嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 何故、目から涙が溢れてくるのか分からない。産まれた時から言い聞かせられてきて、それが当たり前で生きてきたのに。
 皆から見放されて、父からは閉じ込められてしまったのに。
 真白はその文字を見ても何も言わない。突き放す言葉も寄り添う言葉もない。
 ただ、滲んだ文字を黙って見つめていた。
 “いみご”
 幼い筆跡で綴られたその言葉は、あまりにも軽く、あまりにも重い。

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  そとにでちゃだめ

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 ぽたり、とまた一滴落ちる。目から溢れた雫と、筆先から零れた墨が和紙の上で混ざって滲んでいく。

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  だれかにみられたら たちばなのなまえにきずがつく

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 声を出せない娘がいるとなれば、それだけで橘の名に傷を付けることになる。
 橘の娘は神に祟られた忌み子であり、呪いによって声が出せない。それは、橘の名に傷を付けるには十分過ぎる。

「――そうですか」

 静かに噛み締めながら、その言葉の意味を受け入れていく。
 どうしてこんなにも涙が止まらないのか。それは、初めて忌み子だと知っても見捨てないでいる人が隣りにいるから。
 真白は初めて音羽を忌み子として見ようとはしなかった。ただの姫、命令されて傍にいることになっただけの相手としか思っていない。忌み子だとか、祟られているとか、そんなことはどうでもいいのだと、和紙の上の文字を見る目は言っていた。

「で、今俺に見られていますけど、名前に傷付けてるんですかね」
「!!」

 思い返してみれば、一体誰が人目につくだけで名に傷を付けるなど言い出したのだろう。 
 外に出ようが出まいが、噂でも何でも出回ればすぐに名は廃れる。
 端から庭よりも外に出ていないのだから、屋敷以外の人間に音羽の存在など知れ渡ってはいない。

「そうやって引き籠もっているのもお似合いではありますが」
「っ!」
「おっとと、あんまり袖を引っ張らないでください」

 そんなのあんまりだ。
 庭に出ることすら許されず、狭い部屋の中に閉じ込められているのがお似合いだなんて。
 もっと外に出たい。自分の足で地上を歩きたい。知らない世界を見てみたい。
 音羽が抱く願いは、呪われて閉じ込められている限り決して叶わないこと。

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  外に出たいですか

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 叶わないことであるはずなのに、この真白からの問いに返答すれば叶う気がする。
 問いに対する答えなど、とうに決まっていた。

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  でたい

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  呪いを解きたいですか

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  ときたい

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 問われる度に、迷いなく筆を動かしていく。
 陰陽師に何ができるのかなんて知りもしないのに、何故だか真白なら呪いを解いて願いを叶えてくれるような気がした。
 ちらりと隣に目を向ければ、優しく微笑んだ真白と目が合う。

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  ここから出ていきたいですか

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  でたい

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 出してと声に出して言えたなら、きっと今すぐにでも連れ出してくれていたのだろう。
 けれど、実際は綴られた問に対して回答するだけ。それでも、今は十分だった。

「なんと愚かなことを……」

 小さく笑みを浮かべた真白は、真っ黒になった何枚ものを和紙を片付けた。