ひたすら馬車に揺られ続け、どれほどの時間が経っただろう。
かろうじて差し込んでいた日の光は、次第に色づき、やがて完全になくなった。
日は落ちたのに、馬車は止まらない。全速力で駆け続けている。時折止まり、馬を交換しているようだったが、休息をとる間もなく、用が済めばすぐに走りだす。速度をほとんど落とさず、馬車はひたすら御野山へ向かっている。
(圭章様が、きっと心配している)
夕刻には、鳳寿館の近くで落ちあい、一緒に会場に向かっているはずだった。
その時刻はとっくに過ぎている。七珠那に何かあったことは、当然気づいているはずだ。
(でも……まだ機はあるはず──!)
行先は、加護の里だ。まだ手立てはある。
七珠那が大人しくしていれば、かえでは解放されるだろう。
今度こそ、七珠那は何か行動を起こせるはずだ。加護の里にいさえすれば、圭章が見つけてくれるかもしれない。
七珠那が行く場所の心当たりなど、それぐらいしかないのだから。
(だから、大丈夫。きっとまた会える。まだ、助かる)
それだけを心の支えに、七珠那は激しく揺れる馬車の中で、じっと耐えるのだった。
「──降りろ」
馬車が止まり、男がそう命令する。
七珠那は縋りついて来るかえでを支えながら馬車を降りた。
「ここ、は……」
目前に広がる光景に、七珠那は愕然とした。知らず知らずのうちに、かえでの肩を抱く手に力がこもる。
鬱蒼と茂る木々が濃い闇を作っている。大樹が幹を寄せ合い、枝葉を絡ませ合い作る壁。何人たりとも通さないという神々の意志を感じる。それは、加護の里と御野山への境目と同じものだった。
ただし、七珠那が下ろされた場所には、加護の里は無い。
前には、注連縄で遮られた神の膝元への入り口──後ろには、林が広がるばかり。七珠那達を乗せてきた馬車だけが、神々の世界に紛れ込んだ異物に見えた。
時折吹く風に梢が揺れる音。野鳥が騒ぐ声。どこかで野生の獣が唸る声。
聞こえてくるのは、それだけだった。人の営みの気配など、どこにもない。
「どういう、こと? 加護の里に行くのではないの?」
七珠那は震える声で男達に聞いた。
「ここは──まさか東の入口ではないの?」
御野山は、東と西に入口を持つ。西には加護の里が広がり、もう一方は非常時以外はただ閉ざされるばかり。
勿論、七珠那は立ち入ったことがない。
民が迷い込まないように林に隠され、秘匿されているはず。
(それなのに、どうして──)
戸惑う七珠那の頭に、晶瑚の姿が横切る。
巫女なら、しかも里一番と呼ばれた彼女なら、入口の場所を知りうるかもしれない。
「入れ。御野山へ行くんだ」
「待って──!」
声を上げたのは、七珠那の腕の中で震えていたかえでだった。
「私、そんなこと聞いていないわ! 七珠那は石拾いをするんだって! それなら、加護の里に行かないと……!」
「そこにも入口はあるんだ。問題ないだろう」
「でも、こんなところから入ったら──」
かえでの戸惑う声に、下卑た男の声が答える。
「そうだな。だから入るんだ。二人ともだ──もたもたするな! 今すぐ! 早く行け!」
刃を突き付け、迫る男達。
七珠那とかえでは顔を見合わせた。
