祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 


 目を覚ました時、最初に感じたのは、ひどく柔らかな温もりだった。
 重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。
 ぼやけた視界の中、見慣れない天井が映った。

(ああ、そっか。昨日……)

 次はないと任務を与えられ、たった独りで森の中に放り出された時。
 偶然にも影裂という鬼と出会い、何故か彼の追手から逃げ惑い、なんとかここまで逃げてきた。
 廃れた祠。
 雨。
 そして、契約とやらを結んだ鬼。

「……影裂……」

 小さくその名を呼ぶ。けれど、返事はない。
 起き上がろうとして、ふと気づく。
 身体に何かが掛けられている。視線を落とせば、見慣れない羽織が覆い被さっていた。
 粗い布地。それでも、ほんのりと残る体温が、確かに“誰かのもの”であることを伝えてくる。

「温かい……」

 胸の奥が僅かに揺れた。ゆらゆらと、トクトクと、心臓が拍を打つ。
 あちこちから隙間風が入ってきて到底暖など取れないはずなのに、たった一枚の羽織だけで身体が熱を出したように火照った。
 建物の中を見渡す。
 壊れかけた柱。崩れた壁。静まり返った空間。
 昨日と変わらない寂れた光景。けれど、彼の姿は何処にもなかった。
 羽織を握る手に、自然と力が籠もる。

(……いない)

 それだけで、妙に胸がざわついた。
 ほんの数刻前まで共にいたはずなのに、もうお別れなのかと。そう思うと、胸の奥がぐっと苦しくなった。
 羽織を抱えて慌てて立ち上がる。まだ少しふらつく足を叱咤して、外へと向かった。
 軋む扉を押し開けた瞬間、空気が変わる。
 ひんやりとした朝の匂い。
 夜の湿り気を残した風が、頬を撫でる。

「空気が、澄んでる」

 建物の外、境内だと思われる空間には、薄く霧が立ち込めていた。
 白く霞む世界。
 その中に、一つの影があった。

「……あ」

 建物から少し離れた場所。
 背を向けるようにして、影裂が立っている。
 彼の前には何か小さな屋根のようなものが見えた。それがあの祠であると気づいたのは、一歩踏み出した時。
 ゆっくりと足を進めると、濡れた地面が僅かに音を立てる。
 近づく深雪の気配に気づいたのか、影裂が顔だけをこちらへ向けた。

「起きたか」

 低く落ち着いた声が、深雪の身体を柔らかく包み込む。
 それを聞いた瞬間、胸の奥にあった僅かな不安が、すっと消えた。

「おはようございます」

 短く答えながら、彼の隣へと歩み寄る。
 すると、小さく微笑んだ彼の口から「おはよう」と返ってきた。