祓えぬ巫女と喰えぬ鬼


「おかあさーーーーーーーん!」

 それから再び村へと戻った時、駿太郎の母親が偶然村の入口に立っていた。
 繋いでいた深雪と影裂の手を離し走り出すと、涙をいっぱいに浮かべる母親の胸元へと飛び込む。
 二回も言った“大きい”というのは、母親の愛情とやらでもあったらしい。

「見つかってよかったですね」
「ああ」

 村の中には入らぬまま、仲睦まじい親子の様子を見守る。
 齢五つと思われる駿太郎は、まだまだ母親に甘えたいもの。
 今まで何処で何をしていたのか語っている間も、決して母親を抱く手を緩めようとはしない。
 その様子に、母親は何度も頷き、何度も名を呼び、強く抱き締め返していた。

「よかった……本当に、よかった……」

 掠れた声が、何度も繰り返される。
 その一言一言に、どれほどの不安と焦りが込められていたのかが伝わってきて、深雪はそっと息を呑んだ。
 胸の奥が、じんわりと熱くなる。
 けれど、同時に何処かが静かに冷えていく。

(ああいうふうに、呼んでもらえる場所があるんだね)

 無意識に指先が震える。つい先程まで繋いでいた手の感触を、確かめるように。
 もうそこには、何もないのに。

「……」

 視線を落としかけて、ふと隣を見た。
 影裂は何も言わずにその光景を見つめている。表情は変わらない。
 けれど、ほんの僅かに細められた目が、何かを測るようでもあり遠くを見るようでもあった。

「おじさんですって」
「なんだ」
「駿太郎君には、貴方がそれなりに歳を重ねたように見えたようですよ」

 深雪の言葉の意味が分からず、影裂は眉間に皺を寄せた。
 人間の一生は短い。千年以上の時を生きる鬼にとって、人間の生涯というものは瞬きの間に過ぎ去ってしまう。

「鬼の中では、俺は若い方なんだが」
「影裂さんで若いって、他の方々は一体お幾つなんでしょう」
「もう数えるのも面倒でやめたが、五百は越えているはずだ」
「ごっ!? 鬼の一生とは、考えるだけで気が遠くなりそうです」

 五百年以上前から影裂は生きている。鬼として生を受け、鬼としての役目を放棄し続けてきた。
 想像もつかない長い年月を想像し、深雪は思わず本音を漏らす。そんな本音に、影裂は小さく肩を竦めた。

「慣れればどうということもない」

 あまりにもあっさりとした言い方だった。
 けれど、それがどれほどの時間の積み重ねの上にある言葉なのか、深雪には想像もつかない。

「慣れる、ですか……」

 五百年という歳月。
 人間ならば何度生まれ変わっても届かぬほどの長さ。その中で、何を見て、何を失ってきたのか。
 問おうとして、やめた。
 聞いてしまえば、きっと軽くは受け止められない。そんな気がしたから。

「人は、すぐにいなくなる」

 代わりに落ちたのは、短い一言だった。独り言のようでいて、確かに深雪へ向けられている。

「さっきのような光景も、いずれは消える」

 駿太郎の笑い声も。
 母親の温もりも。
 何もかもが、時の中に埋もれていく。