祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 この日は朝から激しい雨が降っていた。道の先には霧が立ち込め、何がいるのか分からない不気味な雰囲気がある。
 屋根を打つ音が、規則正しく響く。止む気配はない。
 そんな中、軒先に立ちながら、深雪はぼんやりと空を見上げた。
 灰色の雲が、低く垂れ込めている。
 雨空を見上げていると、胸の奥に僅かなざわめきが生まれた。理由は、分かっている。

「深雪」

 不意に背後から己の名を呼ばれ、不自然なほどに肩が揺れた。
 振り向けば、無表情の深冬が立っている。数日前に寝込んで以来に見た顔である。

「母様が、お呼びよ」

 淡々と告げるその声に、逆らう余地はない。

「……はい」

 小さく頷き、先に歩き出した深冬の後を追って足を動かす。
 濡れた板の間は冷たく、足裏にじわりと沁みた。
 鈍い音を立てながら廊下を進むたびに、雨音が遠ざかる。代わりに、重たい静けさが満ちていった。
 やがて、深冬は一つの襖の前で足を止める。

「連れてまいりました」
「入りなさい」

 中から女性のものにしてはやけに低い声が落ちてくる。
 逃げ場はない。そう思わせるだけの圧力が、たった一言から知らしめられる。

「失礼いたします」

 障子を開けると、視線を伏せたまま中へと足を踏み入れる。
 その先にいたのは、ただ一人。
 黄泉守の当主、黄泉守深麗(よみもりみれい)。深雪と深冬の母親に当たる人物だ。

「随分と、無様な姿だったそうね」

 顔を上げることは許されない。それでも、その声だけで空気が張り詰める。

「……申し訳、ありません」

 畳の上に正座をし、深く頭を提げてそう言えば、間を置かずに言葉が降ってきた。

「謝罪など聞いていないわ」

 降ってきたのは、感情のない冷ややかな声音だった。
 人間味を感じられない、心を持たない妖のような声である。

「聞きたいのは理由よ。何故、妖を祓わなかった」
 
 答えは分かっている。けれど、喉の奥で言葉は形を結ばなかった。
 出掛かっては沈み、ただ熱だけを残して消えていく。

(……言えない)

 あの夜のことを。
 あの人のことを。
 この人には言えない。言ってしまえば、全てをもみ消されてしまう。

「答えなさい」

 張り上げられた声の圧が僅かに強まった。思わず身を強張らせてしまうほどの怒鳴り声。

「……っわ」

 何かを言おうとすると、綿でも喉に詰められたかのように息が詰まる。
 母親が相手だろうが、深冬が相手だろうがそれは同じ。自分には何かを弁明する権利すら与えられていないのだと。
 それでも、声を絞り出して言わなければ。

「……私、は……」

 証明しなければ。

(——……斬れない)

 そう言えば、全てが終わってしまう。そんなことくらい深雪が一番分かっている。
 これまでも今も、そう言って痛い目に遭ってきているのだから。

「次は」

 気づけば、違う言葉が口をついていた。

「次は、必ず……祓います」

 自分でも何を言っているのか分からないまま、発言する時間は終りを迎えた。
 深い沈黙が落ちる。
 しばしの間の後、母は溜息と共に静かに言った。

「そう」

 それが肯定なのか、否定なのかは分からない。

「ならば、行きなさい」

 顔を上げることは、最後まで許されなかった。
 それでも、母が凄みを利かせた目で見てきていることは分かる。視線の矢が何本も身体を突き刺していたから。

「本日も任を与える。今度こそ、その役目を果たしなさい」

 雨音が遠くで強くなった気がした。

「黄泉守の巫女として」