今はとにかく深雪を安全な場所へと移さなければならない。
血を失いすぎたことによる貧血だと思われるが、この状況では何があるか分からない。
血を得たことで回復した影裂は、廃神社へ逃げた時や駿太郎を捕まえる時に使った力を発揮しようとした。
けれど、辺りに影が広がった、その直後だった。
——ぎし。
乾いた音が背後で鳴った。
反射的に、影裂の視線が森の奥へ向く。
闇の中。
木々の隙間。そこに、立っている。
「……来たか」
見慣れたその気配は、忘れるはずもない。
最早、同族と呼んでしまって良いのかすらすら曖昧だ。鬼から生まれ、鬼として生まれた者同士であっても。
彼とは決して相容れぬ。
影裂とて、彼が考えることの半分も理解できない。あまりにも逸脱した存在の考えることなど。
だから、今の今まで姿を表さなかったというのにその気になった理由も分からない。
「ずいぶん手間をかけさせてくれるじゃないか」
骨の軋む音を伴って、ゆっくりと姿を現す。
軽い声音だが、その奥に潜むものは明確な敵意である。
白い髪が揺れ、その隙間から覗く“異質”が微かに光を返す。
「骨喰……」
同族の影裂ですら、彼は危険であると本能が叫んでいるのを感じる。
独りであれば、迷いなく逃げるか、素直に従うか、幾つか選択肢があった。
だが、今は手負いである上に別の存在が腕の中で眠っている。
自分の過ちによってこんな状態させてしまったのだ。
「へぇ。その子、まだ生きてるんだ」
興味深そうに細められる目は、鮮やかな赤というよりも濁った血のような色をしている。
値踏みするような視線が、今も眠っている深雪へと向けられた。
「人間にしては、ずいぶんとしぶといね」
「……黙れ」
今すぐにでも斬り掛かりたいと思うくらい憎しみが溢れるのに、足は動かない。
いや——動けない。
戦えば守れなくなる。そうなれば、どちらかは確実に死ぬ。
腕の中の重みが、その事実を突きつけてきた。
「その状態でやる気? やめといた方がいいと思うけどなぁ」
影裂きが何を考え、何に迷っているのか手に取るように分かるとでも言いたげに、くつくつと愉しげに笑う。
笑いに呼応するように、骨喰の背後で影が波打った。
ぎし、ぎし、と。
再びあの音が不気味に辺りの空気を震わせる。
骨の獣が形を成そうとしていた。
「……っ」
影裂の歯が軋む。赤く染まった目を琥珀色に変える方法を忘れてしまったように、鈍い光が宿った。
戦えば、勝てるかもしれない。
(だか、守りきれるか)
そんな疑問が浮かぶくらいなら、相対しない方が賢明である。
腕の中の少女の呼吸は、あまりにも頼りない。ここで足を止めれば、終わる。
自分ではなく——この命が。
「どうする? 逃げるかい?」
「——ああ」
嘲るような骨喰の声音は、確かに影裂を試していた。このまま己の増悪に身を任せ力を使うか、はたまた腕の中にいる少女のために力を使うか。
だが、その問いに影裂は迷わず返した。問われずとも、端から答えは決まっている。
次の瞬間、影裂の足元の影がぐらりと揺れた。
「は?」
信じられないとでも言いたげに、骨喰の目が細められる。
そんな彼を無視して、地を覆う黒が一気に広げた。影が、重なり、沈み、深くなる。まるで底のない沼のように。
「逃がすと思う?」
すぐに異能を発動させると、複数の骨の獣を作り出した。
自我など持たず、操られるままに骨の獣が影裂達へと飛び掛かる。
だが、届かない。
影裂の姿影に覆い尽くされ、すでに沈みかけていた。
深雪を抱えたまま、影の中へと溶けていく。
「……ちっ」
伸ばした骨が空を切り、その直後に影が閉じた。跡形もなく、そこにあったはずの気配ごと消え失せる。
「逃げた、か」
まさか本当に人間の娘を優先して逃げ出すとは。
鬼ともあろう存在が人間に情を持つなど、最早笑えてくる。
「まぁいいや」
ゆっくりとさっきまで影裂がいた場所に背を向け、悠然と歩き出した。
骨の獣が、ぎしりと音を立てて崩れ落ちる。
「逃げ場なんて、限られてる」
赤い瞳が不敵に細められる
追い詰めることを疑っていない者の目で。
