祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 山を降りた頃には、空はすでに白み始めていた。
 夜と朝の狭間。薄く伸びた光が地平をなぞり、世界をぼんやりと浮かび上がらせている。
 辿り着いた町は、しんと静まり返っていた。
 人の気配はない。
 戸は閉ざされ、軒先に吊るされた灯りもすでに消えている。朝の支度を始めるにはまだ早く、夜の喧騒はとっくに過ぎ去っていた。

(静かだ……)

 ずっと求めていた静けさがそこにはある。命の危険に晒されることも、慌てて誰かを追いかける必要もない。
 ただ、湿った空気だけが残っている。
 雨上がりの匂い。
 濡れた土と木の香りが、ひんやりと漂っていた。
 その中を三つの影がゆっくりと進む。
 一人は、歩く。
 一人は、背負われている。
 そしてもう一人は——その前を一定の距離を保って歩いていた。
 影裂の背に預けられた深雪は、未だ目を覚まさない。力の抜けた身体が揺れるたび、微かに衣擦れの音がした。
 その様子を誠十郎は時折振り返って無言で見ていた。
 近すぎず、遠すぎず。
 いつでも手を伸ばせる距離を保ちながら。

「キツないー? ちょっと休もかー?」
「問題ない」

 三度目になるその遣り取りが、朝焼けの空に向かって消えた。
 山を降り、見知らぬ町に入ってからかなり経つ。直接肉体に疲れはないが、背負った深雪の温もりが感じられない焦りはあった。
 先を歩く誠十郎の背を眺めたり、辺りを見渡したり、影裂の視線は中々一点に定まらない。

(不用心だ)

 籠を背負っているとは言え背中を晒している状態の誠十郎を見ると、どうしてもそう思ってしまう。
 他人に背中を向けることがどれほど危ういことか、理解していないはずがない。
 ましてや、後ろを歩くのは人間とは相対する鬼。
 その気になればいつでも襲い掛かれる状態でも、振り返ることはない。
 足取りも変わらず、一定の速さで迷いなく道を進んでいく。

(……読めん男だ)

 警戒は解かない。むしろ、強まっていた。
 やがて、町の外れへと差し掛かる。
 家々の間隔が広がり、静けさが一層濃くなる。人の生活の気配が、さらに遠退いた。

「もうすぐや」

 前を歩く誠十郎が、振り返らずにぽつりと告げた。
 自然と歩みが遅くなっていき、それにつられて影裂も早さを緩めた。
 それから数歩進み、一軒の家の前で足を止める。立ち止まった先にあったのは、木造の古びた家だった。
 だが、誰かが生活している空気を感じ、手入れは行き届いているのだと分かる。
 朽ちてはいない。

「ここや」

 そう言って、誠十郎は背負っていた籠を軽く持ち直す。
 そのまま、戸へと手を掛けた——その時。
 内側から音がした。
 かたり、と。
 僅かに木が軋むと、次いでゆっくりと戸が開く。
 現れたのは、一人の女だった。