祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 傍らに置いていた太刀を手に取り、ゆらりと鞘から引き抜く。
 元々深雪が所持していた太刀。失踪する前にこの太刀を奪い、別の打刀を与えた。
 始めから殺す気だったのなら、打刀を与える必要など無かったのに。

「“祓わない”だけ」

 そこで深冬は、はっと顔を上げて深麗の目を見つめた。
 夜空に浮かぶ赤い月が深麗の目に映る。まるで鬼のような赤い目だった。

「明確な意思を持ってだ。自ら妖を祓うことを拒む」

 深冬の思考が、ぴたりと止まる。
 それは否定ではなく、理解の拒絶だった。
 常識が、揺らぐ。
 これまで当たり前としてきたものが、音を立てて崩れかける。

「妖に手を差し伸べる巫女なんて、聞いたことがあるか?」
「……それは……」

 反論しようとしたわけではない。否定する材料が、最初から何処にも存在しなかった。
 言葉を探そうとするほどに、何も浮かばない。
 “あり得ない”。
 ただその一言だけが、頭の中で繰り返される。
 深麗は、その様子を黙って見下ろしていた。答えなど、最初から求めていない。 理解できないことすら、織り込み済みだと言わんばかりに。

「しかも、殺されない」

 殺されない。
 あり得ない。
 妖を祓う者である以上、死は常に隣にあるものだ。ましてや、妖に手を差し伸べるなど生きていられるはずがない。

「何度危うい目に遭っても、“必ず生き延びる”」

 深麗は、迷いなく言い切った。まるで何度も確かめてきたかのように、疑いの余地すら挟ませない確信で。
 否定しなければならない。
 だが、その言葉を口にする勇気が出てこない。

「それは……まさか」
「そう。“器”だ」

 聞き間違いであってほしいと何処かで願う。だが、否定は来ない。
 深麗の目は、揺らがない。それが何を意味するのか、理解したくないのに理解してしまう。
 “器”。
 それは、ただの比喩ではない。役割を与えられたもの。
 何かを受け入れ、成立させるための存在。
 人でありながら、人では済まされないもの。

「鬼に堕ちたものを、引き戻すための」

 奇跡のような力。常であれば、守り、囲い、利用すべきもの。家の悲願にすらなり得るはずの存在。
 それなのに、深麗の声音には、微塵の執着もなかった。
 欲するでもなく、惜しむでもなく。ただ、秤にかけて不要と判断しただけの、冷えきった思考。
 価値があるから残すのではない。
 制御できぬものは、価値ごと切り捨てる。そこに迷いは一切なかった。

「だから殺した。使えもしないものが、そんなものを抱えていたら邪魔だろう?」

 ねっとりとした不敵な笑みを浮かべ、深麗は首を傾げる。
 深冬の視線は畳の上に置いた自身の手に固定され、動かすことすら憚られた。

「……ですが、生きている可能性が」
「だから言っているじゃないか」

 それ以上の言い訳も、推測も、全て無意味だと突きつける響き。

「見つからないのが一番まずい」

 これは可能性の話ではない。
 “起きている前提”で動くべき事態だ。

「誰かに拾われた可能性がある」

 鬼に堕ちたものを引き戻す“器”。
 そして、死なない巫女。
 その二つが同時に存在したなら、偶然では済まされない。
 いずれ、必ず——引き寄せられる。

「もし、鬼と共にいるとしたら——どうなると思う?」

 ぞわり、と背筋に寒気が走る。
 口を開けば、その最悪を認めてしまう気がして、深冬は何も言えなかった。
 ただ、沈黙だけが答えになる。
 深麗は、それを見て僅かに目を細めた。

「……探し出せ」

 低く落とされた声は、静かであるがゆえに逆らえない重さを持っていた。

「見つけて、連れ戻せ」

 その中には、疑いも迷いも含まれていない。
 見つけることを前提にした、絶対の命。
 逃がすことなど、最初から許されていなかった。

「無理だったら——今度こそ、確実に殺せ」

 連れ戻すか、殺すか。
 そのどちらかしか存在しないと、冷たく突きつける。

「“あれ”が目覚める前に」