「そ、そんな……! その娘は、石拾いですよ! それも、呪いを受けてるかもしれない!」
突然の出来事に、皆が言葉を失う中、いち早く声を取り戻したのは明官だった。
「呪いでないことは、私が良く知っている」
「しかし……!」
「幾らだ?」
「は?」
「巫女を妻に迎えるなら、結納金代わりに寄付を里に納めると聞いている。この娘なら、いくら必要だ」
宮水圭章の声は、抑揚が乏しいのに、有無を言わせぬ力があった。
明官は、自分の言葉を意に介さない客人に気分を害した様子だったが、金額の話になった途端、その態度をひっこめた。
「そのう……これほどに」
明官がもごもごと言いながら指を三本立てる。
(吹っ掛けた……!)
七珠那は、その金額が、通常の倍近い金額であることに気が付いた。
明官は、七珠那をこの里に置いておきたくないし、当然嫁にやるのも嫌なはずなのに、多額の金銭をちらつかされると簡単に迷う。
元々、七珠那は巫女として数えられていない身だ。
この結納金を懐に仕舞いこんだところで、上に知られないで済むと目論んでいるのだろう。
「わかった。追って支払いを済ませよう」
男は、相場を知ってか知らないでか、あっさりと頷いた。
(これが、婚約者を金で買った男……)
七珠那はその噂を思い出す。彼のかつての婚約者も、こうやって買われてきたのだろうか。
「一緒に首都に来てくれ──婚約者として」
宮水圭章は、七珠那に向かって言う。
「そして、力を貸してくれ。お前の加護が、首都を守ってくれるのだと信じている」
あの時と一緒だ、と七珠那は思う。
ごくつぶしと罵られるぐらいなら、巫女の役に立ちたかった。だから、手を挙げた。
巫女の役に立てないのなら、誰かの役に立ちたかった。
あの時も、今も、命を値踏みされているのだとわかっている。
それでも、その事実だけで終わらせるのが嫌だった。
自分自身に、この命に、意味があるのだと思いたかった。
「よろしく、お願いします」
結果は変わらずとも、七珠那は自分の意志で、己の運命を選んで、決めて来た。
巫女達の露骨な悪意の視線と舌打ちの中、七珠那は宮水圭章の手を取ったのだった。
──旅立ちは、その日と決められ、準備は慌ただしく進む。
ただし、慌ただしいのは成り行きに混乱する明官や噂話や陰口に姦しい巫女達だけだった。
荷物をまとめろと言われて、七珠那は自分の部屋で私物を風呂敷に包む。
出来上がった荷物は、七珠那の細腕で十分抱えられる程度だった。
七珠那の暮らしは里で賄われていた。実家から持ち出したものもない。七珠那の持ち物はそれだけしかなかった。
半刻もする頃には、七珠那は身支度を整え、御野山との境目にある注連縄の前に立っていた。
後ろには、夫となるはずの男が佇んで成り行きを見守っている。
七珠那は注連縄の前に膝をついた。
「天御玉比売にお礼申し上げます──。これより後、ここを離れる定めとなりて、重ねて参ることもございません」
石拾いは、役目に着く時と役目を終える時、こうして天御玉比売に挨拶をする。
不思議なことに、着任の挨拶をした後は、山で迷うことは無くなる。
逆に山を去ることを告げれば、他の者と同様になる。帰れなくなってしまうのだ。
七珠那は改めて、眼前に広がる御野山を見上げた。
ここに連れて来られた時は、まさかこんな形で去ることになるとは予想していなかった。
「もう、構わないか」
声が掛けられ、七珠那は、振り返った。
「心残りはないか?」
「はい。宮水様、お待たせしました」
「宮水様、というのはおかしいな。おいおいは夫婦になるのだから」
動きの少ない表情からは、喜んでいるのか疎んじているのかがよくわからない。
「圭章様?」
「それで構わない。──名残惜しいのか?」
圭章は、七珠那の隣に並び、同じように御野山を見上げた。
「そうですね。六年、毎日のように山に入っていましたから。まだ続けられるものだと思っていました」
「変わった娘だな」
「え?」
「無垢石拾いは、幼い娘にはつらい役目だ。終えることを喜びこそすれ、惜しむ娘がいるとは思っていなかった」
「母に、会える気がするんです」
七珠那は気味悪がられるのを承知で、正直に言う。
