前夜祭を終え──今日は慰労会当日。
日暮れを迎えた鳳寿館は、慰労会一番の盛り上がりを迎えるはずの時刻だった。
にも関わらず、どこか異様な空気に包まれていた。
染み一つない真っ白な敷布に覆われた円卓には、前菜や軽食、果物に菓子、飲み物が潤沢に並べられ、楽団は素晴らしい音楽を奏でている。
食べるものも飲むものも、楽しむものも用意されているにも関わらず、そこに手を伸ばす者が明らかに少なかった。
冷たい飲み物で満たされた杯はすっかり汗をかき、果物や料理の表面は乾き始めている。
異変は、前夜祭から始まっていた。
首都を悩ませ続けた妖魔を討伐するために、神が新たな加護を下された。その加護を受けた巫女を紹介する。
そんな風な触れ込みがあったにも関わらず、前夜祭はただ粛々と終わった。否──上役の何人かが顔を出さなかったり、明らかに気もそぞろだったり、異変の鱗片は見て取れた。
何かあったのだろうか、勘違いか手違いだろうかを首をかしげながら、招待客は慰労会当日を迎えた。
そして、今日という日に鳳寿館を駆け巡る噂。
件の巫女は、昨今無垢石の質が落ちているのに腹を立て、自ら無垢石を拾うために御野山へ向かったのだとか。
それが、どれほど愚かな行為か、妖魔討伐に関わるものならよく知っている。
加護の里の出身であるものが、知らぬはずもない。
にわかに信じられない事態であったが、巫女が残した書付を見たという者がいたし、婚約者である宮水圭章が前夜祭の日に書付を目にして狼狽する姿が見られていた。
信じられないが──どうやら噂は本当らしいと、舞踏会が始まる頃には大半の者が思い始めていた。
「──ですから、身の程知らずにも程があるのです」
そして、慰労会にて、その巫女がいかに愚かであるかを声高に吹聴する者がいた。
件の巫女が──巫女ですらなく、ただの無垢石拾いで、神の加護を得て調子づいた挙句、愚かな行動に走ったのだと言う。
「神々の思し召しすら軽視して──。いくら自分が優秀な石拾いだったからと言って」
右派の筆頭、中屋敷家の花嫁、晶瑚だった。
晶瑚の周りには、同じ右派の守代を夫や婚約者に持つ女達が集まっていた。
慰労会の二日目は、舞踏会も行われることから、洋装での出席が推奨されている。
晶瑚は、目も覚めるほど鮮やかな紅色の衣装をまとっていた。布の全面に金色で花の刺繍が施され、ふんわりとした袖は金色の紗の布で二重になっている。たっぷりとした裾は、細い飾り紐でほんの少し絞られていた。
周りに集まる女達の衣装も煌びやかで、艶やかな布や縫い付けられた飾りが広間の灯りを受けて輝いていている。
その一角は、飾られるべくして飾られる、高貴な花束のように見えた。
「愚かなこと。自分が重宝がられることに、いい気になって欲を出したのね」
黒の扇で口元を覆いながら、晶瑚は言う。
内緒話をするような仕草だったが、声は全く抑えられていなかった。
聞き耳を立てていた者達から、不安げなざわめきが生まれる。それを、押しのけ、晶瑚の高い声が響いた。
「まぁ、所詮石拾いなのですから、頭が足りなくても仕方がないのですけれど」
晶瑚は大げさに頭を振る。その拍子に、帽子を飾るふわふわとした羽飾りが揺れた。
「まことに──」
「晶瑚様のおっしゃる通りですわ」
中屋敷家は、右派の筆頭。誰もが中屋敷家の花嫁である晶瑚の顔色を窺い、言葉に大げさなほどの動作で頷く。
左派の奥方達は、さも不快そうに眉を顰めているが、遠巻きにしているだけで近寄っても来ない。
思いがけず、舞踏会の主役を得ることになった晶瑚は、頬を上気させ、得意げだった。
