雑草娘の婚約~呪われたと追放寸前でしたが、元英雄に見いだされました~

 その男が、加護の里に現れたのは突然のことだった。

 あまりに平凡に流れていく日々に、七珠那は、あの透明な祝石のことを、徐々に考えなくなっていった。

(気のせい、何でもない……)

 そう自分に言い聞かせていると、本当にそういう気持ちになってくるから不思議だった。
 そんなある日、七珠那は無垢石拾いの帰りに屋敷でその男を見かけた。
 巫女達が廊下に群がっているのが見えて、何事だろうと近寄っていくと、彼女達の頭越しに、見知らぬ男の姿が見えた。
 明官に連れられて、奥の廊下を進んでいる所だった。

宮水(みやみず)様ですって。宮水圭章(みやみずけいしょう)様」

 巫女達が囁く。

「元守代(もりしろ)で、大きな功績を上げたというあの方?」
「そう! 英雄と言われたほどの方よ!」
「今は引退されて、家業を継いで祝具師(ほうぐし)をされているらしいわ」
「見て、凛々しくて背の高い……」
「首都で大きなお屋敷をお持ちなんだそうよ。立派な工房もあるんだとか」 

 うっとりとした声。
 七珠那はその男の美しい出で立ちに、ぽかんとしてしまった。
 まっすぐに伸びた背筋。臆することのない足取り。
 守代は、神々の加護の力を得た武器で妖魔を討伐する役目のことだ。
 引退したにしろ、守代であったのなら、あの堂々とした姿勢の良さも納得できる。
 殊更にこやかな明官に愛想笑い一つしないのも、その経歴や立場を考えれば無礼というわけでもないだろう。
 纏う黒の着物に銀鼠色の羽織は、遠めに見ても、染めと織の優美さがわかる。
 整った鼻梁。頬や首筋には男らしい筋が描かれていた。
 ただ、濡羽色の髪は、整えられてはいたが顎にかかる程に伸ばされていて、前髪が目にかかっていた。
 まるで切るのを忘れて伸ばしっぱなしにしたような。
 隙のない出で立ちの中で、僅かに人間臭い迂闊さが感じられた。

「何の御用かしら?」
「私は何も聞いていないわ。でも、二十歳過ぎで、身を固めるお年頃だから」  
「お嫁さんを探しに来たのね!」

 巫女達は一気に色めき立つ。
 時折、優れた巫女を嫁にと望み、品定めをするように男やその親がやってくる。
 晶瑚もそういった相手に見初められたはずだ。
 不意に、男が足を止めた。巫女達を振り向く。 
 抑えた歓声が沸き上がった。巫女達は皆、自分が選ばれたと思っているようだった。
 他人事そのもので彼女達を見ていた七珠那だったが、深くも力のある黒の瞳と結び合って、硬直してしまった。

(嘘……)

 間違いない。立ちすくむ七珠那を、まなざしが射抜いていた。七珠那は息を止めた。

「──あの娘は? 巫女方の後ろの」

 男が、七珠那に視線をやったまま、明官に問いかける。
 どきりと七珠那の心臓が跳ねた。
 今まで何人もの来客に出くわしても、七珠那に──粗末な恰好をした石拾いに興味を示す者はいなかったのだ。 
 巫女達の視線が突き刺さる。落胆と嘲笑の囁きが鼓膜を打つ。
 花の中に混じった雑草が珍しかったのだろうと、誰もが思っていた。
 七珠那だってそうだ。

「あぁ、無垢石拾いの娘ですよ。お気になさるような者ではありません」

 明官が応える。やり取りが煩わしいのか、早口で客人を急かしていた。

「一応神気はあるのですが、貧しい農家の出でして……。宮水殿の身分には釣り合いません」 
「ならば神の加護もない?」
「おっしゃるとおりで──宮水様!」

 明官の戸惑った声を振り切り、男がこちらへと歩いて来る。
 巫女達が、道を譲る。
 不本意そうな顔をしていたが、明らかに男の目が七珠那に向いていたのだから譲らざるを得なかったのだ。

