御野山には西の東からのみ入口が立ち入ることができて、西の麓には小さな里がある。
無垢石に神々の加護を授ける巫女が住まうことから、加護の里と呼ばれていた。
木々の隙間から濃紺の瓦が作る波が見えると、七珠那は気持ちが急くままに駆けた。
里と御野山の境目は、大樹で作られた門だった。
大樹が枝を伸ばし、葉を絡ませて壁を作る一方、年若い女子を招くように、細身の人間が一人通れる程度の隙間が開けられている。両端の木には、神垂が結わえられた注連縄が渡されていた。
東にも同じような入口があると聞いたことがあるが、七珠那は見たことがなかった。
七珠那の世界は、この西側に広がる里だけだった。
七珠那は振り向いて御野山へ一礼し、縄を超えて加護の里へと入った。
「あぁ、七珠那。戻ったのか。ご苦労様」
目ざとく七珠那を見かけて声をかけてきたのは、野良着姿の男だった。
「収穫はどうだった?」
「上々です。そちらは?」
「大根が沢山取れたもんだから、屋敷に納めてるよ。今日の夕餉に出るんじゃないか」
「いいですね」
七珠那は笑って、男の傍を通り過ぎた。
加護の里は、小さな集落だ。
暮らしている人間も、巫女が十人と七珠那と同じ無垢石拾いをする少女が他に二人、巫女のまとめ役になる初老の神職である明官の他に、世話役の女たち、雑務をする男衆だけだ。
七珠那は、まっすぐ里の中心にある社の裏──巫女達が暮らす屋敷へ向かう。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい!」
そう玄関で声を上げると、明るい声に出迎えられた。
「七珠那、今日の成果はどうだった?」
「見せて! 早く!」
今日の御勤めを終えた巫女達だった。
緋袴姿の彼女達は、七珠那の背嚢にうずうずと視線をやっている。急かす声は、強くて遠慮がない。
七珠那が採ってくる無垢石に、彼女達が加護を授ける。
だが、無垢石の大きさ形、質によって授けられる加護の強さも異なってくる。
どの石が自分に回ってくるのか。ひいては、自分がどれほど加護の宿る石を生み出せるか。巫女達にとっては重要なことなのだ。
「後で明官様にまとめて報告するんだけど……」
「──私が頼んだものは見つかった?」
鈴を転がすような声が、言葉を遮る。大きくなくともよく響く声だった。
巫女達はぴたりと囀るのをやめ、誰ともなしに道を譲る。
「晶瑚様」
長い黒髪を緋の髪紐で一つくくりにした巫女がいた。大きな黒い瞳に、陶器の肌、紅を塗っていないのに唇は艶やかに紅い。
美貌も能力も、この里で晶瑚に勝る巫女はいない。
「七珠那、わかっていると思うけど、私の嫁入りまで一月もないのよ」
「あの、こちらを……」
七珠那は背嚢から手ぬぐいに包んだ無垢石を取り出した。ごろりと掌に転がる大きさ。土に埋もれていたのに輝きを放つ白さ。
めったに見ない上質な無垢石だった。
「こんな立派な無垢石、久しぶりに見た」
晶瑚は満足そうに目を細め、七珠那の手ごと無垢石を包み込んだ。
「ありがとう。七珠那。こんな素晴らしいものを持って嫁に行けるなんて、私は果報者ね」
「──ずるい。どうして、晶瑚ばっかり」
優しく囁く晶瑚の声に、冷たく尖った巫女達の不満が重なる。
七珠那は、次いで降りかかってくるであろう言葉を覚悟して、身構えた。
「そりゃあ、 晶瑚は格式高い炎の神の加護を受けてるし、来月には名家への嫁入りも決まっているけど……。里に尽くしているのは皆、同じじゃない」
「それに、どうして、七珠那だけあんなに立派なのをみつけてくるの? 他の子達は小物ばかりなのに」
さっきまで、七珠那の戻りを歓迎していたと言うのに、一番立派な無垢石が自分のものにならないと知るや否や、これだ。
「名前からして、雑草娘だもの。森と仲良しなのよ」
はっと吐き捨てるような笑い声。それを切っ掛けに、不満は七珠那を貶める言葉に変わっていく。
「あるいは烏の子。光物を集めるのが得意なのよ。それか子猿。山が大好きなのよ」
「仕方ないわ。田舎者だもの」
巫女達は、口々に文句を言いながら去っていく。
晶瑚が七珠那の肩に手を置く。たおやかな手は、優しく七珠那の肩をさすってくれる。
