嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 


 あれからあっという間に一瞬間が経ち、見合いの日がやって来た。
 相手方は、呪具を扱う名高い商家。妖が跋扈する世で脅威を祓うために、必要不可欠な名家の久我(こが)という一家である。
 見合い相手の嫡男、久我悠真(こがゆうま)は生まれつき病弱でありながら、呪具に込める霊力が人並外れているということで有名。
 そして、本人は齢十五でありながら陰陽道に通じているとしても優秀であった。
 
「姫様、ご到着いたしました」

 薄暗かった視界に光が差し込んだかと思えば、牛車の簾の向こうに二十代半ばの女が立っている。
 女は新たに音羽の側近として雇われた女中だ。以前の幼い女中はいつの間にか屋敷を去っていた。大方、音羽からの扱いが他人行儀になり耐えられなくて辞めたのだろう。
 音羽からしてみれば、ずっと信じていた相手に裏切られたのである。今更以前と同じように接せるはずがない。

「足元お気をつけください」

 差し伸べられた華奢な手を握って牛車を降りると、音羽は思わず顔を上げた。
 事前に見合い相手の久我家については父から聞かされていたが、まさかこれほどまでに。
 ──気色悪い廃墟のような見た目をした屋敷とは。

「???」
「こちらで合っております。さあ、参りましょう」

 余りの見た目の惨さに困惑する音羽だが、女中に引き摺られるようにして歩き出す。
 屋敷は、まるで生き物の死骸のようだった。
 黒ずんだ瓦。
 湿った木の匂い。
 柱には何かを引っ掻いたような傷が無数に残り、軒先には見たこともない札が幾重にも吊るされている。
 風が吹くたび、それらがカサカサと不気味な音を立てた。
 妖を祓うための呪具を生み出す屋敷。
 そう聞いていたはずなのに、音羽には“妖を閉じ込める檻”のように見える。

「……」

 無意識の内に袖を握り締め、女中の手を強く握った。
 少し敷地内を進んではみたが、流石にこの空気感に耐えられそうにない。やはり帰ろうと女中の手をひこうとした、その時。

「ようこそお越しくださいました」

 ぬるり、と、まるで地を這うような声が聞こえた。
 音羽が顔を上げると、屋敷の奥から一人の男が歩いてくる。
 細身の身体。
 紫紺の着物。
 長い前髪の奥で細められた目が、不気味なほど穏やかに笑っていた。

「久我家使用人頭の宗一郎(そういちろう)と申します」

 男は恭しく頭を下げる。が、その視線だけはじっと音羽を見ていた。

「お待ちしておりました、音羽様」
「……っ」

 怪しく細められたその目に見つめられ、ぞわり、と背筋が粟立つ。
 笑っている。
 確かに笑っているのに、そこには歓迎の色など一切感じられない。命令されるがままに動くからくり人形。
 女中に背を押されるようにして、音羽は屋敷へ足を踏み入れた。
 玄関口に踏み込んだ瞬間、ひやり、と冷たい空気が肌を撫でる。薄暗い廊下の両脇には、奇妙な面や呪符がずらりと並べられていた。
 見られている。そんな感覚が消えない。
 廊下を歩くたび、床板がぎしり、ぎしりと不快な音を鳴らした。

「こちらでございます」

 案内された襖の前で、宗一郎が立ち止まる。そのまま静かに襖へ手を掛けた。

「坊ちゃま。橘家の姫君をお連れいたしました」

 ゆっくりと襖が開かれると同時に、音羽の鼻を香の甘ったるい匂いが突いた。