祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 そんなあったはずの未来を壊したのは娘達。子鬼の笑顔を奪ったのは娘達。

(もういっそ、このまま眠ってしまえば……)

 楽になれる。姉から暴力を振るわれることも、妖と出会わなくても済むようになる。
 起き上がる気力もなく、静かに目を閉じようとしたその時。

「———おい、お前」

 頭の上から女とは違う低い声が降ってきた。腹の底を揺らすほどの重い声が。

「聞こえるか。起き上がれそうには、ないな」

 霞む視界の前で誰かが膝をついた。二つの三日月が覗き込んでくる。
 誰、と問おうとしたのに上手く声が出せない。首を動かすことすらままならなかった。
 目の前にいるその誰かはそっと手を伸ばし、顔に掛かった髪を払う。
 娘の顔を見た誰かは、優しすぎる笑みを浮かべた。

「少しの辛抱だ。すぐに帰してやろう」

 その言葉が聞こえた瞬間、娘の身体を突然の浮遊感が襲った。
 浮かび上がったのではなく、誰かが抱き上げたから。取り零していた太刀も忘れずに拾い上げ、誰かは歩き出す。

(誰なの。どうして、こんなにも温かいの……?)

 できるだけ許さぬように慎重に歩いているのが伝わってくる。身体を支える腕に余計な力が籠もっていて、緊張しているのが感じられた。

「眠れ。眠れば、全て終わっているから」
「………あり、がと……」

 ふっと途切れる意識。目が完全に閉じる前に娘に見えたのは、若い男の微笑みであった。

「何と酷いことを。この子は、ただ傍にいてやっただけじゃないか」
 
 迷子になって怯えている子鬼を見つけた娘は、手にしている刀を抜こうとはしなかった。否、抜くという選択肢を持っていなかった。
 泣きわめく子鬼の傍であれやこれや話を続けたり、刀を振るう真似を見せたり、草を編んで冠を作ってやったり。
 一度だって殺意を見せたことはなかった。

「黄泉守家の娘ようだが、やけに変わった娘だ」

 腕の中で静かに眠る姿は、歳の割に若く見える。ボロボロで痣だらけになった顔は一回りほど腫れているが。
 
「……似ている、と言うのは申し訳ないな」

 殺せないのではなく、殺したくない。
 抜けないのではなく、抜きたくない。
 辞めないのではなく、辞められない。
 己の心と置かれた境遇が一致しなかったがために、娘は傷付くしかなかった。

「君が君らしくあれる世は———」

 己が己らしく、正しいと思えるものを信じられる世は、一体何処にあるのだろう。
 見上げた宵闇に浮かぶ月は、薄い雲に隠れて輝きを失っていた。