「大丈夫」
七珠那はぱっと顔を上げ、笑って見せた。
「田舎者なのも、雑草娘なのも本当だもの。名前からして、なずな、でしょう」
「でも、なずなの花は可愛いわ。白くて小さくて──邪魔にならなくて弁えている所が素敵ね」
同性ながら見惚れるような美しい表情。それが、底冷えするほど冷たい温度に感じた。
「そう……ね」
こういう時、晶瑚は耳が痛い程に本当のことを言う。
「図太いところもいい所ね」
そして、七珠那にそうであれと諭すのだ。
「ねぇ、七珠那。弁えているあなたが、私は好きよ。なずなみたいに図太くて慎ましくて。だから可愛いの」
晶瑚は、ひんやりとしたすべらかな掌で七珠那の頭を一つ撫でて去っていった。
飼い犬を撫でるような仕草だった。
決して同等になりえないと、あの手この手で言われても、今更落ち込みはしなかった。
「ごくつぶし、よりもずっとまし。烏なら、綺麗なものを拾って来れるし、雑草なら雑草なりに役に立つことがあるもの」
負け惜しみでも何でもない。七珠那の本心だった。
少なくとも、彼女達は、七珠那が無垢石拾いでの力量を認めている。
認めているからこそ、あの憎まれ口なのだ。そう思うと、気に病む必要があるとは思えなかった。
巫女達は身分確かな豪農や商家、下級華族の出だからか、誰もかれもが負けん気が強い。
実家や受けた加護、本人の美貌や才気が加わり、目に見えない序列が確かに存在している。
小さな里の中に閉じ込められていれば、鬱憤もたまるのだろう。
無垢石拾いは、外で黙々と作業できるのだから、多少の捌け口を引き受けても構わなかった。
(その代わり雨の日も雪の日も、日が照り付ける日も、御野山を彷徨わなければならないのだけれど)
だが、七珠那は御野山へ行くのが苦痛ではなかった。
(かあさんに会える気がするって言ったら、晶瑚様も気味悪がってたな)
七珠那は親を失い、身売りされる形で、この里にやって来たのだった。
御野山は神のおわす山。不思議なことが起こっても、あり得ないことではない。
そして、巫女ではないものの、七珠那にも神々がおわす場所とつながる力──神気を宿しているのだ。
無垢石に神々の加護を授ける巫女が住まうことから、加護の里と呼ばれていた。
木々の隙間から濃紺の瓦が作る波が見えると、七珠那は気持ちが急くままに駆けた。
里と御野山の境目は、大樹で作られた門だった。
大樹が枝を伸ばし、葉を絡ませて壁を作る一方、年若い女子を招くように、細身の人間が一人通れる程度の隙間が開けられている。両端の木には、神垂が結わえられた注連縄が渡されていた。
東にも同じような入口があると聞いたことがあるが、七珠那は見たことがなかった。
七珠那の世界は、この西側に広がる里だけだった。
七珠那は振り向いて御野山へ一礼し、縄を超えて加護の里へと入った。
「あぁ、七珠那。戻ったのか。ご苦労様」
目ざとく七珠那を見かけて声をかけてきたのは、野良着姿の男だった。
「収穫はどうだった?」
「上々です。そちらは?」
「大根が沢山取れたもんだから、屋敷に納めてるよ。今日の夕餉に出るんじゃないか」
「いいですね」
七珠那は笑って、男の傍を通り過ぎた。
加護の里は、小さな集落だ。
暮らしている人間も、巫女が十人と七珠那と同じ無垢石拾いをする少女が他に二人、巫女のまとめ役になる初老の神職である明官の他に、世話役の女たち、雑務をする男衆だけだ。
七珠那は、まっすぐ里の中心にある社の裏──巫女達が暮らす屋敷へ向かう。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい!」
そう玄関で声を上げると、明るい声に出迎えられた。
「七珠那、今日の成果はどうだった?」
「見せて! 早く!」
今日の御勤めを終えた巫女達だった。
緋袴姿の彼女達は、七珠那の背嚢にうずうずと視線をやっている。急かす声は、強くて遠慮がない。
七珠那が採ってくる無垢石に、彼女達が加護を授ける。
だが、無垢石の大きさ形、質によって授けられる加護の強さも異なってくる。
どの石が自分に回ってくるのか。ひいては、自分がどれほど加護の宿る石を生み出せるか。巫女達にとっては重要なことなのだ。
