──お前、面白いわね。なりふり構わずなところ。とても良い──
炎の神から加護を受けた時、はっきりとは覚えていないが、晶瑚はそう言われたような気がした。
焔結照姫神──炎と戦の女神。始めに人に加護を与えた神。
神々の争いが起った際、女でありながら戦場に立ち、手柄を上げたと言われている。その一方、美しい姫神達からは疎まれ、しょっちゅう諍いを起こした──別名、嫉妬の神。
晶瑚が加護を受けたのは、そんな神様だった。
五行の一つ、炎の力を持つ、最も格式高い姫神様。
巫女は加護を受ける時、神との対話があると伝えられている。ならば、あの声は幻ではなかったのだろう。
(なんて都合がよくて、ありがたい神様)
晶瑚は心から思った。そんな自分を面白いと思って加護が下されたのだと思うと、取り繕う気にもなれなかった。
(もっと、上へ──。誰にも負けないぐらい)
晶瑚が巫女となったのは、その一心だった。
(家柄だけの華族のお嬢様になんて、もう二度と負けない。私が一番、愛されて、羨まれて当然なの)
晶瑚は首都の大店の末娘として生まれた。
すでに十を超えた兄が三人いて、女の子が欲しいと強く願った両親が、遅くに作った娘だった。
おまけに飾りがいのある美貌を持っていたものだから、当然、晶瑚は、家族からの溢れる愛を受けて育った。
財力だけで言えば、下級華族にも負けない家勢である。
成長するに従い、晶瑚の美貌には磨きがかかり、高価な品々で身を飾り、下女を連れて淑やかに町を歩けば、誰もかれもが目を奪われた。
家族からは惜しみない財と愛。女達からの嫉妬と羨望。男からの焦がれるような眼差し。
晶瑚は間違いなく、その地域一帯のお姫様だったのだ。
そんな晶瑚の自負が打ち砕かれたのは、両親に伴われて参加した華族の茶会の席だった。
避暑に建てられた伯爵家の別館。
洋風建設のそれには、大広間が作られており、伯爵家の親戚や友人、取引のある大きな商家が招かれて立食の形で、食事や会話を楽しんでいた。
広間の一角には、白い敷布が掛けられた卓が置かれ、子供の好きそうなお菓子や飲み物が準備されていた。
その周りに、晶瑚と年の近い子供たちが集まっていた。
遊んでおいで、と促されて、晶瑚はすっと背筋を伸ばしてそこに近づいて行った。
牡丹色の生地に金の糸で大振りの花の刺繍を施した着物。この贅を尽くした着物が似合うのは、晶瑚だけだった。
他の皆は、なんだか小さくてごちゃごちゃした模様の着物を着ているし、柄が少なくて地味。髪飾りだって小さい。
(私が、一番立派でかわいいもの)
晶瑚は疑いもしなかった。
近づきさえすれば、男の子たちがちやほやしてくれるとわかっていた。晶瑚と仲良くなりたい女の子だってたくさんいるはず。
晶瑚にとって、世界というものはそういうものだったのだから。
だが、そこで待っていたのは、晶瑚にとって初めての屈辱だった。
晶瑚が近づけば、子供達は顔を見合わせ、小さく笑った。嫌な笑い方に、晶瑚の足が止まった。
──あぁ、成金ね。みっともない──
晶瑚は殴られたような衝撃を受けて、顔色を失った。
──ずいぶんご立派な恰好をしているのね。身分の弁えないのは、嫌われるわよ──
誰も、晶瑚を仲間に入れてくれなかった。
(私の家より、貧乏な家もあるじゃない。あの子もこの子も私より不細工なのに)
なのになぜ、身分を持たないというだけで、馬鹿にされるのか。
(許さない。絶対に負けない。見返してやる。このままじゃ終われない。そうでなければ、私でいられない)
晶瑚に神気があることが分かり、巫女にと望まれたのは、それから半年ほど後のことだった。
愛娘が家から離れることに、両親は難色を示したが、晶瑚が必死に訴えかけると許可が下りた。
(人の役に立ちたいのです、なんて、心にもないことなのに)
晶瑚の目標は、ただ一つ。