「お前……」

 若々しく、爽やかな声だった。
 彼は、かつて英雄と呼ばれたのだと言う。
 もっと太く雄々しい声を想像していた七珠那には、意外に感じた。

「加護の力を持たないのか? 本当に?」

 彼は他の巫女に目をくれなかった。七珠那だけをまっすぐに見ている。
 七珠那もまた、彼から視線を外せなかった。
 腹に力を入れて、その真剣なまなざしを全身で受け止める。頬に、目じりに、巫女達の視線が突き刺さるのを感じた。

「ほ、本当です……」

 七珠那の脳裏には、あの透明な祝石の姿が鮮やかに蘇っていた。
 だが、そう答えるしかなかった。 

「私は、ただの石拾いですから……」 

 七珠那は巫女ではないのだ。
 万が一、あの祝石のことを知られたら──あの石に本当に何らか力が宿っていても、いなくても、巫女達は面白くないに違いない。
 七珠那は石拾いという立場をわきまえ、役に立っているから多少の嫌味や悪口で済んでいる。
 余計なことをした雑草娘に、どんな感情が向けられるのか、想像しただけで寒気がする。
 そもそも、あの石に加護の力が宿ったかなんて、本当のところはわからないのだ。

「さぁ参りましょう。ご用向きはあちらで伺います」 

 明官が強く彼を促す。
 男は納得した様子を見せたのに、踵を返すそのぎりぎりまで七珠那から視線を外さなかった。 
 男が去っても、七珠那はその場から動けなかった。

(何なの、あの人……)

 男の姿が完全に視界から消えて、思い出したように、七珠那の背に汗が伝う。 

「石拾いが珍しかったのね」

 ひやりとするほど美しい声。七珠那は我に返った。
 晶瑚だ。
 気が付けば、巫女達は、各々七珠那を見ていた。その視線に、身の置き場がなくなる。
 身の程をわきまえない。図々しい。巫女を立てないなんて気が利かない。
 どの目も、そう七珠那を責めていた。

「そうね……」

 あまりに筋の通った説明に、巫女達はいつもの自分を取り戻した。

「きっと、白鳥の中に烏が混じっているから興味をもたれただけなのよ」
「一応、七珠那にも神気はあるものね」
「でも、巫女ではないんですもの。石拾いなら、役に立っているんだから」 

 そうして、七珠那を自分達の下に置くのだ。

「いい?七珠那」

 晶瑚は、そう柔らかな声で言い聞かせる。

「七珠那は私達を羨む必要はないのよ。羨んだって、仕方のないことなんだもの。立場が違うのよ」 

 いつだって、彼女は、優しく本当のことを言うのだ。

「七珠那は七珠那のすべきことを果たせばいいの。そうでしょう? 弁えていないといけないのよ」
「はい……」 

 七珠那は頷くしかなかった。
 宮水圭章の噂は、その後も一気に広がり、巫女達の囁き声と共に自然と七珠那の耳に届くようになった。

「私、里に来る前に街で聞いたんですけど……宮水様、華族のご令嬢と婚約をされたのに破談になったとか」

 その話を持ち出したのは、新参の巫女だった。

「金満家なのを鼻にかけて、婚約をも金で買ったとかいう噂よ」
「なんて冷たい人なの。変わりものなのね。だから雑草娘になんて興味を持つんだわ」 
「婚約者も家に閉じ込めて、外出を許さなかったとか。それで怒った婚約者のお父様が、助け出したというお話なの」
「なんて酷い……」

 七珠那に興味を持ったと言うだけで、悪しきざまに言われる彼が哀れだった。

 来客の噂が一通り屋敷に回るころ、巫女達に呼び出しがかかった。
 今回の来客と無関係ではないと巫女達は浮足立っていた。
 そうと言われたわけでもないのに、宮水家の嫁探しが行われるのだと、誰もが確信していた。
 七珠那は、かえでと橘花と共に台所へ向かう。お茶の準備をするのも石拾いの仕事なのだ。