あたりさわりのないことを言うことはできたが、仮にも相手は夫になる人だ。
少しだけでも、心を預けてみたかった。
彼は、別れを惜しむ七珠那を急かさなかった。荷造りの間も傍を離れなかった。退屈だろうからと巫女や明官に勧められた休憩も茶も固辞して。
実際、退屈だっただろうし、気まずかったと思う。
だが、彼が傍にいるから、明官も巫女達も、直接七珠那に嫌味一つ言えなかった。
出会って僅かとはいえ、優しさのかけらを感じ取るには、十分だった。
(噂とは、少し違う方なのかもしれない)
婚約者を金で買ったと言うものだから、もっと身勝手で、傲慢な人を想像していた。
「母君は?」
「妖魔に襲われて──」
「あぁ」
問いかけたことを悔やむように、彼は喉の奥で唸った。
「昔、山で亡くなった母に会った気がするんです。勘違いに違いないんですが」
七珠那が里にやってきて数か月経った頃の話だ。
その日は雪だった。山に入った当初はちらつく程度だったものが、運悪く途中で吹雪いてきて、前が見えなくなった。
(おかあさぁん……! おかあさん、どこぉ……!)
母の死など、とっくに受け止めていた。覚悟の上石拾いになったのに、毎日道もない山に入らなければならない過酷な日常に幼い七珠那の心は限界に近づいていた。
おまけに、視界を奪う吹雪。七珠那の気持ちがぽきりと折れた瞬間だった。
七珠那は泣きながら母を呼んで、山を彷徨った。
どうにもならないとわかっている。でも、助けて欲しかった。
その時、見たのだ。
大人の女の人が、両手を広げ、七珠那を待つ姿を。
暗い雪雲が覆う空の元、その姿だけが淡く輝いて見えた。
七珠那はそのぼやけた光に駆け寄った。抱きしめられたような気がするけれど、それから後は記憶がない。
気が付けば、吹雪は止み、傍らには先輩の石拾いがいた。
「勘違いだったんでしょうけれど、それから山に入るのが苦ではなくなりました。勿論、つらいことも多かったんですが」
「少なくとも、私はお前を──七珠那を凍えさせるつもりはない」
決意の滲むはっきりとした口調だった。
「都では、いいの暮らしをさせてやれる。それこそ裕福な令嬢のような。そのぐらいの甲斐性はあるつもりだ」
「……ありがとうございます」
それは、七珠那が望んでいるものとは少し違うのだけれど、彼なりの優しさなのだということはわかった。
七珠那は淡く微笑んで、感謝と共に受け取った。
「行こうか」
促されて、七珠那は里の出入り口へと向かった。
屋敷の傍を通れば、窓越しに巫女達がこちらを伺っているのが見えた。
民家からは、世話役たちが顔を見せていた。
恐れと嫉妬。戸惑い。様々な感情が入り混じる視線だった。
(誰も……別れを惜しんではくれないのね)
わかっていたけれど、僅かに落胆してしまう。そんな七珠那に、小さな声が掛けられる。
「七珠那、行っちゃうの?」
「橘花……」
屋敷から出てきた幼い妹分が、腰に抱き着いて来る。七珠那はそれだけで胸がいっぱいになる。
だが、橘花の口から飛び出てきたのは、七珠那の胸を刺すような言葉だった。
「七珠那が行けば、誰が私を助けてくれるの?」
無邪気なのに、今の七珠那にはあまりにも残酷だった。
「行かないで、七珠那。ずっと橘花を助けてよ」
六年の間に、自分が成したことは一体何だったんだろう。
七珠那は思いながら、橘花の頭を撫でた。
「ごめんね……。もう、助けてあげられないの」
巫女達には軽んじられ、かえでの嫉妬を買い、橘花からは便利な相手としか思われていない。
七珠那は情けないような気持ちで、引き留める橘花を振り切ったのだった。
突然の出来事に、皆が言葉を失う中、いち早く声を取り戻したのは明官だった。
「呪いでないことは、私が良く知っている」
「しかし……!」
「幾らだ?」
「は?」
「巫女を妻に迎えるなら、結納金代わりに寄付を里に納めると聞いている。この娘なら、いくら必要だ」
宮水圭章の声は、抑揚が乏しいのに、有無を言わせぬ力があった。
明官は、自分の言葉を意に介さない客人に気分を害した様子だったが、金額の話になった途端、その態度をひっこめた。
「そのう……これほどに」
明官がもごもごと言いながら指を三本立てる。
(吹っ掛けた……!)
