七珠那と圭章を乗せた馬車は、長閑な風景の中を進んでいた。
七珠那は窓を全開にして、風を取り込む。柔らかな草木の匂い。遠くからは水が流れる音が聞こえてくる。
馬車が進むのは、土がむき出しの道だったが、整備されているため大きな揺れは無い。
往来は賑やかで、すれ違う馬車の多くは、七珠那達のように夫婦や家族を乗せている。
どの家族も裕福層な身なりだった。
首都から北に進んだ場所にある避暑地──北山である。
圭章の両親がこの北山の別邸で隠居生活を送っている。
今回、ようやく七珠那と宮水家の顔合わせが行われるのだった。
「随分待たせてしまった。両親も、七珠那も」
圭章の言葉の通り、今日にいたるまで様々な出来事があった。
七珠那が加護を授けた祝石が本格的に実用化され、七珠那には祈祷の依頼がひっきりなしに舞い込んできた。
毎日毎日、疲れ果てるまで祈祷を続けた。圭章は圭章で、実用化の責任者の立場となりあちこち駆けまわっていた。
忙しすぎて目が回りそうな日々を乗り越え、ようやく、今日と言う日にこぎつけたのだ。
一番の目的はもちろん、顔合わせだが、慰労旅行や婚前旅行の意味も込めて、数日ゆっくりするつもりだった。
首都に戻れば、また慌ただしい毎日が待っているだろうから。
「着物はそれでよかったのか? 新しく誂えてもよかったんだが」
七珠那が身に着けているのは、臙脂と紅白の市松模様の振袖。義母となる圭章の母から譲り受けたものだった。
この顔合わせのために新しく振袖をという申し出を断ってまで、七珠那はこの振袖に拘った。
「圭章様が、初めて選んでくださったものですから」
七珠那ははにかんで、笑った。
そうか、と相槌を打つ圭章もまた、目元を赤くして視線を彷徨わせていた。
「それを選んでよかった。本当に似合っている」
「あ、ありがとう、ございます」
忙しさのあまり、同じ家で暮らしながら顔を合わせる機会が少なく、ゆっくりと会話をするのも久しぶりだった。
だからなのか、初々しい恋人のようにぎこちないものになってしまう。
「これから、もう少し落ち着くだろう。きっとこうして出かける機会も増えてくる」
張り詰めるようだった日常が僅かに緩んだのが、一月前だった。
加護の里で、透明な祝石を生む巫女が現れたのだ。
天御玉比売が、新しい巫女に加護を授けた。そのことで、七珠那の肩の荷が少し軽くなった。
(きっと、天御玉比売が必要と判断されたのね)
天御玉比売の加護は、これから当たり前のようになっていくのだろう。七珠那の加護の特別でも珍しくもなくなる。
そうなれば、また新しい妖魔の危機がやってくる。対抗するべく、神々が必要な加護を下されるのだろう。
そうして人々は妖魔と戦ってきたのだ。
(私も出来ることをするの。──かえでも、頑張っているんだから)
加護の里からは、再び質のいい無垢石が運ばれてくるようになった。
あの後、加護の里に残ったかえでは、なんと、御野山に立ち入ることを願い出た。
その願いは許され、かえでは再び無垢石拾いをしているのだと言う。
二人きりの馬車で語ったこと。あるいは男たちに刃を突き付けながら知恵を絞り、活路を見出そうとあがいたこと。
何か彼女にとって糧になり、前を向くきっかけになったのなら、よかったと七珠那は思うのだった。
間違えても、気持ちを正せば神はお許しくださる。
そのことを確信した出来事でもあった。
(晶瑚様達も、いつかそうなるのかもしれない)
中屋敷家から炎の神の加護が消え、誰もが語るまでもなく彼らの罪を知ることとなった。
志紅は、他の加護が宿った祝石を使いながら、辛うじて守代を続けているのだと言う。
当然、志紅に向けられる目は厳しい。だが、引退も、晶瑚と離縁もしていないそうだ。
敢えて厳しい道を選んだ理由を、今の七珠那には想像ができなかった。
長く守代として務めた家の者としての矜持なのか。
引くに引けないという意地からなのか。
一度妻と決めた女への、守代となることを決めた自分自身の決断への、そして罪を犯したことへの責任からなのか。
責任であればと七珠那は思う。真摯に向き合う限り、いつか許される日は来るのだろうから。
やがて馬車が止まる。
大きな庭を持つ洋館の前だった。ここには西洋料理を出す食堂があって、食事をしながら顔合わせをすることになっている。
白く塗られた門を潜れば、生垣や四阿が左右対称に置かれていた。
