祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 そうなれば、生まれてきた意味なんてなくなってしまう。

「役目など……生きているだけで、生まれてきただけで十分じゃないか」

 腕に巻いていた包帯を解きながら、噛み締めるように影裂は言った。
 露わになった腕には、あれだけあった傷の一つもない。完全に無傷になっていた。

「……良かった」

 ぽつりと零れたその言葉は、無意識の内に安心したから。
 影裂は一瞬だけ黙り込み、それから視線を逸らした。

「何故お前は、役目や意味に固執する」
「私は無能の巫女なんです。妖を祓うことが使命なのに、私にはそれができない」

 言葉にした途端、胸の奥に溜め込んでいたものがゆっくりと溢れ出した。
 刀を握っても振るえない。妖を前にしても、殺意が湧かない。
 逃がした妖の数だけ、叱られて罰を受ける。なのに、一度だって妖を祓えなかった。
 思い出すのは、冷たい床。
 俯いたままの時間。
 振り上げられた手と、押し付けられる言葉。

「斬れないままで、守ることもできないままで……ただ、そこにいるだけの存在でした」

 膝の上で握った拳が震える。
 過去を思い出す度に、ないはずの傷が痛むような気がして。

「だったらせめて、何か一つくらい意味が欲しいんです」
「……お前は、本当に妙な奴だな」
「よく、言われます」

 小さく零れた笑みは、自嘲ではない柔らかな笑みだった。
 建物の外でまた雨が降り始める。
 ぽつ、ぽつ、と。静かな音が、空間を満たしていく。

「お前、名は何という」
「黄泉守深雪と申します。貴方は、影裂さんでいいですかね」
「好きに呼べば良い。鬼に名など然程重要ではないしな」
「じゃあ、影裂さん」

 弾む声で名を口にすると、ほんの少し気恥ずかしげに影裂は顔を背けた。
 それからというもの、しばらく言葉はない。けれど、不思議と居心地は悪くなかった。
 だた、不思議とこの時間が心地良いと感じる。二人だけだからか、それとも影裂という存在が目の前にあるからか。

「……なあ」

 不意に、影裂が口を開いた。

「さっきの話だが」
「はい」
「最後まで付いて来る、だったな」

 確認するような声音に、深雪は迷わず頷く。

「はい」
「なら、覚悟しておけ」

 深雪に向けていた視線へと投げ、影裂は息を吐くように言った。

「ここから先は、戻れない」

 その言葉は脅しではない。ただの事実だった。
 深雪は、ほんの一瞬だけ目を伏せる。
 それから、影裂の三日月のような琥珀色の目を見た。

「元々、戻る場所なんてありません」

 静かに言い切ると、影裂が僅かに目を細める。

「……そうか、ならば」

 ふっと閉じられた目が再び開いた時、ほんの一瞬だけ赤く染まった。

「逃げよう。共に」

 それ以上は、何も言わなかった。
 雨音だけが建物を包み込む。
 壊れかけた世界の中で、そこだけが、二人にとっての小さな“居場所”になっていた。