 大部屋には、巫女達が集められ、その向かいに明官が座っていた。
 彼は茶が揃うのもそこそこに切り出した。

「この中に、新たな加護を得た巫女はいないか? 祈祷の際、これまでにない祝石を生み出したものは?」

 明官の声には、苛立ちが隠しようもなく滲んでいた。
 その言葉に、場がざわつく。
 八百万の神全てが、人に加護を与えたわけではない。
 妖魔との闘いの中、炎の神から始まり、水、草木と加護を与える神々が増えていったと言われている。
 人が願うからか、神が必要と思われたからなのか。加護が下される理由も、わからない。
 ただ、加護を与える神々は、ここ数十年変っていない。
 新たな加護を得たのなら、それは妖魔と戦う者達にとっては、非常に大きな出来事なのだ。

「先日、宮水家の工房に運ばれた屑石の中に、透明な石があったと言う」

 お茶を出す手が、ぎくりと揺れた。
 その拍子に、お茶の表面が波打つ。辛うじてこぼさず置けたが、七珠那は気が気ではなかった。

「透明な祝石など、聞いたこともない!」

 明官は、畳に自分の拳を振り下ろした。
 湯呑の水面が揺れ、茶托に熱い茶がこぼれた。

「新たな加護を得たものは誰だ。何故黙っていた! 石に加護を授けたのは誰だ!」

 巫女達を管轄し、祝石の官吏を任されている明官の知らぬところで起こった事態。
 間違いなく、明官の怒りに触れていた。

「新たな加護って……そんなはずないんじゃない」
「そうよ。今まで、何年? 何十年? 新たな加護なんてなかったじゃない」
「三十年前の治癒の加護が最後って聞いたけど……」

 七珠那は喉が干上がっていくように感じた。
 お茶を出し終われば退出しなけらばならないのに、その場を動けなくなる。
 間違いなく、七珠那が祈祷をした石のことだ。

(でも……あの石は……。私は、神の加護を得ていないのだから)

 わからない。何もわからないからこそ、七珠那はますます何も言えない。
 ましてや、巫女達もが驚き、混乱するこの場で、七珠那が何かを言えるはずがなかった。

「七珠那よ!」

 けれど、その混乱を甲高い声が切り裂く。

「七珠那がやったのよ!」

 一瞬で満ちた静けさに、大きな石を落とすように、もう一度。

 かえでの声だった。

 場の視線を一身にうけ、興奮からか緊張からか、かえでは真っ赤になった顔で叫び続ける。

「きっと、巫女になりたかったんだわ! 石拾いが嫌なのよ」
「かえで!」

 七珠那はかえでを止めようと声を張り上げるが、遅かった。

「七珠那? そんなはずないわ。ただの石拾いよ」
「雑草娘のくせに、何が出来るの!」
「嘘じゃないわ。私、見たんだもの。 七珠那が置き場で加護を授けるのを」

 かえでは、そう声を張り上げる。

「七珠那ばっかりうまく無垢石を見つけるから、ずるしてるんじゃないかって思って、私、七珠那の跡をつけてたの。きっと拾ったものを隠して、見つけたように思わせてるんじゃないかって」

(そんな風に思われていたの……!?)

 七珠那は愕然とした。
 そこまでかえでが追い詰められていた事実もそうだし、自分が妬まれていたことに、気づきもしなかった。

「そうしたら──!」
「七珠那が加護を授けるところを見たっていうのか」

 明官が信じがたい様子で問いかける。かえでは大きく頷く。その目が、爛々と光っている。

「そうよ。七珠那ったら、屑石の中に石を放り投げてたわ」

 わざとらしく、せせら笑う声。

「七珠那は石拾いができるからって、巫女もできると思ってるのよ! そうやって皆のことを馬鹿にしてるに違ないわ! じゃなきゃ、あんな風に扱わないもの」
「違う! 驚いて、手が滑って……!」    

 どうにか言い返した言葉は、墓穴でしかなかった。
 部屋が揺れる。七珠那はそう錯覚した。
 それほどに、巫女達の目は険しく、負の感情に満ちていた。
 彼女達の眼差しに、七珠那は首を絞められていくように感じた。