「かわいそうに、かえで」
晶瑚はそう言って、下女の肩を抱いた。
木綿のざらりとした手触りの向こうに、震える小さな体を感じる。
かえでは、まるで母を頼る子のように晶瑚に頭を擦り付けた。
「晶瑚様! 七珠那ばっかりどうして!」
「そうね。かえでも可愛いし、これから良いことがあるだから、嫉妬する必要なんてないのよ」
「でも……」
「かえでだって、素晴らしいものを持っているんだから。ね? そうでしょう?」
根拠のない誉め言葉だとしても、かえでは不満げな表情を僅かに緩めた。
実際、晶瑚は、この娘のどこが素晴らしいかなんて、考えたこともないし、一つも思いつかない。
強いて言えば、単純で、扱いやすい所だろうか。愚かなところが、とても可愛い。
晶瑚は、その言葉をそっと胸にしまっておいた。
(ちょっと慰めただけでついてきた。本当に便利な子)
嫉妬に気を取られ、自分の雇い主の前で待遇に不満があると言ってのける程、頭の回転が良くない。
その愚かさに腹を立てるほど、晶瑚の心は狭くなかった。
七珠那よりも後にやってきて、先にお役目を下ろされる哀れな少女。
七珠那に加護が宿るどころか嫁入り先を見つけて里を出るのを、悔しそうに睨みつけていたから、声をかけてやったのだ。
──ねぇ、一緒に来る? 私が雇ってあげる──
そうやって恩を売れば誠心誠意尽くしてくれるだろうと思った。
立場は違えど、同じ里にいた者同士だ。中屋敷家で新しくつけられる下女よりも使い勝手が分かっている分、気楽だ。
それに、ひょっとしたら何か使い道があるかもしれないと思った。
(あの雑草娘も首都にいるんだもの)
予想した通り、なかなかの働きをしてくれた。
やたらと身勝手な嫉妬をして、七珠那を責めること。
みるみる青くなっていく雑草娘の顔に、少しだけだが胸がすいた。
晶瑚は別にかえでに微塵も同情していなかったが、ちょっと嬉しがらせを言うだけで愚かなままでいてくれるのなら同情する振りをするぐらいは簡単だった。
疲れやしないし、金がかかるわけでもない。実に安く済む。
(年齢で役目が下ろされるのはわかっていたことでしょう。明確な線引きがないのだから早い遅いがあるのも当然のこと)
嫁入りのあてがない石拾いが、次の勤め先を考えなければならないのもあたりまえのことだ。
(それに、七珠那が選ばれなくて、かえでが選ばれることは無いもの。無駄な嫉妬ね)
焦りのあまり常にしかめっ面。口を開けば嫉妬に八つ当たり。妬ましそうな目で巫女を見さえする。
役目や仕事はいい加減で、ばれないと思って手抜きをしているが、隠すのが下手だ。
そんなかえでと比べて七珠那は、少なくとも石拾いにひたむきで、他者を妬む様子を見せない。
石拾い如きで満足しているのは程度が低いとは思うが、この二人を並べて、どちらが選ばれるかなんて、一目瞭然だ。
隣に置くなら、七珠那の方がまだましなのだ。
(だからといって、それが宮水家に嫁入りになるというのはおかしいのだけれど)
晶瑚は七珠那の姿を思い出し、こっそりと下唇を噛んだ。
飾りが少ないだけに、その上質さがよくわかる着物だった。
その姿に、晶瑚はかつて自分を嘲笑った華族の子女たちを思い出した。
胸の奥の傷が、じゅくじゅくと疼く。七珠那に見下された、とさえ感じるほど。
「晶瑚、行こうか」
「えぇ。志紅様」
「嫌な出会いだったな。せっかく着物を新調しようとしたのに、泥をかけられた気分だ」
「まことに。そうですわね」
晶瑚は夫ににっこりと笑いかけた。
この夫もまた、扱いやすい。だから、晶瑚は夫のことを大変好ましく思っていた。
右派で最も勇猛とされる守代だ。彼の祖父は、かつて英雄の名誉を持っていた。
(けれど──所詮、『昔の』英雄なのよね)
今の夫に、晶瑚は満足していない。
だが、若いのだからこの先があると期待して嫁入りをした。
晶瑚が加護を授けた祝石で戦う凛々しい姿。圧倒的な力の市民や守代の憧れと尊敬を集める夫。
その目は妻に持向けられる。英雄の妻として、美貌と才気の巫女として、崇拝される日々──。
そんな日々を期待していた晶瑚だったが、首都で待っていたのは予想外の状況だった。
首都の妖魔は小型化、多数化しており、被害をまき散らす戦い方をする右派は支持を下げ始めている。夫を英雄と持て囃す者は身内や同じ右派ばかり。
市民から向けられる視線には、恐れや苛立ちが混じっている。それどころか、どこか疎んじているような。
おまけに、七珠那が持つ加護だ。それによって生まれる透明な祝石。
妖魔が現れる門を強制的に閉じることが出来るという力は、市民や左派から歓迎されている。
そのことが、余計に右派や、右派の筆頭たる中屋敷家の立場を危うくしていた。
正体不明の加護を危険だと主張する右派に対して、左派と中立派は、やや慎重になりながらも活用していく方針をとっている。
それほどまでに、今の首都には必要な力なのだ。
(本格的に実用になれば、左派の名声だけが高まることになる。七珠那ばかりが良い目を見ることになる)
冗談じゃない、と晶瑚は内心、舌打ちをする。
(どうにかしなさいよ──!)