目が合った瞬間。かえでの顔が悲痛なほど歪む。
七珠那の身の内に、今までに感じたことの無いようなすさまじい怒りが湧き上がる。手が震え、唇がわななく。
「そんな──、酷い……!」
入山の許しを得ず山に入れば、神の怒りに触れ、出ることが出来なくなる。
通常、入山の許しは加護の里で得る。この場で口上を述べて許しを得ることが出来るかもわからない上、どうやら、男たちは口上を述べる時間を許すつもりもないらしい。
晶瑚は、七珠那だけでなく自分の共犯になったかえですらも始末するつもりなのだ。自分の手を一切汚さず、証拠も残さず。
「早くしろ! ぐだぐだ喋ってるんじゃない!」
男は刃物を振り回す。
月の光を浴びて煌めく刃に、七珠那の喉が引きつったように鳴った。かえでが、甲高い悲鳴を上げる。
獲物の怯えを見て取り、男たちの目が愉悦に歪んだ。
(どうしよう……)
七珠那は、必死だった。目を使い、耳を使い、状況を打破できる可能性がないか探る。
しかし、森には獣の気配だけ、後ろには常闇が口を開いて待っている。前に進めば刃物が振りかざされる。たとえ、左右に逃げたとして、女子供の足では確実に追いつかれる。
(このままじゃ、帰れなくなる)
背中に、汗が伝う。呼吸が荒くなる。
このままここにいれば、焦れた男たちが七珠那やかえでの腹を裂くだろう。生き抜くためには、注連縄を超えるしかない。
超えたところで、永遠に御野山を彷徨うことになる。
(圭章様に、二度と会えない)
いくら考えても、何も浮かばない。
七珠那の目の前が暗くなる。遅かれ早かれ死ぬ。考えれば考えるほど、その事実だけが、はっきりと突き付けられる。
誰かに尽くす喜びを、絆を結ぶ日々の愛おしさを、手をつなぎ過ごす日々の尊さを、知ったのに。
一度知れば、こんなにも手放しがたいのに、七珠那にはもう、それを取り戻すことが出来ない。
このまま、この場に膝をついてしまいたくなるのに、闇夜に光る刃がそれを許してくれない。
(誰か──誰か助けて)
七珠那にはもうそれしかなかった。
(圭章様……!)
結局、七珠那が縋りうる名前など、愛しいその人しかいないのだ。
涙が滲む。だが、男たちに弱みを見せたくないというせめてもの気持ちで、七珠那はぎゅっと強く瞼を閉じた。
「早くしろ!」
男たちが叫ぶ。土を踏みしめる音がする。七珠那に残されたのは、苦痛を今にするか後回しにするかの判断だけ。
七珠那は目を開くと、後ろを振り返った。御野山は闇の中で沈黙するばかり。ここで貫かれるより、せめて、御野山で神々の元に逃れた方が心安らかなのではと、頭をよぎる。
(でも──駄目!)
ここで死ねない。圭章の元に生きて帰りたい。
(だれか──どうか──)
とうとう、こらえきれなくなった涙が、頬を伝う。
その時だった、七珠那の目に白い霞のような光が飛び込んできた。
あまりにか細い光だった。まるで、御野山で無垢石を見つけた時のような光。
七珠那は、薄く唇を開いて、その頼りない光を見つめた。
光は、揺れる。
今にも消えそうになりながらも、ふわりふわりと漂っている。まるで、七珠那を誘うように。
(助けて、くださるの?)
