祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 けれど、伸ばしたはずの手は彼の身体に触れることはない。
 異能の制御が効いていないのか、影が纏わり付いた手で手首を掴まれた。

「触るなと……言っただろう!」

 触るなと言われたのは、骨喰の骨の方。だとは言えなかった。
 今の影裂の姿は、誰もが思い描く鬼のそれと何ら変わりなかったから。
 赤く染まった目に額から伸びる角。そんな姿を鬼と言わずしてなんと形容すべきか。
 今の彼に触れてはならない。本能でそう察し、伸ばしたてを空中で彷徨わせた。

「でも——」

 言葉が続かない。
 目の前で、彼が崩れていく。
 苦しんでいるのに何もできぬまま、それをただ見ているしかない。そんなこと、できるはずがないのに。
 身体は動いている。
 息もしている。
 それなのに、何もできていない。

(また、だ)

 胸の奥で何かが軋んだ。
 何もできないまま、誰かが傷つくのを見ているだけ。
 あの場所で、何度も繰り返してきた光景。
 祓えぬ巫女。
 役に立たぬ存在。
 そう言われ続けてきた自分が、そこに重なる。

(守れって……言われたのに)

 自分の身は自分で守れと、そう言われたはずなのに。
 守られているのは、結局自分だ。
 その結果が、これだ。
 目の前で、彼が苦しんでいる。自分の代わりに。自分を庇った、その代償のように。
 伸ばしかけた手が震える。
 触れればいいのか、何かすればいいのか、分からない。
 分からないから、動けない。動けないまま、時間だけが過ぎていく。

「……っ、ぐ……!」

 影裂の身体が、がくりと落ちた。
 片膝が地に着く。そのまま、もう片方も。
 土を掻くように手をつき、辛うじて倒れ込むのを堪える。
 押し殺しきれない呻きが漏れた。
 項を押さえる手に、さらに力が籠もる。指が白くなるほどに。だが、止まらない。
 苦しみは、内側から食い破るように広がっていく。
 浅く、速く、途切れるように呼吸が乱れた。
 肩が激しく上下し、その度に身体が小さく震え出す。

「影裂さん……!」

 これ以上黙って弱っていく姿を見ていることに、もう我慢できなかった。
 触れれば届く距離に彼はいるのだ。だったら、手を伸ばさなければ。
 一歩、踏み出す。
 躊躇いを振り切るように、その傍へと膝をつく。
 手を伸ばして触れようとして——止まった。
 触れていいのか、分からない。
 触れれば、壊してしまいそうで。けれど、触れなければ、このまま失ってしまいそうで。

「どう、したら……」

 焦りと恐怖から、溢れ出した声が掠れる。
 震える指先が、宙を彷徨った。
 目の前で苦しむその姿をただ見ていることしかできない自分が、歯痒くて仕方がない。
 影裂は顔を伏せたまま、息を荒げている。
 土に落ちた影が僅かに歪んだ。その黒すら、何処か不安定に揺らいでいる。
 確実に崩れていっていた。彼自身も。その力も。