嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 固く手を握られ、半ば強引に立ち上がらせられる。そのまま手を引かれるまま動き出せば、宗一郎によって障子が開かれた。
 外へ出た瞬間、屋敷の冷えた空気が肌を撫でる。
 廊下は薄暗く、昼間だというのに陽の光がほとんど入らない。
 天井からは無数の札が吊るされ、風もないのに微かに揺れている。
 微かに聞こえる鈴の音。
 何処かで誰かが呪を唱えているような低い声。
 気味が悪い。
 歩けば歩くほど、この屋敷そのものが巨大な呪具のように思えてくる。

「随分と怯えてらっしゃいますね」
「……っ」

 まるで子供を宥めるような優しい声音だった。
 けれど、その言葉を聞いた瞬間、音羽の背筋を冷たいものが這い上がる。

「大丈夫ですよ。この屋敷は妖を閉じ込めるための場所ですから」

 その言葉に、音羽の肩がぴくりと震えた。
 妖を閉じ込める。
 それはまるで、自分のことを言われているようだった。
 悠真はそんな音羽の反応を楽しむように眺めながら、廊下の奥へ進んでいく。

「橘家の姫君なら、興味があるでしょう?」

 やがて、一枚の重たい扉の前で足を止めた。
 ぴたり、と、貼り付けられていた札の一枚が揺れる。 その瞬間、扉の向こうから何かが蠢くような気配がした。
 肌が粟立って、冷たい嫌な気配が押し寄せてくる。
 本能が“近付いてはいけない”と訴えてくるほどに、この場は異様だった。
 扉一面に札が何重にも、何十枚も、まるで、中にいる“何か”を封じ込めるように貼られている。
 悠真は細めた目で微笑みながら、そっと扉に手を掛けた。

「――久我家の宝物をお見せします」

 ぎぃ、と、重たい音を立てながら、ゆっくりと扉が開かれていく。
 その瞬間、ぶわり、と生温い風が吹き出した。

「……っ!!」

 音羽は思わず口元を押さえる。
 臭い。
 血とも、腐臭とも違う。
 もっと濃く淀んだ、何か禍々しい匂いが鼻腔を鋭く突き刺す。
 部屋の中は薄暗く、天井近くに吊るされた灯籠だけがぼんやりと揺れていた。
 その淡い灯りの下に、無数の硝子瓶が並んでいる。

「……?」

 大小様々な瓶。
 棚一面にずらりと並べられたそれらの中で、黒い靄のようなものが蠢いている。
 否、靄ではない。
 よく見れば、それは顔だった。
 人とも獣ともつかない歪な顔が、瓶の内側からこちらを見ている。
 口を開け、何かを叫ぶように、硝子を引っ掻くように。
 助けを乞うように音羽へ血走った目を向けている。
 それらの目を見た瞬間、ぞわり、と音羽の背筋に悪寒が走った。

「妖ですよ」

 悠真は、まるで自慢の蒐集品でも見せるように、並んだ瓶へ視線を向けた。
 灯籠の淡い灯りに照らされ、硝子の奥で黒い影がゆらゆらと揺れている。その度に、部屋の奥から掠れた呻き声のようなものが聞こえた気がした。
 音羽は思わず息を呑み、袖の中で指先を強く握り締める。

「久我家では、祓った妖をこうして保管しているんです」
「……っ」
 
 保管。
 その言葉に、音羽の喉奥がひゅっと狭まる。
 まるで生き物ではなく、価値ある品でも並べるみたいな口振りだった。
 硝子越しに蠢く影達を見つめながら、音羽は堪えきれずじり、と後ろへ足を引く。
 逃げたい。
 これ以上、この場所にいたくない。
 けれど、繋がれた手はびくともしない。悠真の細い指先だけが、妙に冷たかった。

「妖は便利ですからね」

 徐ろに手を離したかと思えば、悠真は棚の一つへ歩み寄ると、小さな瓶を手に取った。
 その中には、黒い蛇のような影が閉じ込められている。

「呪具の素材にもなりますし、力にもなる」
 
 瓶の内側で黒い影が激しく蠢くたび、掠れた悲鳴のような音が微かに響く。
 悠真はそれを気味悪がるどころか、愉快そうに眺めている。
 その昏い瞳が、ゆっくりと音羽へ向けられた。

「橘家も多少は妖と関わりがあるでしょう?」
「!!」
 
 心臓が嫌な音を立てた。
 息が詰まり、音羽は思わず顔を上げる。視線の先で、悠真は相変わらず穏やかに微笑んでいた。
 けれど、その目だけが違う。
 昏く沈んだ瞳が、逃さないと言わんばかりに音羽を見据えている。