時の流れというものには逆らえず、知らぬ間知らぬ間に過ぎ去っていってしまう。
「それでも」
付け加えたような声が続いて、深雪は顔を上げた。
遠ざかっていく親子の背中をもう一度だけ見つめる。
「ああいう時間があるから、人は生きていけるんだと思います」
日常の中の、ありふれた、なんてことのない時間。
生きていれば、気にすることもないまま過ぎ去っていってしまう時間。
けれど、そこには確かに意味がある。
短く言いくるめた深雪の言葉に、影裂は何も返さない。
ただ、ほんの僅かに深雪の横顔へと視線を動かした。
「だから……消えるからこそ、大切にしたいんです」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出ていた。
理由や意味を探していた自分が、少しだけ遠くに感じる。
何も持たなかったはずなのに、今は、胸の奥に残っているものがある。
それだけで十分だと、そう思えた。
「……面倒なものだな」
息を吐くように、ぽつりと呟く。けれど、その声音は何処か柔らかい。
先程までの乾いた響きとは、ほんの少し違っていた。
「そうかもしれませんね」
くすり、と小さく笑う。
同じ景色を見て、同じようには感じられない。
それでも、こうして並んでいられることが、不思議と心地良かった。
「行きましょうか」
「そうだな」
村に背を向け、次は二人並んで歩き出す。
滞在時間こそ短かったけれど、溢れんばかりの時間を過ごしたように思える。
駿太郎やその他の子供達が当たり前のように成長し大人になれるように願いながら、二人は次なる場所への道を辿った。
「駿。ここまで一人で来たのかい?」
「ううん! おねえちゃんとおじさんが一緒にいてくれたんだよ!」
「そうかいそうかい。その人達は今何処に?」
「そこにいるよ! ほらっ———」
勢いよく振り返った先に、あの二人がいる。笑って待っていてくれている。
———はずだった。
「あれ?」
振り返った先にある村の入口には、もう誰もいなかった。
あの二人がいたという痕跡すら一つもなく、さあっと吹く風だけが残っている。
駿太郎は振り返ったまま、自分の目を疑った。
「誰もいないじゃないか。夢でも見ていたのかねぇ」
「ち、違うっ! いたんだ、本当にいたんだよ!」
腕を掴んで強く主張しても、母親は微笑みながら軽く受け流すだけ。
この村の中であの二人の存在を知っているのは、駿太郎ただ一人。
後に、元服を越えた駿太郎は語った。
幼い頃、村の中で母親とはぐれ、迷子になったことがある。
心細さに泣き出しそうになっていた自分の手を、そっと引いてくれた二人がいた。
一人は巫女。
もう一人は、得体のしれない男。
共に母親を探そうと、そう言ってくれた。
幼かった駿太郎は、疑うこともなくその手を取った。
名前を聞くこともなかった。
何処から来たのかも、知らないまま。
それでも、彼らと過ごした短い時間は、不思議なほど温かく、今もなお記憶の中で色褪せることはない。
笑い合い、川ではしゃぎ、他愛もない言葉を交わした、ほんの一時。
けれど、それは確かに、自分の中に残り続けている。
あの頃は、気づかなかった。
巫女の隣で、ぎこちなくも時折笑っていたあの男が、人ではなかったということに。
川で追いかけ合ったからではない。
ただ、楽しかった思い出だけが理由ではない。
今なら分かる。
あの男の纏っていた気配は、人のものとは明らかに異なっていた。
人ならざるもの。すなわち、妖。
それでも、怖いと思った記憶は、一度もない。
むしろ、あの男がいたからこそ、あの時間はあれほどまでに穏やかだったのだと、今では思う。
机の上には、今も一つの草の輪が置かれている。
あの巫女から贈られたものだ。
乾き、色褪せ、それでも形だけは崩れずに残り続けているそれは、まるで、あの日の記憶そのもののようだった。
「それでも」
付け加えたような声が続いて、深雪は顔を上げた。
遠ざかっていく親子の背中をもう一度だけ見つめる。
「ああいう時間があるから、人は生きていけるんだと思います」
日常の中の、ありふれた、なんてことのない時間。
生きていれば、気にすることもないまま過ぎ去っていってしまう時間。
けれど、そこには確かに意味がある。
短く言いくるめた深雪の言葉に、影裂は何も返さない。
ただ、ほんの僅かに深雪の横顔へと視線を動かした。
「だから……消えるからこそ、大切にしたいんです」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出ていた。
理由や意味を探していた自分が、少しだけ遠くに感じる。
何も持たなかったはずなのに、今は、胸の奥に残っているものがある。
それだけで十分だと、そう思えた。
「……面倒なものだな」
息を吐くように、ぽつりと呟く。けれど、その声音は何処か柔らかい。
先程までの乾いた響きとは、ほんの少し違っていた。
「そうかもしれませんね」
くすり、と小さく笑う。
同じ景色を見て、同じようには感じられない。
それでも、こうして並んでいられることが、不思議と心地良かった。
「行きましょうか」
「そうだな」
村に背を向け、次は二人並んで歩き出す。
滞在時間こそ短かったけれど、溢れんばかりの時間を過ごしたように思える。
駿太郎やその他の子供達が当たり前のように成長し大人になれるように願いながら、二人は次なる場所への道を辿った。
「駿。ここまで一人で来たのかい?」
「ううん! おねえちゃんとおじさんが一緒にいてくれたんだよ!」
「そうかいそうかい。その人達は今何処に?」
「そこにいるよ! ほらっ———」
勢いよく振り返った先に、あの二人がいる。笑って待っていてくれている。
———はずだった。
「あれ?」
振り返った先にある村の入口には、もう誰もいなかった。
あの二人がいたという痕跡すら一つもなく、さあっと吹く風だけが残っている。
駿太郎は振り返ったまま、自分の目を疑った。
「誰もいないじゃないか。夢でも見ていたのかねぇ」
「ち、違うっ! いたんだ、本当にいたんだよ!」
腕を掴んで強く主張しても、母親は微笑みながら軽く受け流すだけ。
この村の中であの二人の存在を知っているのは、駿太郎ただ一人。
後に、元服を越えた駿太郎は語った。
幼い頃、村の中で母親とはぐれ、迷子になったことがある。
心細さに泣き出しそうになっていた自分の手を、そっと引いてくれた二人がいた。
一人は巫女。
もう一人は、得体のしれない男。
共に母親を探そうと、そう言ってくれた。
幼かった駿太郎は、疑うこともなくその手を取った。
名前を聞くこともなかった。
何処から来たのかも、知らないまま。
それでも、彼らと過ごした短い時間は、不思議なほど温かく、今もなお記憶の中で色褪せることはない。
笑い合い、川ではしゃぎ、他愛もない言葉を交わした、ほんの一時。
けれど、それは確かに、自分の中に残り続けている。
あの頃は、気づかなかった。
巫女の隣で、ぎこちなくも時折笑っていたあの男が、人ではなかったということに。
川で追いかけ合ったからではない。
ただ、楽しかった思い出だけが理由ではない。
今なら分かる。
あの男の纏っていた気配は、人のものとは明らかに異なっていた。
人ならざるもの。すなわち、妖。
それでも、怖いと思った記憶は、一度もない。
むしろ、あの男がいたからこそ、あの時間はあれほどまでに穏やかだったのだと、今では思う。
机の上には、今も一つの草の輪が置かれている。
あの巫女から贈られたものだ。
乾き、色褪せ、それでも形だけは崩れずに残り続けているそれは、まるで、あの日の記憶そのもののようだった。