(これでもう、目障りな雑草娘はいない。右派の立場も揺るがない。かえでもいなくなるのだから、私が関わったという証拠は無い)
晶瑚は少し離れたところで右派の守代達会話をしている夫を見やった。
憑き物が落ちたような顔をしている。守代である志紅は、表立って手を下すことができないから、策略でもって憂いを取り除いた晶瑚に感謝し、一層大事にするに違いない。
実際、昨日の前夜祭も今日の慰労会も、この上なく晶瑚を丁寧に扱い、優しくしてくれた。
ここしばらく繰り返された夫婦喧嘩が嘘のようだった。
中屋敷家に大切にされ、婦人方の羨望を集める。男たちからは崇拝を。民からは尊敬を。
ようやく、晶瑚はなりたい自分に──なるべき自分になれたような気がしていた。
その高揚感に満たされながら、晶瑚は思う存分、石拾いをこき下ろすのだった。
「本当に、あの子ったらどうしてこうも迷惑ばかりをかけるのかしら」
「──あの子とは、私の事でしょうか? 晶瑚様」
だが、晶瑚の声を遮るように、突如、割り込む者があった。
大きな声ではない。晶瑚のように軽やかで美しい声ではない。
むしろ、喉を傷めたような、声を張り上げることに慣れていないような、ざらついた声。
なのに、その声は、広間の隅から隅まで伝わったようだった。
広間を満たしていたざわめきが止まる。
嘲笑が、戸惑いが、不満が一瞬で散った。
「まず──皆様に心配をおかけしましたことを、お詫びいたします」
声が、近づいて来る。かつかつと、洋靴が広間の板張りの床を叩く音がする。
晶瑚が振り向けば、そこには憎たらしい雑草娘──七珠那が立っていた。
美しく白い衣装を身に纏い、髪を結い上げ、化粧をした姿は、晶瑚の知る姿とは違っていたけれど、間違いなく七珠那だった。
「嘘、どうして……」
強張った顔をした石拾いの雑草娘は、婚約者に手を預け、晶瑚へと歩み寄ってくる所だった。
日暮れを迎えた鳳寿館は、慰労会一番の盛り上がりを迎えるはずの時刻だった。
にも関わらず、どこか異様な空気に包まれていた。
染み一つない真っ白な敷布に覆われた円卓には、前菜や軽食、果物に菓子、飲み物が潤沢に並べられ、楽団は素晴らしい音楽を奏でている。
食べるものも飲むものも、楽しむものも用意されているにも関わらず、そこに手を伸ばす者が明らかに少なかった。
冷たい飲み物で満たされた杯はすっかり汗をかき、果物や料理の表面は乾き始めている。
異変は、前夜祭から始まっていた。
首都を悩ませ続けた妖魔を討伐するために、神が新たな加護を下された。その加護を受けた巫女を紹介する。
そんな風な触れ込みがあったにも関わらず、前夜祭はただ粛々と終わった。否──上役の何人かが顔を出さなかったり、明らかに気もそぞろだったり、異変の鱗片は見て取れた。
何かあったのだろうか、勘違いか手違いだろうかを首をかしげながら、招待客は慰労会当日を迎えた。
そして、今日という日に鳳寿館を駆け巡る噂。
件の巫女は、昨今無垢石の質が落ちているのに腹を立て、自ら無垢石を拾うために御野山へ向かったのだとか。
それが、どれほど愚かな行為か、妖魔討伐に関わるものならよく知っている。
加護の里の出身であるものが、知らぬはずもない。
にわかに信じられない事態であったが、巫女が残した書付を見たという者がいたし、婚約者である宮水圭章が前夜祭の日に書付を目にして狼狽する姿が見られていた。
信じられないが──どうやら噂は本当らしいと、舞踏会が始まる頃には大半の者が思い始めていた。
「──ですから、身の程知らずにも程があるのです」
そして、慰労会にて、その巫女がいかに愚かであるかを声高に吹聴する者がいた。
