祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 世界が沈み、次に浮かび上がった時——そこは、ひどく静かな場所だった。
 雨音が遠い。
 森のざわめきも、先程までの追手の気配も、何もかもが薄れている。

「……ここ、は……」

 足元に視線を落とすと、苔むした石畳が僅かに覗いていた。崩れかけた石段。その先に、小さな祠がある。
 屋根は傾き、柱は朽ちかけている。扉は半ば外れ、風が吹くたびに軋んだ音を立てた。
 誰にも顧みられなくなって、どれほど経ったのだろう。

「神域、か」

 隣に立つ影裂が低く呟く。彼ですら知らないこの場所は、一体何処なのだろう。

「もう祀られてはいない。だが……気配は残って——」

 言い終えるよりも先に、影裂の身体がぐらりと傾いた。

「っ……!」

 深雪は慌ててその身体を支える。重い。けれど、それ以上に熱かった。

「どうしたんですか……!」
「……平気、だ」
「そんなわけないでしょう! 何処か落ち着ける場所にっ」

 息が荒い。言葉の端が僅かに途切れる。
 よく見れば、口元から流れていた血が、まだ止まっていなかった。

「中へ」

 短く言い、影裂は祠の奥にある建物の方へと顎をしゃくる。
 深雪は頷き、脇の下に身体を滑り込ませるとそのまま肩を貸して歩き出した。
 ぎい、と鈍い音を立てて、半ば壊れた扉を押し開く。

(見た目の割に、中はしっかりしているな)

 建物の中は暗く、不気味なほどにひんやりとしていた。
 土と木の匂い。僅かに残る香の残り香。
 奥には小さな祭壇がある。何も祀られてはいないが、そこだけは妙に整っていた。
 恐らく、元々は何かの神を祀った神社があったのだろう。鳥居は見当たらなかったが、それらしき残骸は外にあった。

「……ここなら、少しは保つ」

 そう言い残し、影裂の身体がその場に崩れ落ちた。

「し、しっかりしてください!」

 慌てて身体を支え、そのまま壁際に寄ると、背を預けるようにして座らせた。
 呼吸はある。だが、浅い。
 身体に触れるたびに、熱がじわりと伝わってくる。

「すぐに手当を」

 震える手で懐を探り、包帯を取り出す。
 濡れた衣を捲ると、そこには先程まで見えなかった傷が、幾つも浮かび上がっていた。

「こんな……」

 影を使った反動なのか、それとも骨喰の影響か。
 どれも深くはない。けれど、数が多い。
 じわりと滲む血を布で押さえ、痛まない程度に強く包帯を巻く。 
 再び影裂とあった時の傷以上の傷が、身体に深く刻まれていた。

「じっと、していてください」

 震えを押し殺しながら言うと、ただ苦しそうに息を吐く音だけが返ってきた。
 包帯を巻いても巻いても、刻まれた傷を覆い隠すことができない。
 まるで癒えることを拒まれているように、傷口からは血が流れ続ける。