祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 弱っていく影裂を見て、深雪は初めて人ならざる存在の脅威を思い知った。
 今までは祓いたくないと言って刀を抜かず、その代わりに深冬が先人を切って妖を祓っていたから。
 だから、一度だって妖を祓わずに済んだことはない。
 自分の代わりに妖を祓う存在がいて、出会ってしまった妖は消えてしまうことが運命められてしまって。
 無能の巫女である上に、出会った妖を消滅へと導いてしまう不浄者だ。

(私は、私はどうすればいいの……?)

 震える影裂の肩に触れた、その時だった。
 じわり、と額が熱を持つ。

「……っ?」

 直接火で炙られたような熱を感じ、思わず息を呑んだ。
 触れたはずもないのに、焼けるような感覚がそこにあった。
 廃神社で影裂の唇が触れた場所。“証”だと言われた場所が、脈打つように疼く。
 どくん。
 ひとつ、大きく心臓が跳ねた。それに呼応するように、熱が強まる。

(……これ、は)

 咄嗟に下げた視線の先、未だ震えが止まらない華奢な手がある。
 何もできないと、諦めかけていたはずの手。
 けれど、分かってしまう。どうすればいいのか。どうすれば、彼を救えるのか。
 考えるよりも先に、身体が動いていた。
 取り零していた打刀を拾うと、刃を自身の左腕に沿わせる。

「深雪……やめろ……」

 これから深雪がしようとしていることに従えば楽になれると分かっているはずなのに、影裂の手は、打刀を握る深雪の右手に伸びた。
 止めるように、拒むように、掠れた声を絞り出す。
 真っ赤に染まった瞳には、微かな悲しみの色が滲んだ。鬼であれば決して抱かぬ感情。
 つくづく、この鬼は人間らしい。人間よりも人間らしい心を持っている。

「ごめんなさい」

 誰に向けたのかも分からないまま、深雪はぎこちなく微笑んでみせた。
 誰かを守るために傷付くように、誰かを助けるためにまた傷付く。
 傷付かずに守れるものなど何も無いのだと、この長くも短い時間が知らしめた。
 いつだってやれる。この白い腕を刀で切りつけ、血を流す覚悟は決まっている。
 右手は影裂の手が強く掴んでいて動かせない。ならば、左腕を動かすまで。
 一瞬だけ、息を止める。

「っ……!」

 そして、左手を擦り付けるようにして滑らせた。
 腕に鋭い痛みが走る。薄く裂けた皮膚から赤が滲んだ。
 一線だった赤は次第に膨れ上がり、腕を伝って、ぽたり、ぽたり、と滴り始める。
 少しでも多くの血を残すために左手を上げると、そのまま影裂の胸元を引き寄せた。
 傍で打刀が転がる音がする。
 着物の襟を掴む右手に影に包まれた手が触れ、もう一度突き放そうと力を入れた。

「触るな……っ!」
「触ります」

 震えていたはずの声は、不思議と揺れていなかった。
 右手を締め上げられようと、左腕の傷が痛もうと、決してその赤い目から目を逸らさない。

「役目をくださいって、言ったじゃないですか」

 逃がさないように、拒まれないように、その口元へ傷口を押し当てた。
 本能には抗えないようで、必死に閉じていた口が徐々に開いていく。
 熱が、走る。
 触れた瞬間、額の紋が強く脈打った。

「——っ!」

 びくり、と影裂の身体が跳ねる。拒絶か、あるいは別の何かか。
 口元へと伝った血が唇に触れ、舌へと流れ込む。
 隠されていた牙が皮膚に食い込み、傷口から血が引かれていく。
 触れている箇所から、じわりと、確かに吸われている。
 押し返されるはずだった力は、もうない。