巫女になり、人から羨まれるような良い結婚の足掛かりにすることだった。
(このまま家にいても、せいぜい身分の釣り合う大店か下級華族の嫁になるしかない)
それでは、まだ足りない。晶瑚はそう思っていた。
(富も名声も、何もかもが欲しい。巫女になれば、誰もが私を尊重し、大切にしてくれる。強い守代や神職、もっと爵位のある華族の嫁に行ける)
巫女になり、もっと上に行く。馬鹿にされないよう。誰からも文句のつけないような立場を手に入れる。
そのためなら、多少の不便は耐えて見せる。
(そうしてやっと──私らしくなるの)
誰からも愛され、崇められる自分。女の嫉妬と羨望を集め、男から恋焦がれる。
そんな心地よい自分自身に。
利用できるものは、何でも利用してきた。
監督役である明官に愛想を振りまき、優秀さを何気なく見せつける一方、巫女仲間達からの嫉妬を買いすぎないようにふるまった。
石拾いにも、気を使ってやった。
巫女が使う無垢石は、石拾いが拾ってくる。
巫女の嫁入りの際には、その時期に採れた中で一番立派な無垢石を嫁入り道具にするというしきたりがあった。
晶瑚のために、誰よりも立派な無垢石を取ってきてもらわないといけないのだから。
石拾いがつけ上がらないように加減が難しかったけれど、晶瑚が少し優しくするだけで、単純な幼い娘は晶瑚の望むようになった。
石拾い達はいずれも貧しくて身売りされてきた娘たちだ。可哀そうにと労わって、頼りにしているからと甘い言葉を囁けばそれで充分だった。
格式高い炎の神の加護を得て、嫁入りの年頃になれば、案の定、晶瑚にはいくつもの嫁入り話がもたらされた。
(ただのお金持ちじゃ駄目。爵位があるだけじゃ駄目)
神職、男爵、子爵──まだ足りない。もっと話題性があって、誰もが羨むような。
(守代がいい。強い守代なら、爵位を持つ者もおろそかにできない)
でも──ただの守代では足りない。
(もっと名声が欲しい)
英雄と呼ばれた男が既に引退したことが、残念だった。
もし現役であったなら、縁談があったなら、あの男が良かった。
(ううん──もし縁談があったのなら、現役を退いているからこそ、あの男がよかった)
実家は、祝具師の名家。市井の知名度も支持も未だに高い。
英雄と呼ばれた栄光と守代としての実績は得つつも、今後は戦いに出ないのだから夫の怪我の心配をしなくていいのが魅力的だった。
おまけに、なかなかの美丈夫らしい。
(もちろん、不細工なのも、駄目)
結局、数ある縁談の中から、晶瑚が選んだのは、ある守代だった。
中屋敷家という旧い守代の家系で、晶瑚の炎の加護を熱心に欲している。
年の頃が近く、なかなかに男前だ。
格が少し下がった気がするが、晶瑚にもたらされた縁談の中では頭一つ飛びぬけていた。
名声ある守代。歴史ある家系。豊富な財産。見目麗しい夫。
(悪くないわ。 若いのだから、これからまだ一層大きな名声を得るでしょうし)
そう思っていたのに。
(なのに、どうして──)
晶瑚は、巫女達が群がる窓の隙間から、加護の里を出て行く娘の横顔を見つめた。
他愛もない地味な娘だ。身売りされた貧しく身分の低い。
(どうして、あの子が宮水家の嫁になるの。それに、あんな大金)
彼に並ぶものがないから、中屋敷家で妥協したというのに。
今の時点では、圧倒的に宮水家の知名度の方が高い。
おまけに、あの娘が引き出した寄付は、晶瑚の時の倍近い金額だった。
(それに、新しい加護なんて──)
ただの石拾いではないか。巫女にもなれない。
晶瑚に並ぶものなど、何も持っていないはずなのに。
上ばかりを見てきた。
下とみなしたものは、利用する相手だとしか思っていなかった。
晶瑚は自分の内に抱えた感情に、目の前が暗くなっていくのを感じた。
下の者に並ばれることは、上の者に見下されるよりもずっと屈辱的なのだと、初めて知った。
