七珠那がかえでと共に詰め込まれた馬車は、がたがたと激しく揺れながら西へと向かう。
そのたびに窓の景色を遮っていた布が揺れ、外の景色がちらりと見えた。
(あぁ、どうしよう……)
首都の建物の様子が次々と変わっていく。なすすべもなく七珠那はただ窓に爪を立てた。
建物は次第に小さくなり、古い民家ばかりになり、やがてそれは緑が棚引くようになった。
首都を抜けたのだ。
(このままじゃ、本当に加護の里まで連れていかれてしまう……!)
加護の里で石拾いをしろと言われた。
一度役目を降りたものが、再び入山の申し出をして受け入れられるものかはわからない。前例はないだろう。
神の怒りに触れる可能性もあるが、かえでに刃を突き付けられて脅されれば、七珠那はきっと抵抗できない。
車輪の回る音がせわしなく響く。その合間に、しゃっくりを上げる音が混じる。
目の前では、かえでが縮こまって泣いていた。
よほど刃物を突き付けられたのが怖かったのだろう。
かえでも、七珠那を脅迫する側に立っていると思っていたはずだ。まさか、人質にされるなど予想もしていなかったに違いない。
七珠那を襲った男は二人。今は二人とも御者台にいる。馬車の中は七珠那とかえでだけだった。
「どうして、こんなことをしたの? かえで」
「だって……! だって晶瑚様が……! 晶瑚様が旦那様に怒られてるんだもの! このままじゃ、私まで扱いが悪くなっちゃう」
七珠那はかえでを問いただす。かえでは、泣き声まじりの掠れた声で叫んだ。
「晶瑚様が……七珠那は石拾いをすればいいんだって……。そうすれば、みんなが幸せになれるでしょう!? 里だって首都だってその方がいいに決まってる。それに、晶瑚様が幸せになれば、もっと私も大切にしてもらえるはずだもの!」
「一度役目を降りた者が、もう一度石拾いを出来るかどうかなんて、わからないでしょう?」
「七珠那なら出来るはずじゃない! まだ役目を降りる時期じゃなかったんだから!」
根拠のない主張だ。意固地になっているのが分かる。
(晶瑚様なのね……。でも、どうして?)
七珠那は、意図せず自分を首都から追いやった首謀者を知ることになった。
(右派の立場が悪いから? 夫婦仲に陰りがさしたということ? 単純にもっと大きな無垢石を取ってこいということなの?)
結果として、七珠那の加護が右派の立場を悪くしたことは理解している。
だからと言って、ここまで直接的な攻撃をして来るなんて、七珠那は想像していなかった。
せいぜい、嫌がらせ程度だと思っていたのだ。
(志紅様はご存じなの? それとも、晶瑚様の独断?)
わからない。考えれば考えるほど、柔らかな沼に足を取られるような感覚がした。
(ううん──そんなことより)
今、七珠那がすべきことは、何とかしてこの場を逃れるということのはずだ。
(前夜祭があるのに……。圭章様は気づいてくださるかしら……)
時間が経てば経つほど、首都からは遠ざかっていく。戻るのが難しくなるのだ。
(一人だけなら、馬車を飛び降りて、なんとか逃げられる?)
そう考えるものの、目の前にかえでがいる以上、選べない選択肢だった。
(本当に、酷いやり方)
七珠那は内心憎々しく思う。
かえでに誘われただけでは、男に脅されただけでは、身軽な七珠那はどこかで逃げおおせることが出来るかもしれない。騒いで助けを求めることもできたかもしれない。
だが、かえでを盾に脅されると、従わざるを得ない。知らぬ仲ではないのだ。見捨てられる相手でもない。
たとえ、かえでが七珠那が苦しむことを望んでいたとしても。
「どうして七珠那ばかりが幸せになるの? どうして私がこんな目にあうの? 私は不幸なままなの?」
かえではぐずぐずと泣きながら、ただ嘆くだけ。
同じ里に住む、同じ役目を担う少女。仲良くなりたい、親しくなりたい、頼りにして欲しいと思っていた。多少の我儘も、八つ当たりも甘えだと許せた。
(それが、よくなかったの?)
加護の里で、七珠那が糾弾される切っ掛けを作ったのはかえでだ。
そして今、晶瑚の謀にのり、七珠那に不幸であれと望んだ挙句、自らの首を絞めている。それすらも、七珠那のせいだと宣う。
(ううん……違う……!)
