雑草娘の婚約~呪われたと追放寸前でしたが、元英雄に見いだされました~

「あの……助けてくださって、ありがとうございました」

 加護の里を出る馬車で、七珠那は婚約者となった男に言った。

「英雄の名誉を持つ方に、目をかけていただき……こ、光栄です」

 実際のところ、思いがけない事態で、よく知りもしない相手の婚約者になった事実に困惑はしても、光栄だとまでは思えない。
 ただ、追放される寸前で差し伸べられた手に、感謝しているのは間違いない。
 だから、相手のことを知りたいと思った。少しでも、話をするきっかけがあればと考えてのことだった。
 七珠那は、婚約者となった男のことを、噂話程度しか知らない。元英雄と呼ばれていても、具体的に何を成したのかも。
 まず、彼が持つ栄光についての話であれば、気分を害することは無いだろうと思ったのだ。

「──時期に恵まれただけだ」 

 圭章は短くそう返事をしただけだった。
 長い前髪が影を落とす表情に変化はない。口調も誇るようでも謙遜しているようでもない。淡々とした様子に、七珠那はそれ以上会話を続けられなくなってしまった。
 旅路の間、七珠那と圭章の間には、会話らしい会話は生まれないままだった。
 七珠那が知れたことと言えば、宮水圭章は、基本的には愛想がなく、口数も少ない男なのだということだけ。

 そして、宿場町で一泊し、翌日の昼過ぎには首都へ到着したのだった。 

「ここが……首都」  

 七珠那は初めての首都の様子を、馬車の窓から目を丸くして眺めていた。
 広い道路は整備されており、馬車が通る道と人が通る道が分けて作られている。道行く人の服装は色とりどりで、洋装の者もいた。西洋風の建築物は、里でも生まれた村でも見たことがない。
 何を見ても、目が眩むほどまぶしい。 

「私の家がある地域は、もっと下町だ」

 そうは言うものの、宮水家は古くからの家が立ち並ぶ一角にあった。
 大きな和風屋敷だった。門は立派で、年季の入った木の色をしている。門を潜れば質素でありながら丁寧に整えられた庭が見えた。塀に囲まれた敷地には蔵もあり、渡り廊下は隠されるように佇む木造の平屋につながっている。あれが、作業場だろうか。 

「戻った」

 玄関を入ると、つやつやとした板の廊下が伸びていた。小汚い足袋で歩くのが申し訳ないぐらいだった。

「おかえりなさいませ」

 迎えてくれたのは初老の女だった。灰色になった髪は、小さな玉飾りがついた簪で上品にまとめている。
 彼女は、七珠那を見て、あらまあと上品な声を上げた。
 七珠那は恥じ入って俯く。
 外出着など持っていなかったから普段着の濃紺の小袖だった。それも、着古してところどころ自分で繕ってある。
 新しい下働きか、あるいは、慈悲を施された物乞いにでも見えたに違いない。

清子(きよこ)。家の者だ。長く勤めてくれている」

 圭章は、まず七珠那に使用人として清子を紹介してくれるものだから、七珠那は気まずくなった。
 服装からすれば、明らかに逆だ。

「住み込みで家政婦をしております。清子、とお呼びください。」
「彼女は、七珠那。私の妻になる予定だ。巫女──」

 圭章は言いよどんだ。正確には、七珠那は巫女になれなかった立場なのだ。

「の力がある」

 結局、圭章はそう無難にまとめた。

「あらまぁ、加護の里でお嫁さんを見つけていらしたんですね! なら、今日から旦那様とお呼びしないといけませんね」

 巫女にしては見すぼらしすぎる七珠那を嫁だと紹介されても、清子はただ喜ぶばかりだった。

「家のことは清子に任せてある。なんでも聞くといい」
「は、はい。あの、私はこれからこちらで何を……。申し訳ないですが、花嫁修業もしておりません」
「無垢石を取り寄せる。まずは、加護を頼みたい」
「無垢石なら、里にあったはずでは……」
「慌ただしくて持ち出す時間がなかった」 

 七珠那はあっと口を覆った。
 持ち出す時間がなかったのは、七珠那を伴って急いで里を出たからだ。
 同時に、いたたまれない気持ちになる。
 巫女が嫁に行く際、嫁入り道具として立派な無垢石を与えられる。
 そのしきたりのために、七珠那は、晶瑚のための石を探していた。
 七珠那は、無垢石を持って里を出れなかった。巫女ではないからだ。

「急ぐよう伝えるが、少し時間がかかる」
「も、勿論です。無垢石が手に入ればすぐに」 
「それ以外は……」
「なんでも、お申し付けください! 炊事でも洗濯でも、庭掃除でも!」  