炎の神から加護を受けた時、はっきりとは覚えていないが、晶瑚はそう言われたような気がした。
焔結照姫神──炎と戦の女神。始めに人に加護を与えた神。
神々の争いが起った際、女でありながら戦場に立ち、手柄を上げたと言われている。その一方、美しい姫神達からは疎まれ、しょっちゅう諍いを起こした──別名、嫉妬の神。
晶瑚が加護を受けたのは、そんな神様だった。
五行の一つ、炎の力を持つ、最も格式高い姫神様。
巫女は加護を受ける時、神との対話があると伝えられている。ならば、あの声は幻ではなかったのだろう。
(なんて都合がよくて、ありがたい神様)
晶瑚は心から思った。そんな自分を面白いと思って加護が下されたのだと思うと、取り繕う気にもなれなかった。
(もっと、上へ──。誰にも負けないぐらい)
晶瑚が巫女となったのは、その一心だった。
(家柄だけの華族のお嬢様になんて、もう二度と負けない。私が一番、愛されて、羨まれて当然なの)
晶瑚は首都の大店の末娘として生まれた。
すでに十を超えた兄が三人いて、女の子が欲しいと強く願った両親が、遅くに作った娘だった。
おまけに飾りがいのある美貌を持っていたものだから、当然、晶瑚は、家族からの溢れる愛を受けて育った。
財力だけで言えば、下級華族にも負けない家勢である。
成長するに従い、晶瑚の美貌には磨きがかかり、高価な品々で身を飾り、下女を連れて淑やかに町を歩けば、誰もかれもが目を奪われた。
家族からは惜しみない財と愛。女達からの嫉妬と羨望。男からの焦がれるような眼差し。
晶瑚は間違いなく、その地域一帯のお姫様だったのだ。
そんな晶瑚の自負が打ち砕かれたのは、両親に伴われて参加した華族の茶会の席だった。
避暑に建てられた伯爵家の別館。
洋風建設のそれには、大広間が作られており、伯爵家の親戚や友人、取引のある大きな商家が招かれて立食の形で、食事や会話を楽しんでいた。
広間の一角には、白い敷布が掛けられた卓が置かれ、子供の好きそうなお菓子や飲み物が準備されていた。
その周りに、晶瑚と年の近い子供たちが集まっていた。
遊んでおいで、と促されて、晶瑚はすっと背筋を伸ばしてそこに近づいて行った。
牡丹色の生地に金の糸で大振りの花の刺繍を施した着物。この贅を尽くした着物が似合うのは、晶瑚だけだった。
他の皆は、なんだか小さくてごちゃごちゃした模様の着物を着ているし、柄が少なくて地味。髪飾りだって小さい。
(私が、一番立派でかわいいもの)
晶瑚は疑いもしなかった。
近づきさえすれば、男の子たちがちやほやしてくれるとわかっていた。晶瑚と仲良くなりたい女の子だってたくさんいるはず。
晶瑚にとって、世界というものはそういうものだったのだから。
だが、そこで待っていたのは、晶瑚にとって初めての屈辱だった。
晶瑚が近づけば、子供達は顔を見合わせ、小さく笑った。嫌な笑い方に、晶瑚の足が止まった。
──あぁ、成金ね。みっともない──
晶瑚は殴られたような衝撃を受けて、顔色を失った。
──ずいぶんご立派な恰好をしているのね。身分の弁えないのは、嫌われるわよ──
誰も、晶瑚を仲間に入れてくれなかった。
(私の家より、貧乏な家もあるじゃない。あの子もこの子も私より不細工なのに)
なのになぜ、身分を持たないというだけで、馬鹿にされるのか。
(許さない。絶対に負けない。見返してやる。このままじゃ終われない。そうでなければ、私でいられない)
晶瑚に神気があることが分かり、巫女にと望まれたのは、それから半年ほど後のことだった。
愛娘が家から離れることに、両親は難色を示したが、晶瑚が必死に訴えかけると許可が下りた。
(人の役に立ちたいのです、なんて、心にもないことなのに)
晶瑚の目標は、ただ一つ。