もはや七珠那にとっても、甘えだと許せる範疇を超えていた。
少なくとも、自分を憐れむだけで視野を失い、善悪の区別すらつかなくなったのは、かえでの咎だ。
いまに至る決断をしたのは、かえでなのだ。
(でも……)
七珠那は膝の上で強く拳を握った。
「七珠那のせいよ! 全部、七珠那が……」
「どうして、私のせいなの?」
感情のままに七珠那を責めるかえでに、七珠那は言った。
どこまでも静かな声。同情も非難も載せない。七珠那らしからぬ声だった。
「え……?」
初めて聞く七珠那の声に、かえでは一瞬言葉に詰まった。
だが、すぐにしどろもどろになりながら、続けた。
「だって、七珠那が……幸せになるから」
「私が幸せになると、かえでが不幸なままなの? どうして?」
「どうしてって……」
かえではとうとう黙りこくってしまった。
そこに理由などないのだ。責めやすい相手がいるから責めているだけ。
──すべてに責任を持つ必要はない──
圭章の言葉を思い出す。
七珠那は、これ以上かえでに責任を持てない。
(でも──私が、かえでを増長させてしまったのかもしれない)
そう思うから、七珠那は、これを最後と言葉を紡ぐのだった。
馬車を降りれば、行先がどうであれ、かえでと七珠那は言葉を交わすことがなくなる。
自分の涙で作った湖で溺れているかえでが、七珠那の言葉を聞き入れるかはわからない。
だが、これ以上七珠那に出来ることは、もうない。
「ねぇ、かえで。一つだけ覚えておいて」
それが、どれほど酷な事実であっても、かえでは受け入れなければならない。
「助けてくれ、ひもじい、悲しいと泣いて、頭をなでてもらえるのは、本当に小さい子だけなの」
ううん、と七珠那は首を横に振る。
「小さくたって、皆に余裕がなければだれも何もしてくれない。だから、自分にできることを見つけないといけないのだと思うの」
七珠那は親を失い、その事実を知った。
将軍時代の末期、国を燃やした内乱の爪痕は薄れ、国は平和と発展をたどっている。
その一方、豊かさを享受できるのはごくわずかな者だけだ。
大半は──七珠那やかえでのような者は、そのおこぼれにあずかることもできない。
七珠那達の生活は依然として苦しく、同じ里に住まう者は他者を顧みる余裕がない。
ごくつぶしと罵られる七珠那を庇ってくれるものはいなかった。
寂しい悲しいと泣く子は煩くて邪魔なだけ。なんならもっと立場が悪くなる。
病のせいだ、妖魔のせいだ、国のせいだと、責める相手を探せばいくらでも見つかった。
声高に何かを責めて、同情を買おうしても、他者に施せる余分な慈悲など誰も持ち合わせていない。横目で眺めて通り過ぎていくだけ。
だから、七珠那は役目を探して必死になった。
何か役に立てば、七珠那は少しだけ優しくしてもらえた。自分自身がここにいて良いのだと思えた。
運にも恵まれたのは確かだ。強い運に導かれ、圭章の元にたどり着いた。
誰かに認めて欲しくて、役に立ちたくて、懸命だった。行動が実を結べば誇らしかった。
人買いに手を挙げた時も、石拾いをしていた時も。
今でも、七珠那は圭章の役に立ちたくて、力になりたくて、努力している。
あの人のことが、好きだから。あの人に認められたいから。
今の七珠那には、それが全てになった。
「な、七珠那が恵まれているから、幸せだからなんとでも言えるのよ! 偉そうに! そうやって自分が報われたからって」
「──かえでは、取って来た無垢石を、他の石拾いに取り上げられたことはある?」
「え?」
「嘘の道の探し方を教えられたことは? 足を引っかけられて、皿を落として──それで粗相をしたからと言って外に一晩中外に放り出されたことは?」
「そんなの……」
むくれていたかえでは、はっと気づいたように言葉を止めた。
全て、かつて七珠那の身に降りかかったことなのだ。七珠那が一番若い石拾いだった頃。
不幸をひけらかすことに、意味があるとは思えない。
自分が苦労した分、次に入ってくる子達は同じ苦労をしないようにと思ってきた。
ただ、七珠那にも、報われなかったことは山ほどある。それを知って欲しかった。
「かえでは……不幸が私のせいだとして、どうするの? 私がいなくなれば幸せになれるの? 本当に? 晶瑚様がお恵みをくれるのを、待つだけなの? 晶瑚様がまた立場が悪くなると、今度は誰を責めるの?」
かえでは、一瞬涙を止め、ぽかんとした顔で七珠那を見ていた。
「何よ……何よ、何よ!」
かえでは、慟哭し──やがて、静かにすすり泣く声が馬車に満ちた。
そのたびに窓の景色を遮っていた布が揺れ、外の景色がちらりと見えた。
(あぁ、どうしよう……)
首都の建物の様子が次々と変わっていく。なすすべもなく七珠那はただ窓に爪を立てた。
建物は次第に小さくなり、古い民家ばかりになり、やがてそれは緑が棚引くようになった。
首都を抜けたのだ。
(このままじゃ、本当に加護の里まで連れていかれてしまう……!)
