、呪具を扱う家系。
表向きは名家として名を馳せているが、裏では随分ときな臭いことをしているらしい。
祓った妖を保管。
利用。
加工。
噂程度には聞いていたが、調べれば調べるほど趣味が悪い。
「まあ、妖相手に慈悲を持つ必要はない、ですか」
くつくつと喉を鳴らして笑う。
紙に記されているのは、久我家が扱ってきた呪具の記録。
妖の骨。
血。
爪。
霊力の高い生き物ほど、加工された時に強い力を宿すらしい。
その記述を追っていた真白の指先が、不意に止まる。
“人ならざる血を引くもの”
その一文を見た瞬間、真白は小さく笑った。
「……音羽様まで材料扱いされるのは気に入りませんね」
あの姫は、自分がどれだけ危うい立場にいるのか理解しきれていない。
忌み子。
呪われた姫。
声を奪われた存在。
そんなもの、妖や呪に関わる者からすれば“珍品”以外の何物でもない。
久我悠真が興味を持たないはずがなかった。
真白は椅子へ深く背を預け、天井を見上げる。
「一週間、ですか」
真白は、音羽の元へ見合いの話が持ち込まれる未来を既に視ていた。
だからこそ、あの日あの部屋で“逃げるか”と問いかけたのだ。
そして実際に見合いの日取りを聞かされた時、真白は確信する。
橘夜鷹は、焦っている。
呪が進行する前に。
音羽が壊れてしまう前に。
あるいは、“橘では抱えきれなくなる前に”。
久我家へ渡そうとしているのだと。
娘を閉じ込め続けることにも限界が来ているのだろう。
呪は進行している。だから久我へ渡そうとしている。“橘家では抱えきれなくなったもの”として。
「最低ですねえ」
ぽつりと零しながらも、その声音に怒りはない。ただ事実を述べているだけだった。
と、その時。不意に、背後の障子の向こうで気配が止まった。
真白は机に頬杖をついたまま、薄く目を細める。
「陰陽師」
不意に、背後から低い声が響いた。
聞き慣れたその声は、低く抑え込まれた声音を宿している。
感情を押し殺した話し方。けれど、その奥には常に張り詰めたものがあった。
「勝手に入ってくるの、感心しませんよ」
「貴様に礼儀を説かれる筋合いはない」
ぴしゃりと言い返され、真白はようやく肩越しに視線を向けた。
障子を開けて入ってきたのは、黒い着物を纏った男。
橘夜鷹。
相変わらず感情の見えない顔をしている。人間味の薄い男だ、と真白はぼんやり思った。
「それで?」
真白は机の上の紙をひらひらと揺らしながら、一段落とした声で言った。
「娘を売り飛ばす覚悟は決まりましたか」
空気がぴたりと凍り付いた。
夜鷹の目が鋭く細められる。まるで刃物のような視線だったが、真白は笑みすら崩さない。
むしろ、相手の反応を観察するように楽しげに目を細めている。
「言葉を選べ」
「事実でしょう」
真白は机の上に散らばった資料を指先で叩いた。
久我家の記録。
呪具。
妖。
霊力。
そこに並んでいるのは、人を人として扱うための言葉ではない。
「久我が欲しがってるのは“姫様”じゃない。橘に生まれた呪い付きの娘だ」
「……お前に何が分かる」
低く押し殺した声だった。
怒りなのか、苛立ちなのか、それとも別の感情なのか。夜鷹の表情からは読み取れない。
けれど、その一言だけは妙に重かった。
「私は、あれを守るために――」
雨こそ降っていないものの、重たい雲が空一面を覆い隠し、昼間だというのに薄暗い。
そんな空模様を眺めながら、真白は古びた茶屋の二階で頬杖をついていた。
机の上には、数枚の紙。
橘家。
久我家。
そして、びっしりと書き込まれた屋敷の見取り図。
「……面倒ですねえ」
心底うんざりしたように呟き、真白は紙を一枚摘み上げる。
久我家の資料だ。
妖を祓い、呪具を扱う家系。
表向きは名家として名を馳せているが、裏では随分ときな臭いことをしているらしい。
祓った妖を保管。
利用。
加工。
噂程度には聞いていたが、調べれば調べるほど趣味が悪い。
「まあ、妖相手に慈悲を持つ必要はない、ですか」
くつくつと喉を鳴らして笑う。
紙に記されているのは、久我家が扱ってきた呪具の記録。
妖の骨。
血。
爪。
霊力の高い生き物ほど、加工された時に強い力を宿すらしい。
その記述を追っていた真白の指先が、不意に止まる。
“人ならざる血を引くもの”
その一文を見た瞬間、真白は小さく笑った。
「……音羽様まで材料扱いされるのは気に入りませんね」
あの姫は、自分がどれだけ危うい立場にいるのか理解しきれていない。
忌み子。
呪われた姫。
声を奪われた存在。
そんなもの、妖や呪に関わる者からすれば“珍品”以外の何物でもない。
久我悠真が興味を持たないはずがなかった。
真白は椅子へ深く背を預け、天井を見上げる。
「一週間、ですか」
真白は、音羽の元へ見合いの話が持ち込まれる未来を既に視ていた。
だからこそ、あの日あの部屋で“逃げるか”と問いかけたのだ。
そして実際に見合いの日取りを聞かされた時、真白は確信する。
橘夜鷹は、焦っている。
呪が進行する前に。
音羽が壊れてしまう前に。
あるいは、“橘では抱えきれなくなる前に”。
久我家へ渡そうとしているのだと。
娘を閉じ込め続けることにも限界が来ているのだろう。
呪は進行している。だから久我へ渡そうとしている。“橘家では抱えきれなくなったもの”として。
「最低ですねえ」
ぽつりと零しながらも、その声音に怒りはない。ただ事実を述べているだけだった。
と、その時。不意に、背後の障子の向こうで気配が止まった。
真白は机に頬杖をついたまま、薄く目を細める。
「陰陽師」
不意に、背後から低い声が響いた。
聞き慣れたその声は、低く抑え込まれた声音を宿している。
感情を押し殺した話し方。けれど、その奥には常に張り詰めたものがあった。
「勝手に入ってくるの、感心しませんよ」
「貴様に礼儀を説かれる筋合いはない」
ぴしゃりと言い返され、真白はようやく肩越しに視線を向けた。
障子を開けて入ってきたのは、黒い着物を纏った男。
橘夜鷹。
相変わらず感情の見えない顔をしている。人間味の薄い男だ、と真白はぼんやり思った。
「それで?」
真白は机の上の紙をひらひらと揺らしながら、一段落とした声で言った。
「娘を売り飛ばす覚悟は決まりましたか」
空気がぴたりと凍り付いた。
夜鷹の目が鋭く細められる。まるで刃物のような視線だったが、真白は笑みすら崩さない。
むしろ、相手の反応を観察するように楽しげに目を細めている。
「言葉を選べ」
「事実でしょう」
真白は机の上に散らばった資料を指先で叩いた。
久我家の記録。
呪具。
妖。
霊力。
そこに並んでいるのは、人を人として扱うための言葉ではない。
「久我が欲しがってるのは“姫様”じゃない。橘に生まれた呪い付きの娘だ」
「……お前に何が分かる」
低く押し殺した声だった。
怒りなのか、苛立ちなのか、それとも別の感情なのか。夜鷹の表情からは読み取れない。
けれど、その一言だけは妙に重かった。
「私は、あれを守るために――」