七珠那は、その金額が、通常の倍近い金額であることに気が付いた。
明官は、七珠那をこの里に置いておきたくないし、当然嫁にやるのも嫌なはずなのに、多額の金銭をちらつかされると簡単に迷う。
元々、七珠那は巫女として数えられていない身だ。
この結納金を懐に仕舞いこんだところで、上に知られないで済むと目論んでいるのだろう。
「わかった。追って支払いを済ませよう」
男は、相場を知ってか知らないでか、あっさりと頷いた。
(これが、婚約者を金で買った男……)
七珠那はその噂を思い出す。彼のかつての婚約者も、こうやって買われてきたのだろうか。
「一緒に首都に来てくれ──婚約者として」
宮水圭章は、七珠那に向かって言う。
「そして、力を貸してくれ。お前の加護が、首都を守ってくれるのだと信じている」
あの時と一緒だ、と七珠那は思う。
ごくつぶしと罵られるぐらいなら、巫女の役に立ちたかった。だから、手を挙げた。
巫女の役に立てないのなら、誰かの役に立ちたかった。
あの時も、今も、命を値踏みされているのだとわかっている。
それでも、その事実だけで終わらせるのが嫌だった。
自分自身に、この命に、意味があるのだと思いたかった。
「よろしく、お願いします」
結果は変わらずとも、七珠那は自分の意志で、己の運命を選んで、決めて来た。
巫女達の露骨な悪意の視線と舌打ちの中、七珠那は宮水圭章の手を取ったのだった。
──旅立ちは、その日と決められ、準備は慌ただしく進む。
ただし、慌ただしいのは成り行きに混乱する明官や噂話や陰口に姦しい巫女達だけだった。
荷物をまとめろと言われて、七珠那は自分の部屋で私物を風呂敷に包む。
出来上がった荷物は、七珠那の細腕で十分抱えられる程度だった。
七珠那の暮らしは里で賄われていた。実家から持ち出したものもない。七珠那の持ち物はそれだけしかなかった。
半刻もする頃には、七珠那は身支度を整え、御野山との境目にある注連縄の前に立っていた。
後ろには、夫となるはずの男が佇んで成り行きを見守っている。
七珠那は注連縄の前に膝をついた。
「天御玉比売にお礼申し上げます──。これより後、ここを離れる定めとなりて、重ねて参ることもございません」
石拾いは、役目に着く時と役目を終える時、こうして天御玉比売に挨拶をする。
不思議なことに、着任の挨拶をした後は、山で迷うことは無くなる。
逆に山を去ることを告げれば、他の者と同様になる。帰れなくなってしまうのだ。
七珠那は改めて、眼前に広がる御野山を見上げた。
ここに連れて来られた時は、まさかこんな形で去ることになるとは予想していなかった。
「もう、構わないか」
声が掛けられ、七珠那は、振り返った。
「心残りはないか?」
「はい。宮水様、お待たせしました」
「宮水様、というのはおかしいな。おいおいは夫婦になるのだから」
動きの少ない表情からは、喜んでいるのか疎んじているのかがよくわからない。
「圭章様?」
「それで構わない。──名残惜しいのか?」
圭章は、七珠那の隣に並び、同じように御野山を見上げた。
「そうですね。六年、毎日のように山に入っていましたから。まだ続けられるものだと思っていました」
「変わった娘だな」
「え?」
「無垢石拾いは、幼い娘にはつらい役目だ。終えることを喜びこそすれ、惜しむ娘がいるとは思っていなかった」
「母に、会える気がするんです」
七珠那は気味悪がられるのを承知で、正直に言う。
あたりさわりのないことを言うことはできたが、仮にも相手は夫になる人だ。
