祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 生まれながら、己が置かれた境遇を恨むことは少なくなかった。
 世に蔓延る悪鬼羅刹、魑魅魍魎を祓い消し去り安寧を作り出す一家。そこに生まれた一人の娘がいた。

「深き雪すら溶かす熱き心。貴方には、その心があります」
「心、とは何ですか」

 普段は決して立ち入ってはならない禁域。七人いる姉妹達は、いつもそう言って遠ざけてきていた。
 その場所は、誰もが恐れる母の部屋。
 どれだけ急を要する要件があろうと、入ることは愚か覗くことすら許されない。それは、父も同じだった。

「自分の胸に手を当てるのです」

 そう言いながら自分の胸に手を当てるのは、目の前で畳にぺたりと座る娘に手本を見せるため。
 案の定、娘は母の行動の意味が分からず首を傾げた。

「手を当て、目を閉じれば、己の鼓動が聞こえてきます」

 余計に理解が及ばなくなり、娘の顔はみるみる内に呆けたものに変わった。
 そんな姿が愛おしと言わんばかりに微笑んだ母は、滑るように娘の前に行く。そして、小さな娘の手を取って胸に当てさせた。
 無理矢理自分の胸に触れた娘は、ぽかんと口を開けて視線を下げる。

「深く息を吸って」
「……すぅ」
「吐いて」
「はぁ……」

 トクン、と心臓が跳ねた。
 一度その動きに気がつくと、継続的な鼓動が掌いっぱいに広がっていく。

「深雪。貴方のその鼓動は、いつか必ず誰かを救います。ずっとずっと遠い未来かもしれない。けれど、いつかきっと来る」

 胸に当てていた手を自身の方に引き寄せ、母は額を当てた。

「だから、貴方のその温かい心をどうか忘れぬように」

 あの頃は、確かに居場所があった。愛されていた。
 世界の残酷さを知らず、理不尽さを知らず、ただ笑っているだけで許されていた。

「さあ、今日は一緒にお夕飯を作るわよ」
「はーい! 深夏(みなつ)姉様っ」

 八人姉妹の一番末っ子だったからか、姉達からはいつも「よく笑う妹」として可愛がられていた。
 女しか生まれない一族。山奥でひっそりと暮らしていた黄泉守家は、婿を探すために娘をたった一人で町に行かせる。
 町に行くためには森をでなければならない。その道中には、人の血肉を狙う妖が潜んでいて。

「母様、母様っ!」
「そんなに慌ててどうしたの? 深秋(みあき)
「先程任務から帰っている途中、森の中で深朱(みあか)が息絶えておりました……」

 黄泉守家は、人に仇なす妖を代々受け継がれる刀で斬り祓う一族。
 けれど、婿探しに町へ行く時は、刀を持たない。
 刀を持つ女など恐ろしいだけだからだ。女は家で家事をしながら家を守るもの、刀など必要ない。
 十一人姉妹の母である深麗も、元々は妖祓いの巫女だった。
 そんな母も、婿入りをしてからはめっきり刀は握っていない。全ては娘達が生きるか死ぬかの間で揺蕩うのである。

「いい? しっかり聞いてね、深雪」
「み、深春……姉、様………」
「ここからずっと遠く。誰も見つけられないような場所に逃げなさい」
「嫌……嫌だよ! 深春姉様!」
「大丈夫、怖いのは今だけだから。姉様達が必ず勝って帰る。だから、どうか貴方だけでも生きて」

 そんな妖祓いの一家の中に、妖を祓えない落ちこぼれが一人。
 女しか生まれない一家の中で、彼女だけが妖を祓えず無能として生きていた。
 深雪。
 幼い頃から「妖を祓いたくない」というのが深雪の口癖だった。
 あの時は許されていた。深雪が祓わずとも代わりは幾らでもいたから。