祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 血の匂いが、まだ残っている。
 雨に流されたはずのそれは、地に染み込み、空気に溶け、確かにここにあった証を残していた。
 骨喰は、ぬかるんだ土を踏みしめながら、ゆっくりと顔を上げる。

「……妙だね」

 舌で乾いた唇を舐める。
 喰い損ねた。
 それだけなら、珍しい話ではない。

「やっぱり、違うんだよなぁ」

 雨に触れた手を開き、血に塗れた“それ”に視線を落とす。
 乱雑に柄に巻かれた紐の先に鈴が着いている。雨風に揺れて小さく音を立てた。

「同じ巫女なのに、味が違う。気配も、なんかおかしいんだよなぁ」

 うーんと首を傾げて考える。頭に浮かぶのは、満身創痍の影裂に己の血を吸わせる巫女の姿。
 あの巫女は、確かに限界だった。
 血を流しすぎていた。呼吸も浅かった。
 普通なら、その場で動かなくなっていてもおかしくない。
 それなのに、生きている。

「いいや、あれは“生かされてる”って顔だった」

 思い出しただけで、背筋がざわつく。
 喰らう対象としてではない。
 もっと別の、“触れてはいけないもの”を前にしにした時の感覚。

(黄泉守……かつては八人の巫女がいたって噂だけど、今は二人だけなんだっけ)

 無意識の内に口元に笑みが浮かんでいた。
 妖を祓うことを生業としている一家であり、神に血を分け与えられた巫女を生む。
 鬼である骨喰達にとって、忌み嫌う存在でしかない。

「壊し甲斐がある」

 そんな一家の生まれでありながら、とある巫女は妖を祓うことを拒むという。
 その上、鬼と行動を共にしているのだ。
 自身の敵でありながら、血を分け与えてまで生きながらえさせようとした。
 その鬼は───。

「……影、裂………」

 恨みを一心に込め、握っていた血塗れの太刀を握り締める。 
 足元には、すでに死んでから長い時間がたった酷い巫女の死体が転がっていた。
 無論、骨喰が殺した。殺して、放置して、もう一度見に来た。
 
(鬼を助けるなら、人間は絶対に助けるかと思って放置したけど……仲間割れでもしてるのか)

 初めは血肉を喰らうために殺した。
 けれど、相手が黄泉守の巫女であると知ってから、ある作戦を思いついた。
 
「ごめんね、囮にさせちゃって。大丈夫、君のことはちゃんと残さず食べるから」

 声を掛けたとて、胴から骨が突き出た状態で地に伏せる死体が返事をすることはない。
 巫女装束を真っ赤に染めた死体の傍に膝をつき、そっと手を取る。
 冷え切った手を口に当てて、骨喰は小さく笑った。

「巫女の血肉はね、鬼に癒やしを与えるんだ」

 この巫女は、確か黄泉守深桜(よみもりみおう)といったか。
 その他に二人の巫女がいたはず。深秋、深琴(みこと)とかいう巫女が。

「そん中でも、君は随分と冷たい子だったね。顔も名前も可愛かったのに」

 くわっと口を開ければ、鋭い牙が見える。人のフリをしている時は隠しているもの。
 深桜は、人のフリをしている骨喰が持つ鬼の気配に気づけなかった。
 雨にも関わらず傘をさしていなくて、一人で森の中に佇んでいる骨喰を憐れんでしまったのが運の尽き。

「……頂くよ、君の力」

 ばきん。
 森の中、雨音に混ざって鈍い音が響いた。