心の内からの問いかけに返答はない。だが、七珠那は不思議とその光が気のせいでも怖いものとも思えなかった。
御野山におわす神が、かつての石拾いに手を差し伸べてくださるのか。
どちらにせよ、前に進めば死が待つだけ。ならば、少しでも助かる可能性があるのなら、賭けてみたかった。
七珠那は心を決める様に、一度大きく息を吸い込んだ。
唾を飲み込み、震えのないよう、声を出す。
「私が行きます。一人で御野山に入ります」
七珠那ははっきりと、そう言った。
「晶瑚様が邪魔だと思っているのは私だけでしょう? だから、かえでは、解放して」
「七珠那!」
七珠那は取りすがるかえでに、無言で頷いた。どうか、ここは大人しく従って欲しい。
「首都に連れて帰れって言ってるんじゃない。かえでだけは、ここで放り出してって言ってるの」
顔を見合わせる男たちに、七珠那は言い募った。
「別に構わないでしょう? こんな小さな女の子、行き倒れかどこかに潜む妖魔に襲われるかが関の山よ。運が良ければ近くの村にでもたどり着けるかもしれない。どうせ、首都には戻れないわ」
はったりだった。
かえでは、かつての御野山の石拾いだ。道しるべのない場所で方向を見つける術を知っている。足場の悪い場所を、どう歩けばいいのかも知っている。もし、七珠那の目に映ったものが、神の加護であるなら──かえではきっと、無事に切り抜けられるはずだ。
「いいだろう。さっさと行け」
七珠那の言い分に納得したのか、男たちは刀をふり、かえでに七珠那から離れるように言う。
「七珠那!」
「いいの。かえで──聞いて」
七珠那は、抱擁で別れを惜しむふりをしながら、かえでの耳元に口を近づけた。
「加護の里に走って。このことを知らせて」
圭章は、きっと加護の里に来るはずだ。望みが託せるとしたら、そこしかない。
かえでは、はっとした顔をして、真剣な面持ちで深く頷いた。
きっと、かえでは成し遂げてくれる。使命に燃える顔は、七珠那が初めて見る表情だった。
なんて凛々しくて、逞しい。
かえでは、身をひるがえすと、恐れもせず茂みの中に飛び込んでいった。やがて、小さな背中が見えなくなり、草をかき分ける音も聞こえなくなる。
七珠那は、かえでが完全に逃げおおせたのを確認し──改めて御野山に向き直った。
後ろでは、男たちがまさかの事態に備えて刃を向けているのが分かる。
七珠那は、大きく息を吸い込んだ。そして、着物の裾を持ち上げ、ゆっくりと注連縄を跨ぎ越した。
「かしこみかしこみ──」
祝詞を口にしながら、一歩二歩と進む。
振り返れば、すぐそこにいるはずの男たちの姿が見えなくなっていた。馬車も馬も、何もかも。
御野山は、七珠那をその腹の内に招き入れたのだ。
「東の和の国の御神々よ、道を守りし御神よ──」
前を向けば、ほのかな光が漂っている。七珠那はもう振り返らなかった。
不帰の山を、導かれるまま彷徨い始めた。
かろうじて差し込んでいた日の光は、次第に色づき、やがて完全になくなった。
日は落ちたのに、馬車は止まらない。全速力で駆け続けている。時折止まり、馬を交換しているようだったが、休息をとる間もなく、用が済めばすぐに走りだす。速度をほとんど落とさず、馬車はひたすら御野山へ向かっている。
(圭章様が、きっと心配している)
夕刻には、鳳寿館の近くで落ちあい、一緒に会場に向かっているはずだった。
その時刻はとっくに過ぎている。七珠那に何かあったことは、当然気づいているはずだ。
(でも……まだ機はあるはず──!)
行先は、加護の里だ。まだ手立てはある。
七珠那が大人しくしていれば、かえでは解放されるだろう。
今度こそ、七珠那は何か行動を起こせるはずだ。加護の里にいさえすれば、圭章が見つけてくれるかもしれない。
七珠那が行く場所の心当たりなど、それぐらいしかないのだから。
(だから、大丈夫。きっとまた会える。まだ、助かる)
それだけを心の支えに、七珠那は激しく揺れる馬車の中で、じっと耐えるのだった。
「──降りろ」
馬車が止まり、男がそう命令する。
七珠那は縋りついて来るかえでを支えながら馬車を降りた。
「ここ、は……」
目前に広がる光景に、七珠那は愕然とした。知らず知らずのうちに、かえでの肩を抱く手に力がこもる。