計算されつくした美しさに七珠那はほう、と息を吐いた。
「素敵です! 圭章様!」
七珠那は跳ねるように庭に足を踏み入れる。甘く爽やかな匂いがする。薄桃色の薔薇が、見事に咲いているのが見えた。
「七珠那」
薔薇に顔を近づけ、甘い匂いを堪能していた七珠那は、圭章の声に顔を上げた。
真剣な固い声だった。声に負けないぐらい、圭章はただでさえ固い面をさらに強張らせていた。
「私と結婚してくれるか?」
思わず身構えた七珠那にかけられたのは、
「ど、どうされたんですか……いきなり」
七珠那は混乱して、どもりながら尋ねた。
嫁に来いとは、加護の里で言われた。
七珠那も圭章もそのつもりだったし、お互いわかり切っていたから、敢えてここで言葉にする理由がわからない。
「玖遠に言われた」
圭章は、重々しい口調をそのままに言う。
「はっきりと結婚の申し込みをしないと、恨まれると。末代まで呪われても仕方がないことだと。だから、きちんと言おうと思った」
七珠那は笑った。
嬉しいと思うのに、笑いが止まらなかった。
黙っていればいいものを、それを口に出してしまう不器用さが、圭章らしかった。
愚直なほど真面目で、これと決めたら意志は固いのに、妙に柔軟なところがある。
どの面も素敵で、七珠那はずっと圭章に惹かれていた。
「圭章様。私からもお願いします。私とずっと一緒にいてくださいますか?」
そして、同じ願いを、七珠那も抱き続けている。
「私はもう、特別ではありません。同じ加護を持つ巫女が、他にもいます。巫女になれなかった石拾いの雑草娘です。それでも──それでも、一緒にいてくださいますか?」
「あぁ──」
圭章は、ためらいもなく、大きく頷く。
「七珠那がいいんだ。他の誰でもない。私は、七珠那がいい」
その言葉に、七珠那は駆けだした。
夫となる人に手を伸ばし、どうか離さないでと願った。
巫女になれなかった七珠那を。そしてもう、特別でなくなった七珠那を。
それでも、どうか、変わらず一緒にいて欲しいと。
大きな手が、七珠那の手を摑まえる。ごつごつとしていた、ざらつく手。なによりも美しく頼もしい手。
この手に導かれて、七珠那はここまでやって来た。
これからも、変わらず歩いていくのだろう。
七珠那は窓を全開にして、風を取り込む。柔らかな草木の匂い。遠くからは水が流れる音が聞こえてくる。
馬車が進むのは、土がむき出しの道だったが、整備されているため大きな揺れは無い。
往来は賑やかで、すれ違う馬車の多くは、七珠那達のように夫婦や家族を乗せている。
どの家族も裕福層な身なりだった。
首都から北に進んだ場所にある避暑地──北山である。
圭章の両親がこの北山の別邸で隠居生活を送っている。
今回、ようやく七珠那と宮水家の顔合わせが行われるのだった。
「随分待たせてしまった。両親も、七珠那も」
圭章の言葉の通り、今日にいたるまで様々な出来事があった。
七珠那が加護を授けた祝石が本格的に実用化され、七珠那には祈祷の依頼がひっきりなしに舞い込んできた。
毎日毎日、疲れ果てるまで祈祷を続けた。圭章は圭章で、実用化の責任者の立場となりあちこち駆けまわっていた。
忙しすぎて目が回りそうな日々を乗り越え、ようやく、今日と言う日にこぎつけたのだ。
一番の目的はもちろん、顔合わせだが、慰労旅行や婚前旅行の意味も込めて、数日ゆっくりするつもりだった。
首都に戻れば、また慌ただしい毎日が待っているだろうから。
「着物はそれでよかったのか? 新しく誂えてもよかったんだが」
七珠那が身に着けているのは、臙脂と紅白の市松模様の振袖。義母となる圭章の母から譲り受けたものだった。
この顔合わせのために新しく振袖をという申し出を断ってまで、七珠那はこの振袖に拘った。
「圭章様が、初めて選んでくださったものですから」
七珠那ははにかんで、笑った。
そうか、と相槌を打つ圭章もまた、目元を赤くして視線を彷徨わせていた。
「それを選んでよかった。本当に似合っている」
「あ、ありがとう、ございます」
忙しさのあまり、同じ家で暮らしながら顔を合わせる機会が少なく、ゆっくりと会話をするのも久しぶりだった。
だからなのか、初々しい恋人のようにぎこちないものになってしまう。
「これから、もう少し落ち着くだろう。きっとこうして出かける機会も増えてくる」
張り詰めるようだった日常が僅かに緩んだのが、一月前だった。