少しだけでも、心を預けてみたかった。
彼は、別れを惜しむ七珠那を急かさなかった。荷造りの間も傍を離れなかった。退屈だろうからと巫女や明官に勧められた休憩も茶も固辞して。
実際、退屈だっただろうし、気まずかったと思う。
だが、彼が傍にいるから、明官も巫女達も、直接七珠那に嫌味一つ言えなかった。
出会って僅かとはいえ、優しさのかけらを感じ取るには、十分だった。
(噂とは、少し違う方なのかもしれない)
婚約者を金で買ったと言うものだから、もっと身勝手で、傲慢な人を想像していた。
「母君は?」
「妖魔に襲われて──」
「あぁ」
問いかけたことを悔やむように、彼は喉の奥で唸った。
「昔、山で亡くなった母に会った気がするんです。勘違いに違いないんですが」
七珠那が里にやってきて数か月経った頃の話だ。
その日は雪だった。山に入った当初はちらつく程度だったものが、運悪く途中で吹雪いてきて、前が見えなくなった。
(おかあさぁん……! おかあさん、どこぉ……!)
母の死など、とっくに受け止めていた。覚悟の上石拾いになったのに、毎日道もない山に入らなければならない過酷な日常に幼い七珠那の心は限界に近づいていた。
おまけに、視界を奪う吹雪。七珠那の気持ちがぽきりと折れた瞬間だった。
七珠那は泣きながら母を呼んで、山を彷徨った。
どうにもならないとわかっている。でも、助けて欲しかった。
その時、見たのだ。
大人の女の人が、両手を広げ、七珠那を待つ姿を。
暗い雪雲が覆う空の元、その姿だけが淡く輝いて見えた。
七珠那はそのぼやけた光に駆け寄った。抱きしめられたような気がするけれど、それから後は記憶がない。
気が付けば、吹雪は止み、傍らには先輩の石拾いがいた。
「勘違いだったんでしょうけれど、それから山に入るのが苦ではなくなりました。勿論、つらいことも多かったんですが」
「少なくとも、私はお前を──七珠那を凍えさせるつもりはない」
決意の滲むはっきりとした口調だった。
「都では、いいの暮らしをさせてやれる。それこそ裕福な令嬢のような。そのぐらいの甲斐性はあるつもりだ」
「……ありがとうございます」
それは、七珠那が望んでいるものとは少し違うのだけれど、彼なりの優しさなのだということはわかった。
七珠那は淡く微笑んで、感謝と共に受け取った。
「行こうか」
促されて、七珠那は里の出入り口へと向かった。
屋敷の傍を通れば、窓越しに巫女達がこちらを伺っているのが見えた。
民家からは、世話役たちが顔を見せていた。
恐れと嫉妬。戸惑い。様々な感情が入り混じる視線だった。
(誰も……別れを惜しんではくれないのね)
わかっていたけれど、僅かに落胆してしまう。そんな七珠那に、小さな声が掛けられる。
「七珠那、行っちゃうの?」
「橘花……」
屋敷から出てきた幼い妹分が、腰に抱き着いて来る。七珠那はそれだけで胸がいっぱいになる。
だが、橘花の口から飛び出てきたのは、七珠那の胸を刺すような言葉だった。
「七珠那が行けば、誰が私を助けてくれるの?」
無邪気なのに、今の七珠那にはあまりにも残酷だった。
「行かないで、七珠那。ずっと橘花を助けてよ」
六年の間に、自分が成したことは一体何だったんだろう。
七珠那は思いながら、橘花の頭を撫でた。
「ごめんね……。もう、助けてあげられないの」
巫女達には軽んじられ、かえでの嫉妬を買い、橘花からは便利な相手としか思われていない。
七珠那は情けないような気持ちで、引き留める橘花を振り切ったのだった。
