どうして、こんな所へ来てしまったのだろう。
割れた根付の欠片を見つめたまま、音羽は唇をきゅっと噛み締める。
胸の奥が痛い。
苦しい。
息が詰まりそうなのに、声は出ない。
帰りたい。
あの閉ざされた部屋へ。
庭しか見えない狭い世界へ。
つい昨日まで、あれほど嫌だったはずなのに。少なくとも、こんな風に見世物のように扱われることはなかった。
「そんな顔をしないでください」
悠真は掴んでいた手首をゆっくり離しながら、音羽の頬に触れる。
そこには、赤い指の痕が薄く残っていた。
「貴方はこれから、久我の人間になるかもしれないんですから」
「……っ」
なるかもしれない。その言葉だけで、喉の奥がひどく苦しくなる。
音羽のことを声を出せない人形としか思っていない相手と一緒になるなど、死んでも嫌だ。
けれど、拒絶はできない。
悠真との見合いも、これから先の音羽の人生も、全ては父が決めたことだから。
橘の娘として従わなければならないから。
音羽は震える指先を袖の中へ押し込み、俯いたまま小さく頷いた。
それを見た悠真は、満足そうに笑う。
「ええ、素直な方は嫌いではありません」
その後も、悠真は楽しげに話し続けた。
久我家がどれほど優れているか。
どれほど多くの妖を祓ってきたか。
どれほど価値のある呪具を扱っているか。
まるで、自分の蒐集品を自慢する子供のように、次から次へと口を開いては言葉を羅列する。
音羽は返事ができるわけでもなく、ただ頷くことしかできない。
何を言われても。
何を決められても。
声を持たない自分には、拒む術などないのだから。
時間だけが、じわじわと過ぎていく。
香の匂いが重い。その匂いを嗅ぐ度に頭がぼんやりする。
逃げたい。ここから、今すぐ。
ふと、脳裏に白い髪を靡かせる男の姿が浮かんだ。
『俺と共に逃げよう』
優しく細められた目。
悪戯っぽい笑み。
あの夜、手の甲へ落とされた口付け。
割れてしまった根付を思い出し、胸の奥がきゅうっと締め付けられる。
(……真白)
名前を呼びたかった。
声にならなくてもいいから、助けて、と。ただ、自分でも聞いたことのない声で言いたかった。
「興が削がれてしまいましたね。少し、外に出ませんか?」
「?」
悠真はゆるりと立ち上がった。病弱と聞いていた割に、その動作には妙な滑らかさがある。
白い指先で着物の裾を払うと、悠真は音羽へ手を差し出した。
「この屋敷をご案内します」
「……」
音羽は迷うようにその手を見つめる。その手を握れば、合意を結ぶことと同じ。
本当なら触れたくない。
できるならば、今すぐこの場から逃げ出したい。けれど、拒めないのが現実。
視線を上げれば、背後に控える女中達が静かに頭を下げている。
断るという選択肢など最初から存在していないのだ。
得も言われぬ寂しさを覚えつつ、ゆっくりと手を重ねると、悠真は満足そうに目を細めた。
「良い子ですね」
その言葉に、胸の奥がちくりと痛む。
まるで、人ではなく従順な獣として褒められているようだった。
割れた根付の欠片を見つめたまま、音羽は唇をきゅっと噛み締める。
胸の奥が痛い。
苦しい。
息が詰まりそうなのに、声は出ない。
帰りたい。
あの閉ざされた部屋へ。
庭しか見えない狭い世界へ。
つい昨日まで、あれほど嫌だったはずなのに。少なくとも、こんな風に見世物のように扱われることはなかった。
「そんな顔をしないでください」
悠真は掴んでいた手首をゆっくり離しながら、音羽の頬に触れる。
そこには、赤い指の痕が薄く残っていた。
「貴方はこれから、久我の人間になるかもしれないんですから」
「……っ」
なるかもしれない。その言葉だけで、喉の奥がひどく苦しくなる。
音羽のことを声を出せない人形としか思っていない相手と一緒になるなど、死んでも嫌だ。
けれど、拒絶はできない。
悠真との見合いも、これから先の音羽の人生も、全ては父が決めたことだから。
橘の娘として従わなければならないから。
音羽は震える指先を袖の中へ押し込み、俯いたまま小さく頷いた。
それを見た悠真は、満足そうに笑う。
「ええ、素直な方は嫌いではありません」
その後も、悠真は楽しげに話し続けた。
久我家がどれほど優れているか。
どれほど多くの妖を祓ってきたか。
どれほど価値のある呪具を扱っているか。
まるで、自分の蒐集品を自慢する子供のように、次から次へと口を開いては言葉を羅列する。
音羽は返事ができるわけでもなく、ただ頷くことしかできない。
何を言われても。
何を決められても。
声を持たない自分には、拒む術などないのだから。
時間だけが、じわじわと過ぎていく。
香の匂いが重い。その匂いを嗅ぐ度に頭がぼんやりする。
逃げたい。ここから、今すぐ。
ふと、脳裏に白い髪を靡かせる男の姿が浮かんだ。
『俺と共に逃げよう』
優しく細められた目。
悪戯っぽい笑み。
あの夜、手の甲へ落とされた口付け。
割れてしまった根付を思い出し、胸の奥がきゅうっと締め付けられる。
(……真白)
名前を呼びたかった。
声にならなくてもいいから、助けて、と。ただ、自分でも聞いたことのない声で言いたかった。
「興が削がれてしまいましたね。少し、外に出ませんか?」
「?」
悠真はゆるりと立ち上がった。病弱と聞いていた割に、その動作には妙な滑らかさがある。
白い指先で着物の裾を払うと、悠真は音羽へ手を差し出した。
「この屋敷をご案内します」
「……」
音羽は迷うようにその手を見つめる。その手を握れば、合意を結ぶことと同じ。
本当なら触れたくない。
できるならば、今すぐこの場から逃げ出したい。けれど、拒めないのが現実。
視線を上げれば、背後に控える女中達が静かに頭を下げている。
断るという選択肢など最初から存在していないのだ。
得も言われぬ寂しさを覚えつつ、ゆっくりと手を重ねると、悠真は満足そうに目を細めた。
「良い子ですね」
その言葉に、胸の奥がちくりと痛む。
まるで、人ではなく従順な獣として褒められているようだった。