鬱蒼と茂る木々が濃い闇を作っている。大樹が幹を寄せ合い、枝葉を絡ませ合い作る壁。何人たりとも通さないという神々の意志を感じる。それは、加護の里と御野山への境目と同じものだった。
ただし、七珠那が下ろされた場所には、加護の里は無い。
前には、注連縄で遮られた神の膝元への入り口──後ろには、林が広がるばかり。七珠那達を乗せてきた馬車だけが、神々の世界に紛れ込んだ異物に見えた。
時折吹く風に梢が揺れる音。野鳥が騒ぐ声。どこかで野生の獣が唸る声。
聞こえてくるのは、それだけだった。人の営みの気配など、どこにもない。
「どういう、こと? 加護の里に行くのではないの?」
七珠那は震える声で男達に聞いた。
「ここは──まさか東の入口ではないの?」
御野山は、東と西に入口を持つ。西には加護の里が広がり、もう一方は非常時以外はただ閉ざされるばかり。
勿論、七珠那は立ち入ったことがない。
民が迷い込まないように林に隠され、秘匿されているはず。
(それなのに、どうして──)
戸惑う七珠那の頭に、晶瑚の姿が横切る。
巫女なら、しかも里一番と呼ばれた彼女なら、入口の場所を知りうるかもしれない。
「入れ。御野山へ行くんだ」
「待って──!」
声を上げたのは、七珠那の腕の中で震えていたかえでだった。
「私、そんなこと聞いていないわ! 七珠那は石拾いをするんだって! それなら、加護の里に行かないと……!」
「そこにも入口はあるんだ。問題ないだろう」
「でも、こんなところから入ったら──」
かえでの戸惑う声に、下卑た男の声が答える。
「そうだな。だから入るんだ。二人ともだ──もたもたするな! 今すぐ! 早く行け!」
刃を突き付け、迫る男達。
七珠那とかえでは顔を見合わせた。
目が合った瞬間。かえでの顔が悲痛なほど歪む。
七珠那の身の内に、今までに感じたことの無いようなすさまじい怒りが湧き上がる。手が震え、唇がわななく。
「そんな──、酷い……!」
入山の許しを得ず山に入れば、神の怒りに触れ、出ることが出来なくなる。
通常、入山の許しは加護の里で得る。この場で口上を述べて許しを得ることが出来るかもわからない上、どうやら、男たちは口上を述べる時間を許すつもりもないらしい。
晶瑚は、七珠那だけでなく自分の共犯になったかえですらも始末するつもりなのだ。自分の手を一切汚さず、証拠も残さず。
「早くしろ! ぐだぐだ喋ってるんじゃない!」
男は刃物を振り回す。
月の光を浴びて煌めく刃に、七珠那の喉が引きつったように鳴った。かえでが、甲高い悲鳴を上げる。
獲物の怯えを見て取り、男たちの目が愉悦に歪んだ。
(どうしよう……)
七珠那は、必死だった。目を使い、耳を使い、状況を打破できる可能性がないか探る。
しかし、森には獣の気配だけ、後ろには常闇が口を開いて待っている。前に進めば刃物が振りかざされる。たとえ、左右に逃げたとして、女子供の足では確実に追いつかれる。
(このままじゃ、帰れなくなる)
背中に、汗が伝う。呼吸が荒くなる。
このままここにいれば、焦れた男たちが七珠那やかえでの腹を裂くだろう。生き抜くためには、注連縄を超えるしかない。
超えたところで、永遠に御野山を彷徨うことになる。
(圭章様に、二度と会えない)
いくら考えても、何も浮かばない。
七珠那の目の前が暗くなる。遅かれ早かれ死ぬ。考えれば考えるほど、その事実だけが、はっきりと突き付けられる。
誰かに尽くす喜びを、絆を結ぶ日々の愛おしさを、手をつなぎ過ごす日々の尊さを、知ったのに。
一度知れば、こんなにも手放しがたいのに、七珠那にはもう、それを取り戻すことが出来ない。
このまま、この場に膝をついてしまいたくなるのに、闇夜に光る刃がそれを許してくれない。
(誰か──誰か助けて)
七珠那にはもうそれしかなかった。
(圭章様……!)
結局、七珠那が縋りうる名前など、愛しいその人しかいないのだ。
涙が滲む。だが、男たちに弱みを見せたくないというせめてもの気持ちで、七珠那はぎゅっと強く瞼を閉じた。
「早くしろ!」
男たちが叫ぶ。土を踏みしめる音がする。七珠那に残されたのは、苦痛を今にするか後回しにするかの判断だけ。
七珠那は目を開くと、後ろを振り返った。御野山は闇の中で沈黙するばかり。ここで貫かれるより、せめて、御野山で神々の元に逃れた方が心安らかなのではと、頭をよぎる。
(でも──駄目!)