晶瑚はそう発破をかけるつもりで夫の背を睨みつけた。
前線を去った宮水圭章のことを、未だに敵視しているこの男。
心のどこかで敵わないと思っているから突っかかる。未だに、彼の何かを恐れているのだ。
おそらく、ゆるぎない所。煽っても煽っても、感情が燃え上がらない所。
隣に並ぶ志紅は、言ってやったとばかりに鼻息が荒いが、実際のところはほとんど相手にされていないのに、どうして気づかないのか。
負け惜しみだと相手を挑発していたが、晶瑚からすれば、実際のところどちらが負け惜しみを言っているのか明らかだった。
(いいようにあしらわれて……! 本当に情けない!)
どうして夫のことで自分が恥をかかねばならぬのだ。
晶瑚は、強く唇をかみしめた。
(七珠那に──石拾いの雑草娘如きに負けるなんて、許されないことなのよ──!)
晶瑚は夫への不満を、ふつふつと滾らせ始めていた。
晶瑚はそう言って、下女の肩を抱いた。
木綿のざらりとした手触りの向こうに、震える小さな体を感じる。
かえでは、まるで母を頼る子のように晶瑚に頭を擦り付けた。
「晶瑚様! 七珠那ばっかりどうして!」
「そうね。かえでも可愛いし、これから良いことがあるだから、嫉妬する必要なんてないのよ」
「でも……」
「かえでだって、素晴らしいものを持っているんだから。ね? そうでしょう?」
根拠のない誉め言葉だとしても、かえでは不満げな表情を僅かに緩めた。
実際、晶瑚は、この娘のどこが素晴らしいかなんて、考えたこともないし、一つも思いつかない。
強いて言えば、単純で、扱いやすい所だろうか。愚かなところが、とても可愛い。
晶瑚は、その言葉をそっと胸にしまっておいた。
(ちょっと慰めただけでついてきた。本当に便利な子)
嫉妬に気を取られ、自分の雇い主の前で待遇に不満があると言ってのける程、頭の回転が良くない。
その愚かさに腹を立てるほど、晶瑚の心は狭くなかった。
七珠那よりも後にやってきて、先にお役目を下ろされる哀れな少女。
七珠那に加護が宿るどころか嫁入り先を見つけて里を出るのを、悔しそうに睨みつけていたから、声をかけてやったのだ。
──ねぇ、一緒に来る? 私が雇ってあげる──
そうやって恩を売れば誠心誠意尽くしてくれるだろうと思った。
立場は違えど、同じ里にいた者同士だ。中屋敷家で新しくつけられる下女よりも使い勝手が分かっている分、気楽だ。
それに、ひょっとしたら何か使い道があるかもしれないと思った。
(あの雑草娘も首都にいるんだもの)
予想した通り、なかなかの働きをしてくれた。
やたらと身勝手な嫉妬をして、七珠那を責めること。
みるみる青くなっていく雑草娘の顔に、少しだけだが胸がすいた。
晶瑚は別にかえでに微塵も同情していなかったが、ちょっと嬉しがらせを言うだけで愚かなままでいてくれるのなら同情する振りをするぐらいは簡単だった。
疲れやしないし、金がかかるわけでもない。実に安く済む。
(年齢で役目が下ろされるのはわかっていたことでしょう。明確な線引きがないのだから早い遅いがあるのも当然のこと)
嫁入りのあてがない石拾いが、次の勤め先を考えなければならないのもあたりまえのことだ。
(それに、七珠那が選ばれなくて、かえでが選ばれることは無いもの。無駄な嫉妬ね)
焦りのあまり常にしかめっ面。口を開けば嫉妬に八つ当たり。妬ましそうな目で巫女を見さえする。
役目や仕事はいい加減で、ばれないと思って手抜きをしているが、隠すのが下手だ。