加護の里で、透明な祝石を生む巫女が現れたのだ。
天御玉比売が、新しい巫女に加護を授けた。そのことで、七珠那の肩の荷が少し軽くなった。
(きっと、天御玉比売が必要と判断されたのね)
天御玉比売の加護は、これから当たり前のようになっていくのだろう。七珠那の加護の特別でも珍しくもなくなる。
そうなれば、また新しい妖魔の危機がやってくる。対抗するべく、神々が必要な加護を下されるのだろう。
そうして人々は妖魔と戦ってきたのだ。
(私も出来ることをするの。──かえでも、頑張っているんだから)
加護の里からは、再び質のいい無垢石が運ばれてくるようになった。
あの後、加護の里に残ったかえでは、なんと、御野山に立ち入ることを願い出た。
その願いは許され、かえでは再び無垢石拾いをしているのだと言う。
二人きりの馬車で語ったこと。あるいは男たちに刃を突き付けながら知恵を絞り、活路を見出そうとあがいたこと。
何か彼女にとって糧になり、前を向くきっかけになったのなら、よかったと七珠那は思うのだった。
間違えても、気持ちを正せば神はお許しくださる。
そのことを確信した出来事でもあった。
(晶瑚様達も、いつかそうなるのかもしれない)
中屋敷家から炎の神の加護が消え、誰もが語るまでもなく彼らの罪を知ることとなった。
志紅は、他の加護が宿った祝石を使いながら、辛うじて守代を続けているのだと言う。
当然、志紅に向けられる目は厳しい。だが、引退も、晶瑚と離縁もしていないそうだ。
敢えて厳しい道を選んだ理由を、今の七珠那には想像ができなかった。
長く守代として務めた家の者としての矜持なのか。
引くに引けないという意地からなのか。
一度妻と決めた女への、守代となることを決めた自分自身の決断への、そして罪を犯したことへの責任からなのか。
責任であればと七珠那は思う。真摯に向き合う限り、いつか許される日は来るのだろうから。
やがて馬車が止まる。
大きな庭を持つ洋館の前だった。ここには西洋料理を出す食堂があって、食事をしながら顔合わせをすることになっている。
白く塗られた門を潜れば、生垣や四阿が左右対称に置かれていた。
計算されつくした美しさに七珠那はほう、と息を吐いた。
「素敵です! 圭章様!」
七珠那は跳ねるように庭に足を踏み入れる。甘く爽やかな匂いがする。薄桃色の薔薇が、見事に咲いているのが見えた。
「七珠那」
薔薇に顔を近づけ、甘い匂いを堪能していた七珠那は、圭章の声に顔を上げた。
真剣な固い声だった。声に負けないぐらい、圭章はただでさえ固い面をさらに強張らせていた。
「私と結婚してくれるか?」
思わず身構えた七珠那にかけられたのは、
「ど、どうされたんですか……いきなり」
七珠那は混乱して、どもりながら尋ねた。
嫁に来いとは、加護の里で言われた。
七珠那も圭章もそのつもりだったし、お互いわかり切っていたから、敢えてここで言葉にする理由がわからない。
「玖遠に言われた」
圭章は、重々しい口調をそのままに言う。
「はっきりと結婚の申し込みをしないと、恨まれると。末代まで呪われても仕方がないことだと。だから、きちんと言おうと思った」
七珠那は笑った。
嬉しいと思うのに、笑いが止まらなかった。
黙っていればいいものを、それを口に出してしまう不器用さが、圭章らしかった。
愚直なほど真面目で、これと決めたら意志は固いのに、妙に柔軟なところがある。
どの面も素敵で、七珠那はずっと圭章に惹かれていた。
「圭章様。私からもお願いします。私とずっと一緒にいてくださいますか?」
そして、同じ願いを、七珠那も抱き続けている。
「私はもう、特別ではありません。同じ加護を持つ巫女が、他にもいます。巫女になれなかった石拾いの雑草娘です。それでも──それでも、一緒にいてくださいますか?」
「あぁ──」
圭章は、ためらいもなく、大きく頷く。
「七珠那がいいんだ。他の誰でもない。私は、七珠那がいい」
その言葉に、七珠那は駆けだした。
夫となる人に手を伸ばし、どうか離さないでと願った。
巫女になれなかった七珠那を。そしてもう、特別でなくなった七珠那を。
それでも、どうか、変わらず一緒にいて欲しいと。
大きな手が、七珠那の手を摑まえる。ごつごつとしていた、ざらつく手。なによりも美しく頼もしい手。
この手に導かれて、七珠那はここまでやって来た。
これからも、変わらず歩いていくのだろう。