ここで死ねない。圭章の元に生きて帰りたい。
(だれか──どうか──)
とうとう、こらえきれなくなった涙が、頬を伝う。
その時だった、七珠那の目に白い霞のような光が飛び込んできた。
あまりにか細い光だった。まるで、御野山で無垢石を見つけた時のような光。
七珠那は、薄く唇を開いて、その頼りない光を見つめた。
光は、揺れる。
今にも消えそうになりながらも、ふわりふわりと漂っている。まるで、七珠那を誘うように。
(助けて、くださるの?)
心の内からの問いかけに返答はない。だが、七珠那は不思議とその光が気のせいでも怖いものとも思えなかった。
御野山におわす神が、かつての石拾いに手を差し伸べてくださるのか。
どちらにせよ、前に進めば死が待つだけ。ならば、少しでも助かる可能性があるのなら、賭けてみたかった。
七珠那は心を決める様に、一度大きく息を吸い込んだ。
唾を飲み込み、震えのないよう、声を出す。
「私が行きます。一人で御野山に入ります」
七珠那ははっきりと、そう言った。
「晶瑚様が邪魔だと思っているのは私だけでしょう? だから、かえでは、解放して」
「七珠那!」
七珠那は取りすがるかえでに、無言で頷いた。どうか、ここは大人しく従って欲しい。
「首都に連れて帰れって言ってるんじゃない。かえでだけは、ここで放り出してって言ってるの」
顔を見合わせる男たちに、七珠那は言い募った。
「別に構わないでしょう? こんな小さな女の子、行き倒れかどこかに潜む妖魔に襲われるかが関の山よ。運が良ければ近くの村にでもたどり着けるかもしれない。どうせ、首都には戻れないわ」
はったりだった。
かえでは、かつての御野山の石拾いだ。道しるべのない場所で方向を見つける術を知っている。足場の悪い場所を、どう歩けばいいのかも知っている。もし、七珠那の目に映ったものが、神の加護であるなら──かえではきっと、無事に切り抜けられるはずだ。
「いいだろう。さっさと行け」
七珠那の言い分に納得したのか、男たちは刀をふり、かえでに七珠那から離れるように言う。
「七珠那!」
「いいの。かえで──聞いて」
七珠那は、抱擁で別れを惜しむふりをしながら、かえでの耳元に口を近づけた。
「加護の里に走って。このことを知らせて」
圭章は、きっと加護の里に来るはずだ。望みが託せるとしたら、そこしかない。
かえでは、はっとした顔をして、真剣な面持ちで深く頷いた。
きっと、かえでは成し遂げてくれる。使命に燃える顔は、七珠那が初めて見る表情だった。
なんて凛々しくて、逞しい。
かえでは、身をひるがえすと、恐れもせず茂みの中に飛び込んでいった。やがて、小さな背中が見えなくなり、草をかき分ける音も聞こえなくなる。
七珠那は、かえでが完全に逃げおおせたのを確認し──改めて御野山に向き直った。
後ろでは、男たちがまさかの事態に備えて刃を向けているのが分かる。
七珠那は、大きく息を吸い込んだ。そして、着物の裾を持ち上げ、ゆっくりと注連縄を跨ぎ越した。
「かしこみかしこみ──」
祝詞を口にしながら、一歩二歩と進む。
振り返れば、すぐそこにいるはずの男たちの姿が見えなくなっていた。馬車も馬も、何もかも。
御野山は、七珠那をその腹の内に招き入れたのだ。
「東の和の国の御神々よ、道を守りし御神よ──」
前を向けば、ほのかな光が漂っている。七珠那はもう振り返らなかった。
不帰の山を、導かれるまま彷徨い始めた。
