祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 兄妹であることは間違いない。けれど、今の二人に間には決定的な差異がある。
 鬼と人。決して越えられない種族の壁が携えられているのだ。

「……それで、俺をここへ連れてきた理由は何だ」

 単に命に会わせたかったというわけではあるまい。
 他に企みがあるはずだ、と影裂は誠十郎の目から視線を逸らして問うた。
 すると、命から影裂へと視線を向けた誠十郎は待ってましたとばかりに笑う。

「簡単や。使えると思うたから」
「誰をだ」
「どっちもや」

 躊躇も、言い淀みもない。まるで、それが当然であるかのように。
 その“どっちも”が指すものを、影裂は理解している。
 自分と。
 上で眠る少女。
 逃げ場のない現実が、静かに形を持つ。

「お前も、その子も、死なんようにして動けるやろ?」

 問いという形をしていながら、そこに確認の色はなかった。すでに答えを持っている声音。
 その言葉を聞いて脳裏に浮かぶのは、上で眠る少女の姿。
 呼吸はある。
 鼓動もある。
 だが、“死なない”状態のまま目覚めない。
 その意味を今は理解している。理解してしまった。

「ほんなら——逃げれるし、戦える」

 その言葉は、あまりにも現実的で。
 あまりにも——危険だった。

「どうしてだ。何故、お前がそれを知っている」

 “異能”という言葉、それを当然のように使ったこと。
 そして何より、深雪が陥っている状態を鬼の異能であると見抜き、理解していること。

「どうして、人間であるお前がそこまで理解している」

 人間であればありえないことであるはずだった。妖を忌み嫌い、敵意を向ける相手であるはずなのに。
 誠十郎は、深雪は、鬼を前に敵意を向けようとしない。
 雨が降る夜に深雪が刀を抜いたのは、妖を祓う巫女としての反射反応。
 山小屋で誠十郎が明確な敵意を向けたのは、見知らぬ男女が先客としていたから。
 どちらも正当防衛として説明できる明確な態度だった。

「……あー」

 間の抜けた声。緊張を削ぐような、軽い響き。
 誠十郎は肩を竦め、ぎこちない笑みを浮かべた。

「そらそうやな。普通は知らんわ」

 否定も咎めもせず、納得したように苦笑を零す。
 ただ、“常識の外にいる”ことを肯定するだけ。その態度が、返って不気味だった。
 この男は、何も驚いていない。
 鬼という存在にも。
 異能という理にも。
 それどころか、全てを前提にして話を進めている。

「でもな。分かるもんは、分かるんや」

 はぐらかすようでいて逃げていない曖昧な答えが、影裂の中に深く落ちる。
 何も言わずに圧力で続きを促せば、小さく息を吐いた誠十郎は、握った命の手に滲む赤黒い物を見た。

「血ぃや」
「血?」
「血の流れ方。匂い。滲み方」

 特別なことを言っているつもりはない、とでも言うような淡々とした口調。
 観察していなければ分からない。ましてや、“慣れて”いなければ辿り着かない。

「人間とちゃう」

 誠十郎には始めから見抜かれていた。

「まぁ、確証はなかったけどな」

 山小屋で偶然出くわした時に、彼には影裂の正体を見破れていた。
 鬼の中には、鬼であることを隠して人に扮する者がいる。それが、影裂という鬼。
 生まれながらに持っている赤い目を隠し、角を隠し、強い殺意と瘴気を押し殺す。

「でも、今ので確信したわ」
 
 隠しきれない鬼としての気配を微量でも感じ取れる。だから、始めから影裂は鬼であると知っていた。
 それは、鬼の妹を持つからか、本人の力なのかは分からない。

「……だって」

 わざとらしく首を傾げて、誠十郎は影裂の琥珀色の目を睨め付けた。
 
「あんた、鬼やろ」