そんなかえでと比べて七珠那は、少なくとも石拾いにひたむきで、他者を妬む様子を見せない。
石拾い如きで満足しているのは程度が低いとは思うが、この二人を並べて、どちらが選ばれるかなんて、一目瞭然だ。
隣に置くなら、七珠那の方がまだましなのだ。
(だからといって、それが宮水家に嫁入りになるというのはおかしいのだけれど)
晶瑚は七珠那の姿を思い出し、こっそりと下唇を噛んだ。
飾りが少ないだけに、その上質さがよくわかる着物だった。
その姿に、晶瑚はかつて自分を嘲笑った華族の子女たちを思い出した。
胸の奥の傷が、じゅくじゅくと疼く。七珠那に見下された、とさえ感じるほど。
「晶瑚、行こうか」
「えぇ。志紅様」
「嫌な出会いだったな。せっかく着物を新調しようとしたのに、泥をかけられた気分だ」
「まことに。そうですわね」
晶瑚は夫ににっこりと笑いかけた。
この夫もまた、扱いやすい。だから、晶瑚は夫のことを大変好ましく思っていた。
右派で最も勇猛とされる守代だ。彼の祖父は、かつて英雄の名誉を持っていた。
(けれど──所詮、『昔の』英雄なのよね)
今の夫に、晶瑚は満足していない。
だが、若いのだからこの先があると期待して嫁入りをした。
晶瑚が加護を授けた祝石で戦う凛々しい姿。圧倒的な力の市民や守代の憧れと尊敬を集める夫。
その目は妻に持向けられる。英雄の妻として、美貌と才気の巫女として、崇拝される日々──。
そんな日々を期待していた晶瑚だったが、首都で待っていたのは予想外の状況だった。
首都の妖魔は小型化、多数化しており、被害をまき散らす戦い方をする右派は支持を下げ始めている。夫を英雄と持て囃す者は身内や同じ右派ばかり。
市民から向けられる視線には、恐れや苛立ちが混じっている。それどころか、どこか疎んじているような。
おまけに、七珠那が持つ加護だ。それによって生まれる透明な祝石。
妖魔が現れる門を強制的に閉じることが出来るという力は、市民や左派から歓迎されている。
そのことが、余計に右派や、右派の筆頭たる中屋敷家の立場を危うくしていた。
正体不明の加護を危険だと主張する右派に対して、左派と中立派は、やや慎重になりながらも活用していく方針をとっている。
それほどまでに、今の首都には必要な力なのだ。
(本格的に実用になれば、左派の名声だけが高まることになる。七珠那ばかりが良い目を見ることになる)
冗談じゃない、と晶瑚は内心、舌打ちをする。
(どうにかしなさいよ──!)
晶瑚はそう発破をかけるつもりで夫の背を睨みつけた。
前線を去った宮水圭章のことを、未だに敵視しているこの男。
心のどこかで敵わないと思っているから突っかかる。未だに、彼の何かを恐れているのだ。
おそらく、ゆるぎない所。煽っても煽っても、感情が燃え上がらない所。
隣に並ぶ志紅は、言ってやったとばかりに鼻息が荒いが、実際のところはほとんど相手にされていないのに、どうして気づかないのか。
負け惜しみだと相手を挑発していたが、晶瑚からすれば、実際のところどちらが負け惜しみを言っているのか明らかだった。
(いいようにあしらわれて……! 本当に情けない!)
どうして夫のことで自分が恥をかかねばならぬのだ。
晶瑚は、強く唇をかみしめた。
(七珠那に──石拾いの雑草娘如きに負けるなんて、許されないことなのよ──!)
晶瑚は夫への不満を、ふつふつと滾らせ始めていた。