加護の里で石拾いをしろと言われた。
一度役目を降りたものが、再び入山の申し出をして受け入れられるものかはわからない。前例はないだろう。
神の怒りに触れる可能性もあるが、かえでに刃を突き付けられて脅されれば、七珠那はきっと抵抗できない。
車輪の回る音がせわしなく響く。その合間に、しゃっくりを上げる音が混じる。
目の前では、かえでが縮こまって泣いていた。
よほど刃物を突き付けられたのが怖かったのだろう。
かえでも、七珠那を脅迫する側に立っていると思っていたはずだ。まさか、人質にされるなど予想もしていなかったに違いない。
七珠那を襲った男は二人。今は二人とも御者台にいる。馬車の中は七珠那とかえでだけだった。
「どうして、こんなことをしたの? かえで」
「だって……! だって晶瑚様が……! 晶瑚様が旦那様に怒られてるんだもの! このままじゃ、私まで扱いが悪くなっちゃう」
七珠那はかえでを問いただす。かえでは、泣き声まじりの掠れた声で叫んだ。
「晶瑚様が……七珠那は石拾いをすればいいんだって……。そうすれば、みんなが幸せになれるでしょう!? 里だって首都だってその方がいいに決まってる。それに、晶瑚様が幸せになれば、もっと私も大切にしてもらえるはずだもの!」
「一度役目を降りた者が、もう一度石拾いを出来るかどうかなんて、わからないでしょう?」
「七珠那なら出来るはずじゃない! まだ役目を降りる時期じゃなかったんだから!」
根拠のない主張だ。意固地になっているのが分かる。
(晶瑚様なのね……。でも、どうして?)
七珠那は、意図せず自分を首都から追いやった首謀者を知ることになった。
(右派の立場が悪いから? 夫婦仲に陰りがさしたということ? 単純にもっと大きな無垢石を取ってこいということなの?)
結果として、七珠那の加護が右派の立場を悪くしたことは理解している。
だからと言って、ここまで直接的な攻撃をして来るなんて、七珠那は想像していなかった。
せいぜい、嫌がらせ程度だと思っていたのだ。
(志紅様はご存じなの? それとも、晶瑚様の独断?)
わからない。考えれば考えるほど、柔らかな沼に足を取られるような感覚がした。
(ううん──そんなことより)
今、七珠那がすべきことは、何とかしてこの場を逃れるということのはずだ。
(前夜祭があるのに……。圭章様は気づいてくださるかしら……)
時間が経てば経つほど、首都からは遠ざかっていく。戻るのが難しくなるのだ。
(一人だけなら、馬車を飛び降りて、なんとか逃げられる?)
そう考えるものの、目の前にかえでがいる以上、選べない選択肢だった。
(本当に、酷いやり方)
七珠那は内心憎々しく思う。
かえでに誘われただけでは、男に脅されただけでは、身軽な七珠那はどこかで逃げおおせることが出来るかもしれない。騒いで助けを求めることもできたかもしれない。
だが、かえでを盾に脅されると、従わざるを得ない。知らぬ仲ではないのだ。見捨てられる相手でもない。
たとえ、かえでが七珠那が苦しむことを望んでいたとしても。
「どうして七珠那ばかりが幸せになるの? どうして私がこんな目にあうの? 私は不幸なままなの?」
かえではぐずぐずと泣きながら、ただ嘆くだけ。
同じ里に住む、同じ役目を担う少女。仲良くなりたい、親しくなりたい、頼りにして欲しいと思っていた。多少の我儘も、八つ当たりも甘えだと許せた。
(それが、よくなかったの?)
加護の里で、七珠那が糾弾される切っ掛けを作ったのはかえでだ。
そして今、晶瑚の謀にのり、七珠那に不幸であれと望んだ挙句、自らの首を絞めている。それすらも、七珠那のせいだと宣う。
(ううん……違う……!)