件の巫女が──巫女ですらなく、ただの無垢石拾いで、神の加護を得て調子づいた挙句、愚かな行動に走ったのだと言う。
「神々の思し召しすら軽視して──。いくら自分が優秀な石拾いだったからと言って」
右派の筆頭、中屋敷家の花嫁、晶瑚だった。
晶瑚の周りには、同じ右派の守代を夫や婚約者に持つ女達が集まっていた。
慰労会の二日目は、舞踏会も行われることから、洋装での出席が推奨されている。
晶瑚は、目も覚めるほど鮮やかな紅色の衣装をまとっていた。布の全面に金色で花の刺繍が施され、ふんわりとした袖は金色の紗の布で二重になっている。たっぷりとした裾は、細い飾り紐でほんの少し絞られていた。
周りに集まる女達の衣装も煌びやかで、艶やかな布や縫い付けられた飾りが広間の灯りを受けて輝いていている。
その一角は、飾られるべくして飾られる、高貴な花束のように見えた。
「愚かなこと。自分が重宝がられることに、いい気になって欲を出したのね」
黒の扇で口元を覆いながら、晶瑚は言う。
内緒話をするような仕草だったが、声は全く抑えられていなかった。
聞き耳を立てていた者達から、不安げなざわめきが生まれる。それを、押しのけ、晶瑚の高い声が響いた。
「まぁ、所詮石拾いなのですから、頭が足りなくても仕方がないのですけれど」
晶瑚は大げさに頭を振る。その拍子に、帽子を飾るふわふわとした羽飾りが揺れた。
「まことに──」
「晶瑚様のおっしゃる通りですわ」
中屋敷家は、右派の筆頭。誰もが中屋敷家の花嫁である晶瑚の顔色を窺い、言葉に大げさなほどの動作で頷く。
左派の奥方達は、さも不快そうに眉を顰めているが、遠巻きにしているだけで近寄っても来ない。
思いがけず、舞踏会の主役を得ることになった晶瑚は、頬を上気させ、得意げだった。
(これでもう、目障りな雑草娘はいない。右派の立場も揺るがない。かえでもいなくなるのだから、私が関わったという証拠は無い)
晶瑚は少し離れたところで右派の守代達会話をしている夫を見やった。
憑き物が落ちたような顔をしている。守代である志紅は、表立って手を下すことができないから、策略でもって憂いを取り除いた晶瑚に感謝し、一層大事にするに違いない。
実際、昨日の前夜祭も今日の慰労会も、この上なく晶瑚を丁寧に扱い、優しくしてくれた。
ここしばらく繰り返された夫婦喧嘩が嘘のようだった。
中屋敷家に大切にされ、婦人方の羨望を集める。男たちからは崇拝を。民からは尊敬を。
ようやく、晶瑚はなりたい自分に──なるべき自分になれたような気がしていた。
その高揚感に満たされながら、晶瑚は思う存分、石拾いをこき下ろすのだった。
「本当に、あの子ったらどうしてこうも迷惑ばかりをかけるのかしら」
「──あの子とは、私の事でしょうか? 晶瑚様」
だが、晶瑚の声を遮るように、突如、割り込む者があった。
大きな声ではない。晶瑚のように軽やかで美しい声ではない。
むしろ、喉を傷めたような、声を張り上げることに慣れていないような、ざらついた声。
なのに、その声は、広間の隅から隅まで伝わったようだった。
広間を満たしていたざわめきが止まる。
嘲笑が、戸惑いが、不満が一瞬で散った。
「まず──皆様に心配をおかけしましたことを、お詫びいたします」
声が、近づいて来る。かつかつと、洋靴が広間の板張りの床を叩く音がする。
晶瑚が振り向けば、そこには憎たらしい雑草娘──七珠那が立っていた。
美しく白い衣装を身に纏い、髪を結い上げ、化粧をした姿は、晶瑚の知る姿とは違っていたけれど、間違いなく七珠那だった。
「嘘、どうして……」
強張った顔をした石拾いの雑草娘は、婚約者に手を預け、晶瑚へと歩み寄ってくる所だった。
