嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 障子の隙間から差し込む淡い朝日が、閉ざされた部屋をぼんやりと照らしていた。
 白く伸びた光は畳の上を静かに這い、昨夜の冷たさを少しずつ溶かしていく。
 けれど、この部屋の空気だけは相変わらず薄暗く、何処か冷え切ったままだった。
 本来なら、人が動き出す時間。
 廊下を忙しなく行き交う足音があって、台所からは湯気の匂いが流れてきて、庭では鳥が鳴いているはずの時間。
 なのに、それらはまるで障子の向こう側で止められているように遠い。
 聞こえてくるのは微かな物音だけ。
 人の気配は確かにあるのに、この部屋には誰も踏み込んでこない。
 まるで最初から、此処には誰も居ないものとして扱われているようだった。

「……」

 薄く目を開けた音羽は、ぼんやりと天井を見つめた。
 ゆっくりと瞬きを繰り返す。
 まだ眠気の残る頭では、今が朝なのか、それとも夜の続きなのかも曖昧だった。
 やがて小さく身じろぎをすると、重たい身体をゆっくりと起こす。
 掛け布団がさらりと肩から滑り落ちた。長い黒髪が寝乱れたまま背中へ流れる。
 昨夜のことを思い出そうとした瞬間、胸の奥が微かに熱を持った。
 嘘つきの陰陽師。
 真白。
 あれは、本当に現実だったのだろうか。
 あまりにも現実離れしていて、まるで夢でも見ていたみたいだった。
 ぼんやりとした頭のまま、音羽は寝乱れた髪を押さえる。指先に絡む髪を解きながら、ゆっくりと部屋を見渡した。

「……!」

 疲れていたせいで、都合のいい幻でも見たのかもしれない。
 外へ出たいなどと願ってしまったから。
 誰かに連れ出してほしいと、心の何処かで願っていたから。
 だから、あんな都合の良い男が現れたのではないか。
 そんなことを考えながら視線を彷徨わせていた、その時。文机の上に積み重ねられた和紙が目に入った。
 “うそ”
 “でたい”
 “ここから出ていきたいですか”
 幾重にも重なった和紙には、昨夜の感情がそのまま閉じ込められていた。
 滲んだ文字。
 乱れた筆跡。
 涙で歪んだ墨。
 どれも、夢では残らない。
 何枚もの紙に刻まれた文字が、昨夜が夢ではなかったことを静かに突きつけてくる。

「……っ」

 音羽は慌てるように布団を抜け出し、裸足のまま文机へ駆け寄った。
 乱暴にならないように気をつけながら、一番上の和紙へそっと触れる。
 震える指先に伝わる、かさりとした紙の感触。墨はすっかり乾いていて、指で擦っても滲まない。
 確かに存在している。
 昨夜、真白がここにいた証。
 あの男は、本当に現れたのだ。嘘ばかり口にするくせに、存在だけは妙に鮮明で。
 音羽は無意識のうちに、和紙を胸元へ引き寄せていた。
 やがて、廊下の向こうから人の気配が近づいてくる。
 はっとした音羽は慌てて和紙を重ね直し、いつものように机の端へ寄せた。
 そうして何事もなかったかのように立ち上がる。
 部屋の隅に置かれた鏡台の前へ座り、櫛を手に取った。