雑草娘の婚約~呪われたと追放寸前でしたが、元英雄に見いだされました~

「遅いな……」

 圭章は、鳳寿館の前で七珠那を待っていた。
 日暮れまではまだ時間があるが、日は傾き始めていた。橙色の光が、鳳寿館の広い階段を照らしていた。
 いち早く灯された瓦斯灯のあかりが、圭章の影を伸ばしている。
 目の前に止まった馬車の扉が開いた。
 降りてきたのは、圭章の待ち人ではなかった。
 老婦人が夫と共に圭章の影を踏み、階段を上っていくのを横目で見つつ、圭章は次の馬車がやってくるのを待った。
 次こそ、臙脂と白黒格子模様の振袖を纏った彼女が現れるのだ。
 そして、彼女は圭章を見つけ、花がほころんだような笑顔で、名前を呼んでくれる。
 圭章様──、と。
 圭章は、そんな風に甘い想像に浸る自分を、らしくないと思いながらも、喜びを感じていた。
 こんな風に誰かを待つことになるなんて、夢にも思わなかった。
 待ち遠しいと思える人に出会えたこと。気持ちを分かち合い、思い合い、手を取り合うことができたこと。
 これから先に、輝かしい未来が待っていること。来年も、再来年もともに歩んでいけること。
 圭章は、この時、何一つとして疑っていなかった。

「圭章殿!」
「こんばんは。ごきげんよう」

 次の馬車から降りてきたのは、婚約者ではなく、後輩とその妻だった。
 圭章より若いにも関わらず先に結婚した夫婦は、物慣れた様子で手を取り合い、圭章に歩み寄って来た。
 玖遠は黒紋付、婦人の衿禾は濃い青の色留袖姿だった。結い上げた髪には、真珠で花をかたどった髪飾りがつけられている。 

「若奥様と待ち合わせですか」  
「あぁ、だが──少し遅れているようだ。女同士の話が盛り上がったのだろうか」

 圭章の返事に、衿禾は首を傾げた。 

「いいえ。そんなことはありません。早めに解散したはずなんですが」 
「坊ちゃん! 坊ちゃん──!」

 華やかな場にふさわしくない、切羽詰まった声が響く。
 圭章達は、一様に道の向こうに目をやり、着物の裾をからげながら走ってくる女を見つけた。

「清子!?」

 圭章には珍しく、上ずった声だった。
 清子は、圭章の母の代から仕えてくれている。洗練された所作と礼儀を身に着けている彼女が、みっともないほど取り乱す姿を、圭章は初めて見た。
 それに、最近、旦那様と呼ぶようになったのに、呼び名が昔のものに戻っていた。

「どうしましょう……! これを! 七珠那様が」
「七珠那が?」 

 清子は、息の整わないまま、圭章に書付を押し付けた。むせかえる清子の背を、衿禾がさすってやっている。
 説明よりも先に読めと言わんばかりに、ぐいぐい胸に押し付けてくるものだから、圭章はまず書付を手に取り、開いた。
 さっと目を走らせて、驚愕もあらわに声を上げた。 

「そんな──! 馬鹿な!」 

──御野山へ行きます。もっとお役に立てるように無垢石を探します──

 末尾には、七珠那の名があった。
 書付を覗き込んできた、玖遠と衿禾もまた、不審な顔を隠そうとしない。

「こんなの、おかしいわ!」

 まず声を上げたのは、衿禾だった。

「七珠那は、山を下りる挨拶をしたのよね」
「あぁ。間違いない。私も立ち会った」
「一度山を去る申し出をすれば、後は只人と同じ、それを七珠那が知らないはずがないわ」
「だとしたら、これは──」

 誰かの謀と言うことになる。

(左派か? それとも、他に七珠那を邪魔に思う者か? あるいは私が誰かの恨みを買ったのか?)

 そうではない、と圭章は頭を横に振る。

(犯人は後だ。まずは七珠那を探さなければ──)  
「あら、雑草娘は山へ帰ったのね」 

 焦る圭章に、どこか楽し気な声が掛けられる。

「中屋敷婦人……」

 晶瑚が、夫である志紅と共にやって来た所だった。
 華やかな炎の色の振袖を身に纏っている。金糸で縁取られた御所車と花々。まるで火花をまき散らしているかのような衣装だった。

「晶瑚、どういうことだ?」
「七珠那は欲を出したのよ。それで、山に帰ったんですって」

 どうして、と圭章は思う。

(どうして、わかる)

 書付は圭章の手の中にある。今来たばかりらしい晶瑚に、七珠那が書付を残して姿を消したこと等、わかるはずもないのに。

「あぁ、なるほど──愚かなことだ」

 志紅は訳知り顔で頷いた。自信満々な妻の顔を見て、察するものがあったのだろう。
 口には出さなかった。言葉にすれば、自滅につながるから。
 それでも、どこか嬉し気な表情は隠しようがない。

(そういうことか──!)

 圭章は、ぐしゃりと書付を握りつぶした。力の入りすぎた拳が、白んでいる。
 晶瑚が、七珠那を疎んじて連れ去ったのだ。
 志紅は知らなかったようだが、彼にとっても自分の手を汚さずに七珠那を排除できれば、自分達の利があると思っているのだろう。 
 今、市民から左派に支持が集まっているのは、七珠那がもつ加護のおかげなのだ。
 元石拾いが御野山へ行った。その挙句、帰ってこない。
 筆跡を似せた書付を残せば、愚かな娘が欲深い行動を起こした顛末として片付けられてしまう可能性が高い。
 
「本当にそう。七珠那は嫌な子ね。結局、今の石拾いにも不満なのよ。優秀な石拾いだった自分なら、神の御目こぼしをもらえるに違いなって侮っているんだわ」
「そのうち天罰が下るのではないかな」

 志紅は、楽し気に妻に同調する。当てつけのように笑みを交わし、階段を上り始めた。
 後ろ姿は、まさに幸福に満ちた新婚の夫婦そのものだった。
 その幸福は、圭章の幸福だけを踏み台にしたのではない。民の安全をも売ったことに、気づいているのだろうか

(中屋敷の──守代の誇りを失ったか……!)

 妖魔から、民を守る。
 派閥ややり方、過程がどうであれ、行きつく所は同じだと思っていた。
 志紅にとっては、己の立場や名声よりこそが尊ぶものだったということなのだ。  
 圭章の胸に宿ったのは、怒りの先にある、強い失望だった。 

「圭章殿……」

 同じく事態を察したのだろう。玖遠が、青ざめた顔で圭章の意向を問うていた。
 申し立てをすべきか、ここで断罪すべきか。

(いや、そんなことをしている暇はない──!) 

「御野山へ、加護の里へ行く。七珠那を探す。御野山へ入るのなら、加護の里へ連れていかれたのだろう」

 圭章は皆をその場に残し、駆けだそうとする。その手を掴むものがあった。

「私も行きます。お連れください」

 衿禾だった。決意を込めた強い目で、圭章を見つめている。

「私も加護の里の出身。お役に立つこともあるでしょう」
「わかった。頼む」

 圭章に、加護の里の規則や考え方、暗黙の了解はわからない。内実が分かっている者がいるのなら、心強かった。

「僕が上役たちに説明を。圭章殿、妻をよろしくお願いします」

 玖遠がそう買って出てくれる。  
 あぁ、と短く答え、圭章達は来客を運んで来た馬車に飛び乗った。