祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 先程も感じた不安が再び胸の奥で渦を成す。ここで手を離せば、影裂は無事では済まないと。
 息が乱れる。胸が焼けるように痛む。
 それでも、深雪は前を見据える影裂の後ろ姿に向かって言った。

「……付いて、行きます」

 絞り出した声は震える。けれど、その言葉だけははっきりと形を持っていた。

「連れて行ってください!」

 迷いはない。たった一つだけ選んだ。
 彼を信じ、彼の持つ確かな温もりを信じ、全てから逃げ切ることを。
 深雪の方を振り返った影裂の目が僅かに見開かれる。
 次の瞬間、ふっと息を吐いて小さく笑った。

「本当に、馬鹿だな」

 呆れたように呟きながらも、その声音には確かな色が宿っていた。
 覚悟。
 生きるために、未だ明けぬ闇から抜け出し光を見るために、走り続ける覚悟。

「いいだろう」

 始めから深雪がそう答えると分かっていたと言わんばかりに、握る手に力を込めた。

「振り落とされるなよ」

 進行方向に背を向けるようにして足を止め、再び深雪の身体を抱き寄せた。
 背後から迫る骨の獣が、すぐそこまで迫っている。
 牙を剥き、骨同士が擦れ合う不快な音を鳴らしながら飛び掛かった。

「っ……!」

 深雪が息を呑んだ、その瞬間——影裂の足元の影が、爆ぜるように広がった。
 黒が形を持つ。
 影裂が固く閉じだ右手の中にあるそれは、闇を飲み込んだ刃。
 夜そのものを削り出したような、歪で鋭い刀。

「——はぁっ!」

 一閃。
 振り抜かれた黒の刃が、骨の獣を横薙ぎに断ち切った。
 鈍い破砕音が宵闇に反響すること無く消えていく。
 砕けた骨が宙を舞い、ばらばらに崩れ落ちた。だが、先にいる骨喰の表情は変わらない。

「甘いな」

 骨喰の声が落ちると同時に、砕けたはずの骨が再び蠢いた。
 地面を這い、繋がり、形を取り戻そうとする。

「再生……!」
「構うな!」

 影裂が深雪の腕を引く。そのまま、再び駆け出した。
 背後で、骨が組み上がる音が追いかけてくる。
 速い。
 速すぎる。

「……っ、まだ——!」

 影裂の呼吸が明らかに荒くなっていた。少し前まで息など上がっていなかったのに。
 否、骨喰が不自然に影の中へ骨を突っ込んだ時から、明らかに様子がおかしい。
 影を使うたびに、消耗している。
 それでも止まらない。止まれば、終わる。

「もう一度だけだ」

 何がもう一度だけなのかすぐに予想がつくのは、この状況が命をすり減らしているから。

「これで振り切れなければ——」

 ゆっくりと歩みを止めた影先は、その先を言おうとはしない。
 言う必要もなかった。
 だから、深雪は聞き返すこともせずにただ強く頷く。

「はい」

 短い返事だけれど、それで十分だった。
 足元の影が大きく膨らむ。森の闇と溶け合うように、境界が曖昧になっていく。
 背後から迫る骨の気配。
 その全てを飲み込むように、広がった影が二人の姿を覆い隠していく。

「行くぞ」

 世界が、再び沈んだ。