祓えぬ巫女と喰えぬ鬼

 母はそう言うと、上座から立ち上がって深雪の前に膝を折った。
 深雪は頭を下げたまま、ぎゅっと目を瞑る。

「これを持って行きなさい」

 ゴトッと鈍い音を立てて目の置かれたのは、深雪が元々持っていた太刀よりも幾分小さい打刀だった。
 鞘の漆は疎らに剥がれ、柄は傷だらけ、鍔は端から付いていなかったのか見当たらない。
 
「こ、これは?」
「お前にはこれくらいが十分よ。もらえるだけ有り難いと思いなさい」
「ですが、あの太刀は幼い頃からずっと───」

 言い終えるよりも先に、左頬に強い衝撃が襲った。
 一瞬何が起きたのか理解できない。鼻から血が出て、左頬を押さえて顔を上げる。
 つい先程まで目の前に置かれていたはずの打刀を握った母がいた。

「価値も分からないのに無駄に浪費しおって!」
「うぐっ……か、母様……やめてっ……!」

 母様、やめて。
 深冬姉様、助けて。
 自分を見ている人は二人いるのに、誰も助けてはくれない。
 嗚呼、邪魔なんだなと。
 居場所なんて何処にもないんだと、そう思うと不思議と痛みが和らいだ。

「深冬、何処か適当な山に捨ててきなさい。どうせ生きてたって何の役にも立たないんだから」
「私はよいですが。そうしますと、巫女が減ってしまいます」
「こいつより優秀な巫女なら幾らでもいるわ。お前だって“まだ”なんだから」
「……そう、ですか」

 短く答えた深冬の声に、感情はなかった。
 母は興味を失ったように視線を外す。

「好きにしなさい。いずれにせよ——」

 その言葉は、深雪に向けられたものではなかった。

「役に立たぬものに、これ以上手間をかける必要もないわ」

 畳に落ちた血が、じわりと滲む。
 深雪は、それをただぼんやりと見つめていた。
 不思議と恐怖はい。もう、何も期待していなかったから。

「……立ちなさい」

 静かな動作で立ち上がった深冬が、無理矢理腕を掴んで立ち上がらせようとしてくる。
 命じられるまま、促されるまま、深雪はゆっくりと身体を起こした。
 視界が揺れる。 
 足元が覚束ない。
 それでも倒れずにいられたのは、ただ意地だけだった。

「行くわよ」

 引き摺るようにして部屋の外へと連れ出される。
 廊下に出た瞬間、空気が少しだけ軽くなった。それでも、胸の奥の重さは消えない。
 外に出ると、雨はまだ降り続いていた。
 冷たい雫が頬の血と混ざり、ゆっくりと流れ落ちる。

「……ここでいいわ」

 深冬が不意に足を止めたのは、神社の石段の手前。その先は、森へと続く道が続いている。

「捨ててこいとは言われたけれど、そこまで手間をかけるつもりはないの」
「姉様」
「どうせ、お前は戻ってくる。行く宛なんてないものね」

 逃げ場を完全に断つように言い切ると、乱暴に背中を押された。

「……行きなさい」

 手首を掴んでいた手が離される。支えを失い、深雪の身体が僅かに揺れた。
 石段を下っていくさなか、背後からやけに寂しげな深冬の声が聞こえた気がした。

「任務よ」

 その一言だけが最後に残される。振り返ることなく、深冬は社の中へ戻っていった。