 七珠那は前のめりになる。
 何せ、七珠那の手足はよく働く。挽回してみせると意気込んだのだったが──。

「好きにしていい」

 その返答に、拍子抜けしてしまう。

「欲しいものがあれば買えばいい。清子に財布は預けてある」
「え……?」 
「外に出たければ、清子を連れていけ」
「あの……?」 

 この広い屋敷で、知らぬ土地で、今までの役目から離れて好きにしろと言われても、どうすればいいのかわからなかった。
 七珠那は戸惑うが、圭章はそれ以上何かを言うつもりはなさそうだった。
 沈黙を理解と取ったのか、圭章はそのまま七珠那を残して中へ進もうとする。
 七珠那は、慌てて圭章を引き留めた。 

「圭章様は……」
「仕事がある」
「そう、ですか……」 

 取り付く島もない。
 明らかに途方に暮れている七珠那を見て、圭章は少し考えて言う。

「そうだな……。食事の時間ぐらいは顔を合わせよう。いずれ、夫婦になるのだからな」
「えぇっと……ありがとうございます?」 
「あぁ」 

 再びの沈黙が、気まずかった。
 かといって、これ以上、七珠那から何を言えばいいのかさっぱりわからないのだ。

「さあさあ、えぇっと……七珠那様ですね」

 嚙み合わない二人を見ていられないとでも思ったのか、清子が殊更明るくちゃきちゃきとした声を上げた。

「可愛らしいお名前ですこと」
「いえ、あの……そんな、とんでもないです」 

 名前をもじって雑草娘と呼ばれていた七珠那なのだ。ひたすら謙遜してしまう。

「まずは、荷物を片付けて……、お荷物はそれだけかしら?」
「はい」

 七珠那は風呂敷を抱きしめた。

「なら、お衣服もそろえないと。ねぇ旦那様、選んで差し上げてはいかがかしら。これこそ男の楽しみというものですよ」
「清子に任せる」

 圭章の返事は、相変わらず不愛想だった。

「着物は女の道楽だろう。私に女の衣装のことなどわかるはずもない。金のことは気にしなくていい」
「そうでしょうとも」

 清子が、おかしそうに頷くのを見て、圭章は用が済んだとばかりに家の中へ引っ込んでしまった。
 玄関に取り残された七珠那は、清子に促されて、ようやく宮水家に足を踏み入れたのだった。

「ごめんなさいね。坊ちゃん──いえ、旦那様ったら」

 清子は、七珠那を客間だという部屋に案内してくれた。

「急いでお部屋を設えましょうね。それまではこの客間で辛抱くださいな」
「すいません、でも、十分です。ありがとうございます」

 襖と障子を閉じた部屋は、外が見えないから狭く思える。その狭さに、七珠那はようやく一息つけたのだった。

「あの、この家で暮らしているのは圭章様だけ、なんですか? あんまりにも静かなので……」
「ええ、大旦那様と大奥様は北山の別邸に。お役目を旦那様にお譲りして、ひとまず肩の荷が下りたと仰せで」

 清子は、あかるく笑った。

「この上、奥様をお迎えされるなんて話になったら、ますます足が遠のいてしまいますわね。安心して」
「使用人の方は……?」  
「住み込みは私だけ。あとは通いの者が必要な時に。私はもともと宮水の大奥様にお仕えしていたんですけど、同じ時期に娘が生まれまして。旦那様にお乳を差し上げたこともあって、今もお仕えさせていただいているんですよ」
「そう、ですか……」

 なら、この広い家で、七珠那は圭章と清子の三人で暮らすことになるのだ。

(少し……息が詰まりそう……)

 出会って間もない相手だ。仕方がないのだが、七珠那はあの圭章の突き放すような態度が気になっていた。

(嫁と言っても、お金で買った巫女もどきだから、なのかな……)

「愛想は悪いんですが、いやな人じゃないんですよ」

 まるで七珠那の考えを読んだかのように、清子は言う。
 自分の主を庇う物言いには、必死さが滲んでいた。
 清子は、彼の前の婚約が駄目になったのを、その目で見てきたのだろう。 

「……優しくしていただいて、ありがたいと思っています。気を使ってくれているのもわかります」

 夫となる相手について、わからないことの方が多い。
 だが、それらは短い間の中で、間違いなく七珠那が自分で見て感じたことだった。
 七珠那は、彼の行動を、一つ一つ注意深く思い返しながら続ける。

「ご自身の名誉も自慢されるわけでもなくて、謙虚な人柄なのだと、思いました」

 時期が良かったと受け流すのも、好ましいと思った。 

「あらまあ」

 清子は、心から嬉しそうに微笑んだ。

「まずは、着物を用意しましょうか。いつかあつらえて差し上げればいんですが、とりあえず、すぐに着られるものが必要ですね」         

 そうして、戸惑い一杯の新生活が始まったのだった。