「次は、もう少し遊べるといいな」
血を失いすぎたことによる貧血だと思われるが、この状況では何があるか分からない。
血を得たことで回復した影裂は、廃神社へ逃げた時や駿太郎を捕まえる時に使った力を発揮しようとした。
けれど、辺りに影が広がった、その直後だった。
——ぎし。
乾いた音が背後で鳴った。
反射的に、影裂の視線が森の奥へ向く。
闇の中。
木々の隙間。そこに、立っている。
「……来たか」
見慣れたその気配は、忘れるはずもない。
最早、同族と呼んでしまって良いのかすらすら曖昧だ。鬼から生まれ、鬼として生まれた者同士であっても。
彼とは決して相容れぬ。
影裂とて、彼が考えることの半分も理解できない。あまりにも逸脱した存在の考えることなど。
だから、今の今まで姿を表さなかったというのにその気になった理由も分からない。
「ずいぶん手間をかけさせてくれるじゃないか」
骨の軋む音を伴って、ゆっくりと姿を現す。
軽い声音だが、その奥に潜むものは明確な敵意である。
白い髪が揺れ、その隙間から覗く“異質”が微かに光を返す。
「骨喰……」
同族の影裂ですら、彼は危険であると本能が叫んでいるのを感じる。
独りであれば、迷いなく逃げるか、素直に従うか、幾つか選択肢があった。
だが、今は手負いである上に別の存在が腕の中で眠っている。
自分の過ちによってこんな状態させてしまったのだ。
「へぇ。その子、まだ生きてるんだ」
興味深そうに細められる目は、鮮やかな赤というよりも濁った血のような色をしている。
値踏みするような視線が、今も眠っている深雪へと向けられた。
「人間にしては、ずいぶんとしぶといね」
「……黙れ」
今すぐにでも斬り掛かりたいと思うくらい憎しみが溢れるのに、足は動かない。
いや——動けない。
戦えば守れなくなる。そうなれば、どちらかは確実に死ぬ。
腕の中の重みが、その事実を突きつけてきた。
「その状態でやる気? やめといた方がいいと思うけどなぁ」
影裂きが何を考え、何に迷っているのか手に取るように分かるとでも言いたげに、くつくつと愉しげに笑う。
笑いに呼応するように、骨喰の背後で影が波打った。
ぎし、ぎし、と。
再びあの音が不気味に辺りの空気を震わせる。
骨の獣が形を成そうとしていた。
「……っ」
影裂の歯が軋む。赤く染まった目を琥珀色に変える方法を忘れてしまったように、鈍い光が宿った。
戦えば、勝てるかもしれない。
(だか、守りきれるか)
そんな疑問が浮かぶくらいなら、相対しない方が賢明である。
腕の中の少女の呼吸は、あまりにも頼りない。ここで足を止めれば、終わる。
自分ではなく——この命が。
「どうする? 逃げるかい?」
「——ああ」
嘲るような骨喰の声音は、確かに影裂を試していた。このまま己の増悪に身を任せ力を使うか、はたまた腕の中にいる少女のために力を使うか。
だが、その問いに影裂は迷わず返した。問われずとも、端から答えは決まっている。
次の瞬間、影裂の足元の影がぐらりと揺れた。
「は?」
信じられないとでも言いたげに、骨喰の目が細められる。
そんな彼を無視して、地を覆う黒が一気に広げた。影が、重なり、沈み、深くなる。まるで底のない沼のように。
「逃がすと思う?」
すぐに異能を発動させると、複数の骨の獣を作り出した。
自我など持たず、操られるままに骨の獣が影裂達へと飛び掛かる。
だが、届かない。
影裂の姿影に覆い尽くされ、すでに沈みかけていた。
深雪を抱えたまま、影の中へと溶けていく。
「……ちっ」
伸ばした骨が空を切り、その直後に影が閉じた。跡形もなく、そこにあったはずの気配ごと消え失せる。
「逃げた、か」
まさか本当に人間の娘を優先して逃げ出すとは。
鬼ともあろう存在が人間に情を持つなど、最早笑えてくる。
「まぁいいや」
ゆっくりとさっきまで影裂がいた場所に背を向け、悠然と歩き出した。
骨の獣が、ぎしりと音を立てて崩れ落ちる。
「逃げ場なんて、限られてる」
赤い瞳が不敵に細められる
追い詰めることを疑っていない者の目で。
「次は、もう少し遊べるといいな」