「後で明官様にまとめて報告するんだけど……」
「──私が頼んだものは見つかった?」
鈴を転がすような声が、言葉を遮る。大きくなくともよく響く声だった。
巫女達はぴたりと囀るのをやめ、誰ともなしに道を譲る。
「晶瑚様」
長い黒髪を緋の髪紐で一つくくりにした巫女がいた。大きな黒い瞳に、陶器の肌、紅を塗っていないのに唇は艶やかに紅い。
美貌も能力も、この里で晶瑚に勝る巫女はいない。
「七珠那、わかっていると思うけど、私の嫁入りまで一月もないのよ」
「あの、こちらを……」
七珠那は背嚢から手ぬぐいに包んだ無垢石を取り出した。ごろりと掌に転がる大きさ。土に埋もれていたのに輝きを放つ白さ。
めったに見ない上質な無垢石だった。
「こんな立派な無垢石、久しぶりに見た」
晶瑚は満足そうに目を細め、七珠那の手ごと無垢石を包み込んだ。
「ありがとう。七珠那。こんな素晴らしいものを持って嫁に行けるなんて、私は果報者ね」
「──ずるい。どうして、晶瑚ばっかり」
優しく囁く晶瑚の声に、冷たく尖った巫女達の不満が重なる。
七珠那は、次いで降りかかってくるであろう言葉を覚悟して、身構えた。
「そりゃあ、 晶瑚は格式高い炎の神の加護を受けてるし、来月には名家への嫁入りも決まっているけど……。里に尽くしているのは皆、同じじゃない」
「それに、どうして、七珠那だけあんなに立派なのをみつけてくるの? 他の子達は小物ばかりなのに」
さっきまで、七珠那の戻りを歓迎していたと言うのに、一番立派な無垢石が自分のものにならないと知るや否や、これだ。
「名前からして、雑草娘だもの。森と仲良しなのよ」
はっと吐き捨てるような笑い声。それを切っ掛けに、不満は七珠那を貶める言葉に変わっていく。
「あるいは烏の子。光物を集めるのが得意なのよ。それか子猿。山が大好きなのよ」
「仕方ないわ。田舎者だもの」
巫女達は、口々に文句を言いながら去っていく。
晶瑚が七珠那の肩に手を置く。たおやかな手は、優しく七珠那の肩をさすってくれる。
「大丈夫」
七珠那はぱっと顔を上げ、笑って見せた。
「田舎者なのも、雑草娘なのも本当だもの。名前からして、なずな、でしょう」
「でも、なずなの花は可愛いわ。白くて小さくて──邪魔にならなくて弁えている所が素敵ね」
同性ながら見惚れるような美しい表情。それが、底冷えするほど冷たい温度に感じた。
「そう……ね」
こういう時、晶瑚は耳が痛い程に本当のことを言う。
「図太いところもいい所ね」
そして、七珠那にそうであれと諭すのだ。
「ねぇ、七珠那。弁えているあなたが、私は好きよ。なずなみたいに図太くて慎ましくて。だから可愛いの」
晶瑚は、ひんやりとしたすべらかな掌で七珠那の頭を一つ撫でて去っていった。
飼い犬を撫でるような仕草だった。
決して同等になりえないと、あの手この手で言われても、今更落ち込みはしなかった。
「ごくつぶし、よりもずっとまし。烏なら、綺麗なものを拾って来れるし、雑草なら雑草なりに役に立つことがあるもの」
負け惜しみでも何でもない。七珠那の本心だった。
少なくとも、彼女達は、七珠那が無垢石拾いでの力量を認めている。
認めているからこそ、あの憎まれ口なのだ。そう思うと、気に病む必要があるとは思えなかった。
巫女達は身分確かな豪農や商家、下級華族の出だからか、誰もかれもが負けん気が強い。
実家や受けた加護、本人の美貌や才気が加わり、目に見えない序列が確かに存在している。
小さな里の中に閉じ込められていれば、鬱憤もたまるのだろう。
無垢石拾いは、外で黙々と作業できるのだから、多少の捌け口を引き受けても構わなかった。
(その代わり雨の日も雪の日も、日が照り付ける日も、御野山を彷徨わなければならないのだけれど)
だが、七珠那は御野山へ行くのが苦痛ではなかった。
(かあさんに会える気がするって言ったら、晶瑚様も気味悪がってたな)
七珠那は親を失い、身売りされる形で、この里にやって来たのだった。
御野山は神のおわす山。不思議なことが起こっても、あり得ないことではない。
そして、巫女ではないものの、七珠那にも神々がおわす場所とつながる力──神気を宿しているのだ。