もはや七珠那にとっても、甘えだと許せる範疇を超えていた。
少なくとも、自分を憐れむだけで視野を失い、善悪の区別すらつかなくなったのは、かえでの咎だ。
いまに至る決断をしたのは、かえでなのだ。
(でも……)
七珠那は膝の上で強く拳を握った。
「七珠那のせいよ! 全部、七珠那が……」
「どうして、私のせいなの?」
感情のままに七珠那を責めるかえでに、七珠那は言った。
どこまでも静かな声。同情も非難も載せない。七珠那らしからぬ声だった。
「え……?」
初めて聞く七珠那の声に、かえでは一瞬言葉に詰まった。
だが、すぐにしどろもどろになりながら、続けた。
「だって、七珠那が……幸せになるから」
「私が幸せになると、かえでが不幸なままなの? どうして?」
「どうしてって……」
かえではとうとう黙りこくってしまった。
そこに理由などないのだ。責めやすい相手がいるから責めているだけ。
──すべてに責任を持つ必要はない──
圭章の言葉を思い出す。
七珠那は、これ以上かえでに責任を持てない。
(でも──私が、かえでを増長させてしまったのかもしれない)
そう思うから、七珠那は、これを最後と言葉を紡ぐのだった。
馬車を降りれば、行先がどうであれ、かえでと七珠那は言葉を交わすことがなくなる。
自分の涙で作った湖で溺れているかえでが、七珠那の言葉を聞き入れるかはわからない。
だが、これ以上七珠那に出来ることは、もうない。
「ねぇ、かえで。一つだけ覚えておいて」
それが、どれほど酷な事実であっても、かえでは受け入れなければならない。
「助けてくれ、ひもじい、悲しいと泣いて、頭をなでてもらえるのは、本当に小さい子だけなの」
ううん、と七珠那は首を横に振る。
「小さくたって、皆に余裕がなければだれも何もしてくれない。だから、自分にできることを見つけないといけないのだと思うの」
七珠那は親を失い、その事実を知った。
将軍時代の末期、国を燃やした内乱の爪痕は薄れ、国は平和と発展をたどっている。
その一方、豊かさを享受できるのはごくわずかな者だけだ。
大半は──七珠那やかえでのような者は、そのおこぼれにあずかることもできない。
七珠那達の生活は依然として苦しく、同じ里に住まう者は他者を顧みる余裕がない。
ごくつぶしと罵られる七珠那を庇ってくれるものはいなかった。
寂しい悲しいと泣く子は煩くて邪魔なだけ。なんならもっと立場が悪くなる。
病のせいだ、妖魔のせいだ、国のせいだと、責める相手を探せばいくらでも見つかった。
声高に何かを責めて、同情を買おうしても、他者に施せる余分な慈悲など誰も持ち合わせていない。横目で眺めて通り過ぎていくだけ。
だから、七珠那は役目を探して必死になった。
何か役に立てば、七珠那は少しだけ優しくしてもらえた。自分自身がここにいて良いのだと思えた。
運にも恵まれたのは確かだ。強い運に導かれ、圭章の元にたどり着いた。
誰かに認めて欲しくて、役に立ちたくて、懸命だった。行動が実を結べば誇らしかった。
人買いに手を挙げた時も、石拾いをしていた時も。
今でも、七珠那は圭章の役に立ちたくて、力になりたくて、努力している。
あの人のことが、好きだから。あの人に認められたいから。
今の七珠那には、それが全てになった。
「な、七珠那が恵まれているから、幸せだからなんとでも言えるのよ! 偉そうに! そうやって自分が報われたからって」
「──かえでは、取って来た無垢石を、他の石拾いに取り上げられたことはある?」
「え?」
「嘘の道の探し方を教えられたことは? 足を引っかけられて、皿を落として──それで粗相をしたからと言って外に一晩中外に放り出されたことは?」
「そんなの……」
むくれていたかえでは、はっと気づいたように言葉を止めた。
全て、かつて七珠那の身に降りかかったことなのだ。七珠那が一番若い石拾いだった頃。
不幸をひけらかすことに、意味があるとは思えない。
自分が苦労した分、次に入ってくる子達は同じ苦労をしないようにと思ってきた。
ただ、七珠那にも、報われなかったことは山ほどある。それを知って欲しかった。
「かえでは……不幸が私のせいだとして、どうするの? 私がいなくなれば幸せになれるの? 本当に? 晶瑚様がお恵みをくれるのを、待つだけなの? 晶瑚様がまた立場が悪くなると、今度は誰を責めるの?」
かえでは、一瞬涙を止め、ぽかんとした顔で七珠那を見ていた。
「何よ……何よ、何よ!」
かえでは、慟哭し──やがて、静かにすすり泣く声が馬車に満ちた。