巫女になり、人から羨まれるような良い結婚の足掛かりにすることだった。
(このまま家にいても、せいぜい身分の釣り合う大店か下級華族の嫁になるしかない)
それでは、まだ足りない。晶瑚はそう思っていた。
(富も名声も、何もかもが欲しい。巫女になれば、誰もが私を尊重し、大切にしてくれる。強い守代や神職、もっと爵位のある華族の嫁に行ける)
巫女になり、もっと上に行く。馬鹿にされないよう。誰からも文句のつけないような立場を手に入れる。
そのためなら、多少の不便は耐えて見せる。
(そうしてやっと──私らしくなるの)
誰からも愛され、崇められる自分。女の嫉妬と羨望を集め、男から恋焦がれる。
そんな心地よい自分自身に。
利用できるものは、何でも利用してきた。
監督役である明官に愛想を振りまき、優秀さを何気なく見せつける一方、巫女仲間達からの嫉妬を買いすぎないようにふるまった。
石拾いにも、気を使ってやった。
巫女が使う無垢石は、石拾いが拾ってくる。
巫女の嫁入りの際には、その時期に採れた中で一番立派な無垢石を嫁入り道具にするというしきたりがあった。
晶瑚のために、誰よりも立派な無垢石を取ってきてもらわないといけないのだから。
石拾いがつけ上がらないように加減が難しかったけれど、晶瑚が少し優しくするだけで、単純な幼い娘は晶瑚の望むようになった。
石拾い達はいずれも貧しくて身売りされてきた娘たちだ。可哀そうにと労わって、頼りにしているからと甘い言葉を囁けばそれで充分だった。
格式高い炎の神の加護を得て、嫁入りの年頃になれば、案の定、晶瑚にはいくつもの嫁入り話がもたらされた。
(ただのお金持ちじゃ駄目。爵位があるだけじゃ駄目)
神職、男爵、子爵──まだ足りない。もっと話題性があって、誰もが羨むような。
(守代がいい。強い守代なら、爵位を持つ者もおろそかにできない)
でも──ただの守代では足りない。
(もっと名声が欲しい)
英雄と呼ばれた男が既に引退したことが、残念だった。
もし現役であったなら、縁談があったなら、あの男が良かった。
(ううん──もし縁談があったのなら、現役を退いているからこそ、あの男がよかった)
実家は、祝具師の名家。市井の知名度も支持も未だに高い。
英雄と呼ばれた栄光と守代としての実績は得つつも、今後は戦いに出ないのだから夫の怪我の心配をしなくていいのが魅力的だった。
おまけに、なかなかの美丈夫らしい。
(もちろん、不細工なのも、駄目)
結局、数ある縁談の中から、晶瑚が選んだのは、ある守代だった。
中屋敷家という旧い守代の家系で、晶瑚の炎の加護を熱心に欲している。
年の頃が近く、なかなかに男前だ。
格が少し下がった気がするが、晶瑚にもたらされた縁談の中では頭一つ飛びぬけていた。
名声ある守代。歴史ある家系。豊富な財産。見目麗しい夫。
(悪くないわ。 若いのだから、これからまだ一層大きな名声を得るでしょうし)
そう思っていたのに。
(なのに、どうして──)
晶瑚は、巫女達が群がる窓の隙間から、加護の里を出て行く娘の横顔を見つめた。
他愛もない地味な娘だ。身売りされた貧しく身分の低い。
(どうして、あの子が宮水家の嫁になるの。それに、あんな大金)
彼に並ぶものがないから、中屋敷家で妥協したというのに。
今の時点では、圧倒的に宮水家の知名度の方が高い。
おまけに、あの娘が引き出した寄付は、晶瑚の時の倍近い金額だった。
(それに、新しい加護なんて──)
ただの石拾いではないか。巫女にもなれない。
晶瑚に並ぶものなど、何も持っていないはずなのに。
上ばかりを見てきた。
下とみなしたものは、利用する相手だとしか思っていなかった。
晶瑚は自分の内に抱えた感情に、目の前が暗くなっていくのを感じた。
下の者に並ばれることは、上の者に見下されるよりもずっと屈辱的なのだと、初めて知った。
